全体的に味付けが雑な幕の内弁当みたいな映画『箱の中の羊』感想文

《推定睡眠時間:0分》

哲学者のギルバート・ライルという人はデカルトの心身二元論を批判してそれを「機械の中の幽霊」(Ghost in the machine)と呼んだそうな。この場合の機械は人間の肉体で幽霊は人間の心を指すということで、『箱の中の羊』は子供を亡くした夫婦が死んだ子供の記憶を全身シリコン製のロボに移植して(機械学習させて)一緒に暮らすというお話だから、たぶんこの「機械の中の幽霊」が『箱の中の羊』というなんだか抽象的なタイトルの由来なんだろう(そしてみなさんお気付きかもしれませんが「機械の中の幽霊」は「Ghost in the shell」こと『攻殻機動隊』の着想源でもあると思われます。だから『攻殻』の中では人間の魂をゴーストって呼んでるんだね。たぶん紙のコミック版には欄外にそのへん書いてあるはず)

ライルが言うのは「幽霊」だがしかしこちらは「羊」である。死んだ息子の記憶を移植して息子の代わりとして扱うのだから幽霊の表現もピッタリではあるのだが、羊というとなんだか家畜のようだ。事実この死んだ息子ロボをお母さんの綾瀬はるかはほとんど家に閉じ込めて家畜のように育てる。息子の代わりなのに家畜とは矛盾するようであるが、綾瀬はるかは息子を死なせてしまった事実を乗り越えられないでいる人なので(それでこの怪しげなロボの怪しげな無料キャンペーンに応募したらしい)、せっかく還ってきた第二の息子を今度は絶対死なせてなるものかと神経質になり、在宅勤務の自分の目の届かないところへは行かせないようにしているのだ。

綾瀬はるかが優しさいっぱいの笑顔で息子ロボを囲い込んでそれが息子ロボのためだと信じて疑わないサマははたして監督の是枝裕和がどの程度意識したのかはわからないがかなりホラーである。そりゃロボだからまぁいいけどこれ生きてる子供相手にやったら児相通報事案だよな。『誰も知らない』は育児放棄の虐待だったけどこれはその逆で育児過剰の虐待だ。子供も子供で一人の生きた人間なんだからもっと自分の意志で自由に行動する権利があるじゃろう。ということでどうせ自我っぽいものが芽生えるに決まっている息子ロボの予期せぬ自律行動と、それを通して綾瀬はるか(と夫の千鳥・大悟)が息子ロボはあくまでも息子ロボであって息子本人じゃないんだ、息子本人は死んでしまったんだ……と息子の死という事実を受け入れるまでのドラマを描いたのがこの映画とざっくり言えるだろう。

ところで是枝裕和という監督の世界には他者が存在しないと俺は結構前から俺の他に誰も存在しない六畳一間風呂なしエアコンなしトイレ共同和式の木造アパートの汗と糞便の匂いの漂う自室の中でぬふぬふ笑いながら独り言で文句を言っていた。『海街diary』の頃からなので本当に結構前からである。他者がいないというのはつまり主人公(たち)と本質的に異なる考えを持つ人が出てこないということである。是枝裕和の映画には貧困などの社会問題を取り上げているにも関わらずやけにユートピア的な空気を持つものが多いのだが、それは主人公が自分と本質的に異なるような考えを持つ人物とはコミュニケートしないことから生じるものであった。他者が存在しない同質的な集団内では以心伝心でなんでも伝わり意見の対立とかは生じないからストレスもないだろう。それが是枝映画のユートピア性の源であり、言い換えれば排除の原理であった。俺はそれが気に食わなかったので是枝映画には他者がいない他者がいないと俺の他に誰も存在しない六畳一間風呂なし(以下略)

そんな俺の呪詛が届いたわけでもないだろうが是枝裕和本人もうーん自分の映画には他者がいないなぁと問題意識を持っていた気配があり、近年の是枝映画『怪物』で脚本に坂元裕二という是枝裕和とは方向性を異にする世界観を持った才能を入れたりしたのは(是枝裕和一人の判断でもないだろうが……)そうした問題意識からのことではないかと思ったりするのだが、今回の『箱の中の羊』はそれがもっともハッキリと表に出た是枝映画と見える。だって人間とロボが同居する映画だしね。ロボなんて他者の最たるものであるし、しかも一緒に生活するうちにどんどん人間とロボの差異=他者性が浮き彫りになっていく。

他者への開かれは何もストーリーに限ったことではないかもしれない。俺の印象では『箱の中の羊』はこれまでで一番是枝映画っぽくない是枝映画であった。あの特徴的なドキュメンタリー風のタッチがほとんど見られないだけじゃあなくSF造型も入れるしCGだって使う、更にはたぶん多くの是枝ウォッチャーが意表を突かれたであろう千鳥・大悟の主役級抜擢。ついでに言えば東京03の角田晃広も出演しているので有名芸人さんが二人も出演という是枝映画とは思えぬ一般客向けの娯楽作っぷりである。こうした娯楽性を優先したのか人間とAIの違いはどこかとか子供の死の経験とはどんなものかとかもしAIが自律性を獲得したらどうなるかとか諸々のそれだけで映画一本作れる問いかけに対する洞察は浅く、雑に問題提起だけしてろくに問題に答えないまま最後はなんかふわっとハッピーエンド風に終わるのでたぶん批評筋にはウケが悪いだろうなとか想像するのだが、個人的な好みとして映画祭で賞を獲りたくて露骨に批評家ウケを狙った映画よりは賞とは無縁だが多くの人が喜ぶ大衆向けの浅い娯楽作の方が好感が持てるので、ずっと他者を退けてきた(ように見える)是枝裕和がそっち方向に舵を切ったというのもあり、こういうの悪くないじゃんって俺としては思う。

ただそんなに面白いわけではなかったな。いや、だって、こういうの藤子・F・不二雄先生が描くじゃん、しかも長くても30ページぐらいでまとめた上に深い洞察をテーマに突っ込んでくじゃん、みたいな。誰が見ても面白いような娯楽作で斬新な設定とか展開はできないから何度も見たようなものばかりになっちゃうのは仕方がないことではあると思うんですけど、そういうのはアクションとかホラーとかなんか変な脳内物質を出してくれる見せ場のある映画だから気にならないのであって、アクションもホラーもないヒューマンドラマ調のSFで何度も読んだようなネタとか展開とかをやられたらやっぱ新味がないなーって思っちゃうよね。SFといってもごく近未来の設定だからロボが出てくるのとドローンが配達してる以外にSFらしさを感じられるところがないし、オッと目を引く強い場面もない。手垢が付いているとはいえ色んなアイデアや展開を取り込んだシナリオは幕の内弁当みたいで面白いとも言えますけど、これといって強調されるものがないのでどうも盛り上がらない。

子供の死を受け入れられない親の心情を描いたSF映画で言えば『人魚の眠る家』という映画が俺のお気に入りなのだが、この映画は原作が東野圭吾だからか「死んだ子供をもし先端科学によって生きているかのように見せられたら?」というアイデア一つを舞台を一軒家に限定していろいろ掘り下げてみせるシンプルで芯の太いプロットになっていて、それを脇道逸れずサスペンスフルに綴っていたから面白かったし、役者陣の熱演も実に映えた。『箱の中の羊』という映画をこれと比べるなら、こちらはどうもプロットが細くてストーリーの誘引力が弱いように感じられる。というわけでなんだか雰囲気映画っぽく見えてしまうのだな。雰囲気映画が悪いわけではないけれども、しかしSFというのは論理や思考が面白さを生む(ことが多い)ジャンルなので、SFなのに知的な挑戦をしないで雰囲気映画っぽい作りにされると……まぁ他の人は知らんけど俺はそんな引き込まれないのだ。

それにしても大悟、あまりにも普段の大悟そのまま。そこが面白かったのと、あと綾瀬はるかが息子ロボットを溺愛するので、俺も7歳の子供になって綾瀬はるかに溺愛されたあああああい! ってなったのは良かったです。

※劇中の説明によれば息子ロボは全身シリコン製らしいのだが、シリコンというのはちょっと置いておくとすぐベッタベタになるから毎日お手入れしないといけない結構不便な素材である。そのお手入れの描写がなかったのと、シリコンの肌に綾瀬はるかが違和感を持つシーンがなかったのは物足りなかった。だって息子ロボが家にやってきたらたぶん抱くでしょう。そしたらシリコンの感触で「あ、人間じゃない……」って反射的に感じて違和感持つでしょう。そしたら息子のようで息子じゃないこの存在はなんなんだって内心動揺するよね。そういうディテールをちゃんと積み上げていくとSFのストーリーは自然と面白くなると思うんですけど、この映画はそういうの全然やってなかったなぁってことです。

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