筋肉太くても神経細けりゃ台無し映画『スマッシング・マシーン』感想文

《推定睡眠時間:0分》

日本でほとんど報道されることがないアメリカの社会問題にオピオイド危機というのがあってこのオピオイドというのは鎮痛薬なのだが1990年代後半に製薬会社が売り出した際に依存性を過小評価して宣伝したために(実際は強い依存性があった)多くの依存症患者を生んでしまい、依存だけならまだしもオピオイドは過剰摂取によって死に至ることがあるため、アメリカではゼロ年代に入って年間数万人単位でオピオイド使用による死者が出ることとなり、これはトランプ共和党が選挙の争点としたことからトランプの大統領就任の一助となり、更にはおそらく製薬会社不信から第二期トランプ政権の反ワクチン政策の背景を成すこととなったのであった(そんなアブないクスリが手軽に手に入ってしまうアメリカの医療文化やクスリの使用を躊躇わないエンハンスメント文化こそ真の問題ではないかと思いますが)

『スマッシング・マシーン』の主人公マーク・ケアーという実在の総合格闘家はなんでも初期のオピオイド薬害被害者としてその経験を公に語ったことでアメリカでは有名になった人らしい。オピオイドは単に痛みを止めるだけでなく投与することで幸福感も生じさせるので身体面に加え精神面でも依存を生じさせるのだが、やったことがないからわからないが格闘技というのはたぶん痛い、とても痛いのでケアーはオピオイドでのセルフケアーが常態化しており、打つと気持ちよくなっちゃうからどんどん摂取量や頻度は多くなって、ついには過剰摂取による一時意識不明の状態で病院に担ぎ込まれるまでになる……ということらしいのだがオピオイドはアメリカではかなりメジャーな話題なのでその効果や副作用についての説明は劇中にほとんどなく、俺も含めて日本の観客にはこの映画がオピオイド薬害をサブテーマとする映画だということがあまり伝わらないかもしれない。

1990年代後半にPRIDEで活躍した実在選手をドウェイン・ジョンソンという異種とはいえホンモノの格闘家が演じるのだから日本の観客の多くは格闘技映画らしいエキサイティングな試合とかアツい展開を『スマッシング・マシーン』に期待するのではあるまいか。格闘技素人のためか俺にはこの映画も充分エキサイティングでアツく見えたのだが、しかし本質的にはそういう映画ではたぶんないだろうし、そういうものを期待するとあまり面白くないかもしれない。なぜならオピオイド危機をサブテーマとするこの映画、じゃあメインテーマは何かと言えば、これまでリングで負けなしだった人間がいかにして勝負に負けることを受け入れられるようになるかということで、それがオピオイド依存からの脱却にも繋がってくるんである。戦い続け勝ち続けるためにはオピオイドを打ち続けることが必要だ……という考えに囚われていたマーク・ケアーは、勝つだけが人生じゃねぇな、負けてもいいんだなと気付くことで、オピオイドと手を切れるようになるわけだ。

そんなような映画だから描かれるのはマーク・ケアーの強さというよりも弱さの方であった。いや、弱いと言っても肉体的には圧倒的に強く、家のドアを軽く殴っただけで粉砕してしまうというゴリラっぷりなのだが、その筋肉の太さに反比例して神経はあまりにも細かった。とにかくやたらと神経質ですごいどうでもいいことに無駄にこだわる。エミリー・ブラント演じる妻が朝のプロテインを作ってくれたというので受け取るケアー。うんありがとう、ところでこれ何入れたの? あー、そうなんだ、それだとダメなんだ、全乳にしてバナナも一本半にしないといけない。じゃあ僕が作り直すから。プロテイン台所に捨てー。いやいいだろ! 朝のプロテインの成分がちょっと変わっただけでそんなネチっこく言わないでいいよ! おっ、ありがとー、やっぱプロテインうめー! あ、でももっと筋肉付けたいから明日からこれとこれ入れて作ってくれると嬉しいわ。レシピ書いとくからね~……ぐらいの対応で良くない!?

ともうこの人ずっとこんな調子で妻も妻で無神経でガサツなところはあるのだがその言動の一つ一つにいちいち気に病んでしまうのはさすがに余裕がなさ過ぎるだろう。そういえば最近読んだアメリカの人のエッセイ本にこんなホラー映画が怖かったといういろんなアメリカの人の声が載っていたのだが、そこで挙げられているホラー映画が『グレムリン』とか全然怖くないものばかりだったので、そんなものを怖がるアメリカの人はかなり怖がりな国民性なのかもしれないとか思ったものである。マッチョといえばアメリカ、アメリカといえばマッチョというイメージだが、実はマッチョなのは肉体だけで、精神的にはほとんど鍛えられていないために、やたらとクスリだの宗教だのに頼ったりなんかするのがアメリカの人(とくに男の人)なのかもしれない。格闘技関係で言えば、かのハルク・ホーガンも自殺未遂を起こしているとかなんとか。

ケアーが負けを認められず、そのために人生初のプロの試合での敗北によってスーパー動揺しまくり人生が崩壊しかける『スマッシング・マシーン』は、まぁ別に実話なんだし書いちゃってもいいと思うが、最終的にケアーは再びの敗戦を経験して、今度はそれをしっかりと受け入れることになる。試合に負けて勝負に勝つとはこのことかもしれない。自分の弱さを認められない弱さを認めるというのが精神的な強さなのだとでも言えばなにやら宗教めいてくるが、でもまぁそういうことだしな実際。自分の平凡さを認めること、と言い換えてもいいかもしれない。自分は特別な人間で誰よりも強くて無数の可能性を秘めているんだなんてのは子供の空想に過ぎないし、得てしてそういう人は自己中心的で周囲の人を平気で傷つけたりするものだが、いやそんな特別な人間じゃないんだ、大して強くないし可能性もないしという現実を受け入れるのは精神的にタフな大人じゃないとできないことなんじゃないだろうか。そしてそれを認められた時に人は自分のことだけじゃなくて周囲の人間を気に掛けたりできるようになるんじゃないだろうか。いいですね。しみじみと良い映画、

ところで、自分こそ最強と信じて疑わない実在のスポーツ選手を主人公に、試合での敗戦による大きな動揺とそこからの回復過程を描くというのはこの映画の監督ベニー・サフディの兄ジョシュ・サフディの最新監督作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』と同じである。しかもどっちも試合の舞台は日本で対戦相手も日本人選手。なんか兄弟でそういう縛りを設けて競作でもしたんだろうか。作風はだいぶ違うのだがこの二作はどちらも言っていることが同じというのは面白いところかもしれない。つまりは、負けを認めろ、平凡であることを受け入れろ、である。思えばサフディ兄弟が共同監督した『グッド・タイム』もそういうお話だったから、自分の弱さを受け入れられないアメリカ人の弱さをどうにかすべきだという問題意識がサフディ兄弟にはあるんじゃないだろうか。自分の弱さを受け入れられないからこそ無駄に軍事力を誇示して他国に侵攻したりするんだし……。

※それにしてもドウェイン・ジョンソンの筋肉はスゴイ。同業他社といった感じで元トップレスラーの本領発揮。その筋肉があるからこそケアーの精神的な弱さと成長が見えるというものだ。試合もリアル路線で見応えありました。

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