《推定睡眠時間:0分》
1作目と4作目しか観てないのでその間オモチャたちに何があったのかは知らないがまぁ様々な試練に立ち向かってきたことではあろう、しかしそんな百戦錬磨のオモチャたちの前についにオモチャの存在意義を揺るがす最強の敵がやってきた。そう、子供用タブレットである……!! というお話だがそういえばこのシリーズって家庭用ゲーム機って出てきたことがあるんだろうか。初代『トイ・ストーリー』は1995年の公開なのだがゲーム史的にはその年すでに初代プレイステーションが発売されており(1994年12月)、ファミコン、スーパーファミコンと日本の子供たちの場合は遊び道具がすっかりオモチャからゲーム機に塗り変わっていたわけである。
アメリカでは日本ほどスムーズにキッズ層へゲーム機が行き渡っていなかったかもしれないのだが、それでもプレイステーションの登場は相当なインパクトだったはずで、アメリカでは4000万台ぐらい売れてるというから子供が遊ぶものとしてのプレイステーションの地位は遅くとも2000年頃には確立されたんじゃないだろうか。そう考えると『トイ・ストーリー5』でお馴染みのオモチャたちがタブレットというデジタルの脅威に直面してうろたえるというのは面白い設定なのだが今更それを? の観もあるかもしれない。まぁ俺が観てないだけで過去のシリーズ作のどこかではオモチャたちがスーファミなりプレステなりと対決していたのかもしれないのだが(しかしそれならタブレットにカルチャーショックを受けることもないような気もするのだが)
こういうのが観ながら頭にずっとあったのは今回はオモチャが友達の輪を広げるというお話だからであった。オモチャたちが仕える8歳くらいの少女ボニーちゃんはおままごとが大好きで今日もいつものオモチャを使った結婚式殺人事件を一人で遊んでる。それはそれでいいんじゃないかと思うがアメリカでは友達のいない人間は異常者と見なされるらしいので娘の孤独っぷりを心配したご両親は友達ができないのはみんなが持ってるタブレットをボニーちゃんだけ持ってないからかもしれない……と余計なお世話を焼いて子供用タブレットを買ってくる。タブレットはペアレンタルロックの範囲でなんでもできるのでボニーちゃんオモチャなんか放り捨ててタブレットに夢中である。更にグループチャットを使ってあまりにもあっさり近所のガキと繋がってしまった。いやだがちょっと待て、そんなのは本当の友達じゃないしそれに……本当の遊びじゃないだろ! かくして捨てられ危機に瀕したボニーちゃんのオモチャたちのリーダー・ジェシーはボニーちゃんに本当の友達を与え本当の遊びを叩き込むために家の外へと繰り出すというのが今回のざっくりあらすじである。
そういう内容だから自分の子供の頃は友達とどんなオモチャで遊んでたかなと考えたらもっぱらゲーム。外で遊ぶ時は中学二年ぐらいまではかくれんぼとかドロケイとかをやっていたが家で友達と遊ぶ時はゲーム以外のオモチャで遊んだ記憶ってない。俺が小学生だった当時子供たちのメインゲーム機はスーファミとゲームボーイ。スーファミだと『ボンバーマン』とか『マリオカート』みたいな対戦型から『ファイナルファイト』みたいな協力プレイまで多人数プレイができるソフトがいっぱいあったし、ゲームボーイはその頃『ポケットモンスター』が流行ってたからソフト持ち寄ってポケモン交換とかやってた。最近のポケモン事情はあまり詳しくないが初代ポケモンって通信ケーブルでゲームボーイ同士を繋いで持ってるポケモンを交換できるっていうのが売りだったんだよな。
ゲームを通した友達との交流は現行機のSwitch2にも見られる任天堂の哲学みたいなところがあって、その後ゲームハードが進化すると深いストーリー性を持つ一人用ゲームとかがとくにプレイステーションとかセガサターンでは増えてきますけど、でもそれにしたってみんなで集まって『バイオハザード』みたいなホラーゲームなんかわいわい騒ぎながらやってたから、孤絶した一人遊びだったという記憶はとくにない(高校三年間では友達が一人もできなかったがそれはまた別の話である)。何が言いたいかと言うと、『トイ・ストーリー5』のオモチャ観とかデジタルデバイス観、古くない? ということである。
てかなんか全体的に保守化したシリーズ最新作って気がしたな。前作の『トイ・ストーリー4』はオモチャが子供たちの世界を去って自分たちの人生を生きるというお話だったからシリーズのファンには蛇蝎の如く嫌う人もいるが、シリーズにとくに思い入れがないというのもあって俺は『4』をそれなりに楽しめたし、これまでずっと子供のために生きてきたオモチャがもう古くなってるし余生は自分のためにと決断するのはシリーズを重ねる中での当然の展開だとさえ思った。イイじゃんねぇなんか定年後の中高年みたいで。
けれどもこの『5』では結局またオモチャは子供のために存在すべきというところに戻ってきてしまったし、その上でタブレットみたいな新世代のオモチャはお人形みたいな旧世代のオモチャよりもイイ遊びは提供できないとでも言いたげな描写がされ、俺がクリスチャン・ライトと呼ぶピッカピカの夕陽が丘の上のタイヤブランコを暖かく照らすラストシーンから漂うのは現在や未来ではなくだいぶ強めのノスタルジアである。主人公のオモチャが西部劇の世界をモチーフにしたカウガールというのもなにやら象徴的ではあるまいか(元の主人公のウッディからしてカウボーイだが)
オンライン接続でアップデート可能な新型バズ・ライトイヤー軍団が賑やかしのためだけに投入されたような感じであんまり物語上の存在意義がないとか、新オモチャのタブレット・リリーパッドとメインオモチャの交流が薄くないかとかそういうのもあるとはいえ、なんだかんだピクサー映画だし安定して面白かったけど、妙にこぢんまりまとまって大きなドラマとか冒険とかもないし、なんかその保守性にはこれでいいのかなぁピクサーの新作なのに、とか思ったりしないでもないのであった。それにしても、友達がいない子供はそういう子供なんだから自然にできるまで放っといたらいいのに(できなければできないでいいじゃないの)、親もオモチャも無理矢理にでも友達を作らせようとするアメリカっておそろしい国ですね!
※新型バズ軍団に『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』的真実を叩き込むバズには笑った。あと俺の好きな『トイ・ストーリー』のオモチャは恐竜ですが、初代から続投のレギュラーオモチャは今回あんまり出番がなくて残念。
トイストーリー2にて「主人のアンディが留守の時に、勝手にテレビゲームやってるオモチャたち」って描写がありました。
しかもバズ・ライトイヤーのゲームだから「別のオモチャのバズやオモチャのザーグ」と関わることになった時に、ゲームのストーリーを思い出して話を合わせないといけない展開でした。
過去の短編だと「今日は習い事の日だから帰りが遅くなる」程度で、主人に友達がいるかどうかそもそも気にしてませんでしたね。