奇天烈世界映画『ストレンジ・ワールド』感想文(途中から少しネタバレあり)

《推定睡眠時間:0分》

俺がこの映画の公開を知ったのは映画サイトの今週の公開作一覧を見てなんですけど、シネコンでは長い予告編を最初から見ることが見ることが少なく本編開始時間ギリギリに席に着くことも多いとしても、自分で言うのもあれだがシネコンに最低でも週一で通ってる俺みたいな映画スキーが映画サイトの公開作一覧を見るまで公開に気付かなかったってなかなかのことじゃないかと思う。

だってディズニー最新作でしょこれ。それも今年だか来年だか知らないけどディズニー100周年アニバーサリーとかのおめでたい作品なわけじゃないですか。なのに日本公開が全然周知されてない。そしてシネコンに入ると案の定キャパ100程度の小さなシアターに客が10人程度しか来ていない…なかなかのことですよこれは、なかなかの。もうディズニーは配信で稼ぐ会社になっちゃって劇場公開は重要視してないんだろうなって思ったな。宣伝に金をかけないでも確実に客の入りそうな一部の超メジャー作品だけ劇場に回して後はディズニー+での配信スルーで済ますか、劇場公開してもリスクを最小限に抑えるために宣伝費や劇場のブッキングには金も手間もかけない。想像ですけどね。想像ですけどでもそうなんだろうなって思ったらさぁ…まぁ、時代は変わったよ。そういうことにしておこう。

そんな陽の当たらない不遇なディズニー映画となってしまったこの『ストレンジ・ワールド』だがうーんこれは劇場で観ないのはもったいない、傑作かと言われれば違うのだが異世界を作る技術にかけてはさすがディズニーの本領発揮で、ストレンジとしか言いようのないビジュアルの面白さだけでも高い高いシネコン木戸銭を払う価値はあるだろう。

舞台は電気植物の発見によって文明が発達した半ファンタジー半リアル世界。蒸気機関が超進化した文明を描くSFをスチームパンクとか言うからさしずめこの映画はプラントパンクとでも言うべきだろうか。でもパンク感はないから違うか。それはさておき主人公親子は高名な冒険家を父に持つ電気農家、電気の採れる作物がなぜか枯れ始めてこれは病気かもしれんってことで電気作物の根っこのある地下世界に軍の人たちと人類で初めて行ってみるのだが、行って驚いたそこは深海のようでも人間の体内のようでもある異常世界、『ミスト』に出てきそうな怪生物が辺りを闊歩し肺胞や絨毛を思わせる深世界植物や鉱物(?)がわんさと生い茂っている。地下世界の場合なんていうのか知らないが空の色はトリッピーなピンクである。これは…キモイ!

可能な限りネタバレは避けているが以下物語の核心にちょこっと触れているところもあるのでこの赤字警告を使うのはずいぶん久しぶりだが各自警戒して読み進めよ。ネタバレアレルギー者は去れ。

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そのキモ世界を大冒険というほどは冒険しないのだがとりあえず冒険してくれるわけである。そら面白くないということはないでしょう。加えてそこに親子三代のジェネレーション・ギャップや世界観の対立なんかが盛り込まれて親子のドラマとしても楽しめる。最後には世界の今後の形はどうあるべきかという存外大きなテーマも突きつけられ、娯楽映画としての充実度は高い。なんだか俺がやる気の無いディズニーの代わりに映画を宣伝してやってるようで癪ではあるが。

この映画を劇場で観た方がいい俺なりの理由はもう一つあって、それはこれが世論を二分するような論争的なメッセージを持っているから。このへんネタバレを回避しながら触れることが至難の業でまるで電撃イライラでもやっているようだがって比喩が古い! 古い比喩はともかくズバリ言ってしまえば地球環境にダメージを与えながら電気を使う生活を捨て、車が馬車に戻るような自然調和型の文明に転換せよというのがこの映画のメッセージである。まさしくたかが電気。効果のほどは知らないがレジ袋の有料化にはわりと賛成だし散々な評判の紙ストローも地球環境のためならそれぐらいいいじゃないかと受け入れる日常派エコロジストの俺でもこれはストレートには受け入れがたい。

個人的な意見を述べれば(個人的でない意見などあるだろうか…?)これは暴論のたぐいである。電気文明が地球環境を破壊しているのは確かであり、地球環境はあらゆる文明の下地なのだから破壊が続けば文明そのものが崩壊してしまう。持続可能な社会作りのためには電気そのものを捨てるかどうかはともかくエネルギーの転換が必要不可欠。今のままのやりかたでは立ちゆかない。

それはわかるが電気を捨てる判断を一切の副作用のない正しく優しい行為のように描くのはどうか。たとえば作中世界は電気導入前は車すら走っていなかったわけだから画面に出てくることはないが医療レベルなんか知れたもので、電気文明放棄後はこれまで当たり前に受けられていた医療はおそらく相当制限されることになるだろう。そのあおりを受けるのは主人公一家のような健康体ではなく高齢者や難病患者といった身体弱者である。出産も危険を伴うようになるだろうし中絶も難しくなるんじゃないだろうか。電気文明は地球環境を破壊する一方、自然環境では淘汰されてしまう身体弱者をあらゆる局面で救い上げているのだ(もし電動車椅子がすべて車椅子にランクダウンしてしまったら重度身体障害者の自由は極端に制限されることになるだろう)

そうした身体弱者にとっての文明と自然のジレンマを描いたのは宮崎駿の『もののけ姫』だが、『ストレンジ・ワールド』にはそのオマージュと思しき場面も見受けられつつも『もののけ姫』の現実を直視する峻厳さはない。俺はこの無責任な楽観的理想論も子どもの教育にはまぁ別にいいと思う。馬車がいいかどうかはともかく文明の目指す方向性としてはこっちだよね、と易しい話から始めないと子どもが環境問題を理解するのは難しいだろう。でも大人はどうか?

俺さ、この映画の数少ない(大人と思われる)ネット感想とか見ててちょっとガッカリしたね。大人はこれをイイ話だねその通りだねで終わらせちゃダメでしょ。電気文明を放棄するというその決断にはどんな犠牲が伴うかっていうのを考えないといけないし、その上で最善の策は何か議論する責任ってものがあるじゃないの、大人なんだから。だから俺この映画で本当はみんなに議論して欲しいんすよね。そのために観に行って欲しいってすら思う。それが真の意味で環境問題を考えるってことなんじゃないの、ただ提示されたメッセージを唯々諾々と受け入れるのではなくて。俺としてはついでにこうした世界観やメッセージは典型的なニューエイジ思想であり、近年のハリウッド映画のニューエイジ傾倒を示すものだと付け加えておきたい。

あとね、この映画ポリコレ表現が下手。俺思うんですけど上手いポリコレ表現ってポリコレに見えなくて、で下手なポリコレ表現ってこれはポリコレで入れてるんだなっていうのが透けて見える。上手いポリコレ表現の例はジョーダン・ピールが製作と脚本を担当した2021年版の『キャンディマン』で、この映画は最初の方に同性愛のカップルが出てくるんですけど、他の人たちに混ざってただそこに普通に座って話してるのをカメラが引きの画で捉えているから何も違和感がない。『ソニック・ザ・ムービー』も配役の人種バランスがよく考えられているけれども殊更にそれをアピールしたりしないから言われないとポリコレだなってわからない。

下手なポリコレ表現っていうのはこの『ストレンジ・ワールド』みたいなやつで、主人公の息子はゲイ設定なんですけどそれを観客に分からせるために片思いの人っていうのを思わせぶりに登場させる。そしたら「あぁこの片思いの人が後々冒険に加わってうんたらかんたらあるんだろうな」って思うじゃないですか。ないんだよそれ。この思わせぶりに登場する片思いの人って主人公の息子のゲイ属性を観客に印象づけるためだけに出てくるの。それは子供向けを考慮しても見せ方が下手っていうか、バカにしてんのかぐらい思うよ。

ポリコレに関してはインターネット中心に、あるいはインターネットの上だけで否定派と肯定派に分かれて日々侃々諤々の悪口合戦が繰り広げられてたりするじゃないですか、まぁインターネットのスラムでは。そういうのって本当はポリコレ自体の賛否が分かれてるんじゃなくて下手なポリコレ表現に対する賛否が分かれてるんじゃないかって俺は思ってて、ポリコレ否定派と言われる人の中には上手いポリコレ表現はいいけど下手なポリコレ表現は白けるからやめてくれって思いながら言語化できていない人も結構な割合いるんじゃないか。とか考えたらね、これも大人が議論すべき事柄なんじゃないかと思うわけですよ。ただそのまま受け入れるんじゃなくて自分が見たものについて思考を巡らせ他人と議論する。そのタネがこの映画にはたくさんある。

まそんなわけで面白い映画でした『ストレンジ・ワールド』。俺は今のディズニーの姿勢には明確に反対なんでせいぜい派手にコケちまえイイ気味だと思うところもあるのですがー、これがコケても(既にかなり派手めにコケてますが)ディズニーの配信重視姿勢が変わるわけでもないと思うんで観てやってくださいなって感じすね。映画に罪はないからね。ディズニー上層部には罪があるけど。

※地下世界探検隊の隊長、『ラーヤと龍の王国』にも出てなかった?

【ママー!これ買ってー!】


『ミクロの決死圏』[DVD]

手術困難な患者の治療のためミクロサイズに縮小された科学者たちがミクロ宇宙船に乗って人体を旅する驚異のSF映画。おそらくこれは『もののけ姫』などと並んで『ストレンジ・ワールド』のイメージソースの一つ。人体をガンガン溶かして食う白血球が怖い。

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