【ネッフリ】『ロクサーヌ、ロクサーヌ』の感想

ロクサーヌ、ロクサーヌ[Netflix]

《推定ながら見時間:75分》

ヒップホップと縁が薄いのでロクサーヌ・シャンテという若干14歳で電撃デビューを果たして実在の(元)女性ラッパーの伝記映画らしいがその点には特に思うところもなく…Nas、Nasというラッパーの人は名前だけ知ってる。なんかの映画に出てた。

そのNasさんもロクサーヌ・シャンテさんと同郷(ニューヨークのクイーンズ)らしいので『ロクサーヌ・ロクサーヌ』に出てて、これは『イップ・マン 葉門』で言うところのブルース・リー登場シーンのようなものだと思うから、その筋の人には堪えられないところなんだろう、と想像する。しかし想像の域は出ない。

東海岸ヒップホップの歴史に通暁していれば都度あぁ、あれね、みたいな楽しみ方もできたのかもしれないが、そういうわけでまったくわからない。わからない人間からすればよくある貧困ドラマとかサクセス挫折ストーリーとしか映らないから無知は世の中をつまらなくする。

ただでもこれはあえて平凡なロクサーヌ・シャンテを描き出そうとしたんじゃないかと思わないでもない。正直に言いますが俺はロクサーヌ・シャンテのラップの良さなんてまったく皆目理解できずー、そんなところよりも強く印象に残ったのはたとえば、14歳のころのロクサーヌ・シャンテが母親に反抗して母親からくすねた口紅を塗る場面と、仁義なきヒップホップ業界に揉まれてぐしゃぐしゃに傷ついた20歳とかそれぐらいの(よく見てなかったので…)ロクサーヌ・シャンテが再び同じ行為を反復する場面。

むかし、といってもほんの数年前の出来事のはずなのだが、むかしは母親から逃れたくてむかつく奴らに舐められたくなくてさっさと大人になりたくて塗っていた口紅を、出産・DV・別居・業界(金銭)トラブル、等々を経たロクサーヌ・シャンテはもう戻ることのできないあの頃を追憶して、塗る。

そういうのを大袈裟にやらないから良かった。メンタル瀕死のロクサーヌ・シャンテを母親がそっと静かに抱きしめる場面の自然さ、なんてヒップホップ・レジェンドの伝記映画とはとても思えないけれども、(音楽の)歴史には記述されないありふれた、凡庸な、普通の女の人の個人的な哀歓を綴ろうとするっていうのは、なんでもかんでもショウアップして神話的に(または、変革の原動力として)偶像化してしまうショウビズ業界への批判とも取れるし、自己と乖離した巨大なイメージに押し潰されてしまった無数のアーティストたちに対するレクイエムとも映って琴線に触れる。

映画ではそこまで描かれなかったように思うが、その後ロクサーヌ・シャンテさんはさっさと仁義なきヒップホップ業界から足を洗って現在は別のお仕事をされているとのこと。
劇中でロクサーヌ・シャンテのDV旦那を演じてたのは『ムーンライト』のマハーシャラ・アリ。『ムーンライト』でも危険なかほりをギラギラと発散していたが今回も。
愛してるから殴ったんだ…の台詞の心のこもらなさったら素晴らしいの一言。DV内容がチョークスリーパーっていうのも悪い男だが本当は気が弱い感じが出ててなんかよかった。

そういえば『ムーンライト』もこういう映画だったねぇ。ありふれた、凡庸な、個人的な哀歓の。

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ただそこに人がいて、その人がこういう風に生きていて、ていう私的な歴史を誠実に描き出そうとする映画っていいっすよね。

↓ロクサーヌさんのやつ

Bad Sister

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