内輪の殻をぶち破れ映画『エス』(2024) 感想文

《推定ながら見時間:20分(オンライン試写)》

逮捕歴のある監督が自身の経験から着想し…みたいな感じの触れ込みだったのでおおそれは面白そうだな、なにせ日本といったら犯罪大国アメリカなどと違い逮捕=犯罪者の社会通念がいまだ蔓延るムラ社会、よくニュースなどで「〇〇が本日書類送検されました」みたいなのがあるが、書類送検というのは半ばマスコミ用語であり司法手続きとしては送致、つまりは警察が受理し捜査の終了した事件の情報を検察に引き渡すことであり、送致されたのちに検察はその事件に関し被疑者を起訴するか不起訴にするか決める。なんのことはない書類送検というのは「〇〇の事件の警察による捜査が終わりました」と言っているだけなのだが、それがあたかも「〇〇の有罪が確定しました」を意味する言葉であるかのように誤解され、ニュースバリューを持つのがまったく呆れた日本および日本国民である。きっとそうした日本の法律教育の遅れを当事者が痛烈に抉った映画がこれなのだろう…と思って観始めたらなんか全然違った。

映画の主役は不正アクセス禁止法違反で逮捕された監督の分身Sくんではなくその学生時代からの友人たちなのだが、まずこの不正アクセス禁止法違反というの、なにやら罪状が仰々しいからなんだろうハッキングでもしたのかな、すごいな、と思ったら知人女性のメルアドで本人になりすましたメールして逮捕というトホホっぷり。たしかにやられた側からしたら迷惑極まりないと思うのだが、刑罰のレベルでいえばたった今ネットで調べたところによれば1年以下の懲役又は50万円以下の罰金で、窃盗罪が10年以下の懲役または50万円以下の罰金なのだから万引きよりも軽い罪である。仮に俺がローソンで買ったからあげクンを食べようとした瞬間に通りすがりの何者かがからあげクンをかっぱらい全部食べてしまったとしたら俺はかなりびっくりし困惑するとは思うが、とはいえ人間に化けたタヌキがお腹を空かせていたんだろうとでも考えさっさと忘れてしまうことだろう(※インターネット上でのなりすまし行為および路上でのからあげクン奪取などの窃盗行為はたとえ人間に化けたタヌキであっても犯罪ですので絶対にやめてください)

そのトホホ犯罪をやらかしたSくんの友人たちのやりとり、これはコメディであった。しかもほぼほぼSくんの犯罪と関係ない日常系の会話劇コメディ。延々脱線と他愛ない悪ふざけと内輪ウケの話題が続いてこうなんというか誰も本質的な話をしない居酒屋の学生サークラーの会話だこれは。俺、おおいに脱力。その会話は確かな人間観察に基づくリアリティがあり、台詞のひとつひとつが丹念に選び抜かれていることも、役者がその台詞やキャラクターをしっかりと物にしていることもわかるが、逮捕された映画監督が自身の経験から着想し…のアオリから想像されるものではかなりなかったので、なんだかズルっとしてしまうのであった。

しかしこれが面白い。今泉力哉の映画のような若者あるある会話劇はそんなに好きではないが、社会に出たのにいつまで経っても(※だいたい30歳とかの設定)学生ノリが抜けず、笑い至上主義のどうでもいい会話しかできないSくんの友人たちおよびその同僚などが、Sくんの逮捕という想定外の出来事にあちらこちらで動揺しまくる。台詞はなく画面にはたまに後ろ姿がインサートされるだけの不在のSくんが平和な内輪空間に入れる亀裂、これが取るに足らない若者あるある会話劇を興味深いものにしている。表面上はいつもと同じように振る舞うものの内心Sくんとどう接していいかわからず、その動揺を隠そうと無理に学生ノリ会話の空虚なキャッチボールを続ける様は、滑稽であると同時にヒリヒリするような緊張感も帯びているのだ。

果たして作ってる側がそこまで射程に入れていたかは定かではないが、これは案外今という時代の病理診断というところもあるかもしれない。早い話が幼稚なのである。社会に出れば一緒に働いていた人が犯罪者になることもあるし、前科者と一緒に働くこともある、自分が犯罪の被害者になることもあれば加害者になってしまうことだってそりゃあるだろう。俺のバイト事件簿を開けば、レジから一万抜き取って職場を去った人もいたし、女子学生バイトにバレンタインのチョコをせがんで首になった40代のオッサンバイトもいた、コンビニの在庫をバイトOBに横流ししている同僚も、歌舞伎町のラブホテルでバイトをしていた時には恐喝暴行器物破損などで前科二犯の元ホストクラブ経営者という人もいた。犯罪者は罪の軽重にかかわらず全員死刑という国ならともかく日本はそういう国では今のところないので、社会に出ればそんな人とはたくさん出会う。

ところがそれがいい歳こいて学生ノリを続ける人たちにはわからない。忖度と場の空気に支配された学生ノリの内輪に閉じこもったこの人たちはまさか自分たちの誰かが犯罪者になるとは思わないし、もしくは自分たちの誰かに犯罪の過去があるとも思わない。悪い人、理解のできない人、「みんな」と違った人はそもそも彼ら彼女らの視界には入らない。だからSくんが起こした事件がどんなに些細なものであっても、その事件によってSくんが犯罪者という他者になった時に、彼ら彼女らはそれをどう受け止めていいかわからず大いに動揺する。内輪の外にいる他者に対する想像力の欠如と、それを視界に入れることを恐れる臆病。「面白いと思ってやった」という劇中での犯行動機からすれば、Sくんの犯罪自体もこんな学生ノリ内輪ノリの中から生まれたものと思われるのだから、その未熟さは決して無害なものとは言えないだろう。

そうした幼稚な現代日本人の像をこの映画は的確に捉える。まったく笑っちゃうね。会話と芝居で見せる小劇場的な映画なので展開だとか映像だとかはそんなに面白くないのだが、それでも幼稚まみれの人々の醜態には笑わされっぱなしだ。劇中最年長のおそらく60近いんじゃないかと思われるコールセンター職員おばちゃんがSくんを巡る口論が最高潮に達した瞬間半泣きで「撤回します!」と叫ぶところなんて声を出して笑ってしまったし今も思い出して笑ってる。あー、言うよなー。ずっと内輪の世界で生きてきて他人とまともに対話なんかしたことのない人、口論でこういう調子外れのことをわけもわからず決め台詞みたいに言っちゃうんだよ。

俺まえにバイトしてたコンビニで偉そうな態度で同僚外国人の悪口を言ってた先輩バイトと口論になってさ、そいつは要は俺が後輩なのに自分を敬わないから(つまり内輪ルールに反したからですね)怒ったらしいんですけど、先輩に対してその口調はなんだみたいな言いがかりに俺が知らねぇよだからなんだよとか言ってたらその人いきなり大声で「俺は会社やめてここでバイトしてるんだぞ!」って言って、いやお前それは自慢することではないだろ、むしろ自分で自分を貶めてるだろって、笑いそうになっちゃったの思い出したよ。

まぁ、でもさ、そういう人って笑っちゃうけど、やっぱ哀しさっていうのもあるよ。社会に出れば学生時代みたいに内輪の中だけで生きていくことなんか絶対にできない。至るところで内輪には決して回収することのできない他者の世界と衝突する。それを回避しようと思えば「撤回します!」のおばちゃんみたいに少し病的なまでに内輪に固執して、日に日に狭くなる内輪の中で他者に圧迫されながら怯えて暮らすしかない。それが行き着くところまで行けばもうちっとも笑えない悲劇へと転落してしまうんじゃないだろうか。

だから、社会に出たら学生時代の内輪なんかさっさと捨てて他者と共に外の世界を生きる覚悟を決めた方が、結局は楽だし幸せなのかもしれない。今の時代は幸福だけれども不幸な時代で、SNSを使えばどんな人でも自分に合った内輪を見つけることができるし、傷つきも不快もないその中でいつまでも戯れていることができる。その誘惑のなんと罪深いこと! どちらかと言えば、この映画はそんな内輪の人たちに共感する映画で、登場人物の多少の成長はあっても、犯罪を契機とする内輪からの精神的脱出は明確には描かれない(ほのめかすところはある)。けれどもそのことによって、誰もが内輪に引きこもる現代日本の病理が鋭く前景化する。

前情報から想像した映画とはだいぶ違ったが、これもひとつの他者との遭遇。地味な会話劇ですが面白いかったです。

※それにしてもですね、Sくんと大の仲良しでコールセンター勤務の主人公格の人、Sくんの前科を知りながら彼にコルセンの仕事を紹介してて職業倫理の低さにドン引きです。たしかに前科者がコルセンをやってはいかんということはないだろうが、他人のメアドで遊んで逮捕された人に客の個人情報を任せる仕事させたらいかんだろ普通に考えて。SくんもSくんでお前は『PERFECT DAYS』の役所広司みたいにトイレ清掃でもやっとけよ。俺も清掃バイトだが結構充実感あるし給料だって悪くないんだぞ。だいたいね、友達を部下または後輩として自分の職場に引き込むと基本的に関係が険悪になります。俺それでコンビニ夜勤時代に前のバイトで先輩だった友達に殺されそうになったからね。トイレットペーパーとかのでかいダンボールに土下座の姿勢で押し込まれてガムテープで背中側に封されたから動けないし呼吸もできないし、別のバイトに救助されましたけど一歩間違えば殺人事件ですよ。その動機が今や後輩バイトとなったその人が遅刻出勤するや仕事もせずに話し出した武勇伝みたいなのを俺があんまりちゃんと聞かずに仕事を振ったのでバカにされたように感じてムカついたからって笑い話だけど笑えないだろ!友達が職を探していても自分の職場には決して呼ぶな!

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