ドキュメンタリー映画『港町』の感想(ネタバレの危険性多少あり)

《推定睡眠時間:0分》

ポスターに書いてある惹句がすごいから思わず引用してしまう。

泡沫夢幻
空前絶後
ドキュメンタリー映画の
臨界点

すごく墨書したい文字並び。一行目からしてすごそうな言葉が書いてある。泡沫夢幻! 意味知らないけどそれ絶対すごいやつじゃんなんか文豪的な。意味ググったら人生の儚さを表す言葉とか出てくるじゃんやっぱそれ絶対すごいやつじゃん古典的な。
嘘でしたけどね。いや嘘でいいんだよ嘘ついてこそ宣伝だと思うんですよぼくは…でも嘘でしたけどね。なにがドキュメンタリーの臨界点じゃい。ポスターの発するすごそう感とか本編開始5分で消えたわ。
まさに泡沫夢幻の誇大宣伝。あぁ、なるほど、そういうことか…。

なんでもこれは想田監督の前作『牡蠣工場』の撮影に付随して制作されたやつ。『牡蠣工場』の実景撮ってる時に出会った老漁師のワイちゃんさん(さかなクンさん的な)のキャラが面白かったのでそのまま撮ってたらなんかやべぇ人がカメラに映り込んできてしまった。
やべぇ人である。クミちゃんさんといういつもそこら中ほっつき歩いてる謎の老婆なのだが、やべぇ人だったのである。映画? 映画撮ってるの!? なら向こうの方行ったら良いシーン撮れるぞ! 行こう! ほら猫! 撮ってもらえ! ポーズしろ!

フィクション/ノンフィクション問わず映画であるからにはそれも一つの作られたストーリーであることは頭の片隅で理解しつつ、淡々と映し出されるワイちゃんの日常風景に突如として乱入し騒々しくディレクションを始めてしまうこのババァDに多大なる衝撃を受ける。
衝撃を受けたのはカメラを回す想田&柏木夫妻も同じだったらしいので、ワイちゃんの静かな日々から一転、ババァDの登場によってカメラは強烈キャラのひしめく異界・岡山県牛窓の深奥に迷い込みやがて時空を遡り…というある意味『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』みたいな映画に変貌してしまうのだった。

実際このババァDことクミちゃんさんのディレクションが無ければ少なくとも今の形の『港町』はあり得ないのだし、そもそも単独の作品になったかどうかも怪しいので(『牡蠣工場』に組み込まれるか姉妹編のような形になったのではないか)、共同監督または演出補佐の肩書きぐらいエンドロールに書き入れてやればいいのに別に大手とか製作に噛んでるわけじゃないんだからと思うが想田和弘は大人なのでそんな戯れはしない。

そういう大人の態度と大人の距離感と物の分かった大人面を頑なに崩そうとしないから俺は嫌いなんだよ映画監督・想田和弘が…。

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なので終始想田この野郎とか思いながらスクリーンを眺めていたが腹立たしいことにはそれが結局おもしろさを呼び込んでいたので。困ってしまうねこういうのは。
魚屋の女将の配達に半ば強引に同行する想田カメラ。「おばさんおいくつなんですか?」「後期高齢者ですよ!」「えぇ、お若いじゃないですかぁ」「後期高齢者です!」「本当はいくつなんですか?」「後期高齢者なんです!」
無遠慮だし社交辞令にハートがこもってなさ過ぎるし強引に付いてったくせにあんまり被写体に興味がなさそう(※個人的印象)でムカつくが、でもこのやりとり爆笑。後期高齢者による後期高齢者宣言の反復は効くよ…。

これは根本敬的な取材手法というものだろう。腰も熱も低くして無害な観察者を装いながら取材対象に勝手に喋らせることでその独自性と無自覚なパワーワードを引き出していくというやつ。
サブカル/非モテ界隈のスローガンに転用されて久しい「でもやるんだよ!」も元はといえばこのようにして根本敬が(それ動物虐待では…?)的な危うい感じの愛犬家から引き出した魂の叫びなんだから、ジャーナリズムでもなければポエムでもなく愛もなければ興味もそんなにない冷血取材の重要性もわかろうというものだ。

ところで『港町』は生活の中の反復行為というものが頻出する映画で、耳が遠く半ボケ入ったワイちゃんさんの網を結う手の正確さには驚かされたし、後期高齢者の連呼には大いに笑わされたりするが、こういう普段は意識しないような反復行為の数々が撮影期間ほんの数日と思しきミニマム映画に豊かな時間的広がりを与えていたようにおもう。

反復、というかこれは反響かもしれないが野良猫に餌を与える夫婦? 親子? が出てくる場面があって、その女性の方が何か言うや傍らの男性もついついオウム返ししてしまう。
「やっぱり餌やりに反対する人はいますね…」「そうそう、反対する人もね…」「でも段々と可愛がってくれるようになって…」「そうそう、段々とね…」「丘の上にお墓があるんですよ」「そうそう、丘の上に…」

こんなもの笑いを禁じ得ないが、二人の過ごした時間の長さを物語っているようでなんとなく感じ入るところがあった(それにしても、この場面に偶然入ってくる墓参りおばさんの着用していたウィンドブレーカーのプリントは、演出でなければ映画の神が舞い降りたとしか言いようがない)

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反復行為が画面に描き出すのは老いた港町の老々扶助の諸相。魚売りの後期高齢者が病院帰りの後期高齢者の荷物を持ってやろうとしたりするが、とりわけ印象的だったのはやっぱババァDの共同監督兼主演作というわけで行き場がないので毎日船着き場にやってくるババァDクミちゃんさんと相棒的なババァの人の絆というのかなんなのかよく分からないが、しかしなにやら切っても切れそうにない関係だった。

体が悪い相棒的なババァの人の目の前で嬉々としてそのプライベートを暴露してしまうババァD。面白い映画にするためなら相棒を売ることも厭わぬ演出姿勢には工藤Dの「海外では売れるんだよ!」が脳裏にリフレインしたが、そんなババァDに対する相棒的なババァの人の物言わぬ冷たい眼差しを容赦なくクロースアップで捉える想田カメラもそれはそれで工藤/白石晃士的映画の鬼が憑いている。

反復行為に満たされた予定調和の空間をババァDが突き破るの図、というわけでそこからいやもう本当びっくりな展開になったが衝撃的なクライマックスののち、黄昏のババァDがふと振り返るとそこにいつの間にやら相棒的なババァの人が来ているのだった。
「なんだ、登ってきたのか」「うん、登ってきたよ」このときの二人の顔。死を見据えた寄る辺ないババァ同士の連帯だ。これは沁み過ぎたので嫌がる想田カメラ(※個人的な印象)を無理矢理このクライマックスに引きずり込んだババァDの演出手腕には超すげぇの感想しかない。

あとこれ猫映画です。野良猫に餌をやる二人も出てくるぐらいなので猫いっぱい出てきます。これが地域猫というものか。
人間(エサ)が近づくとゴロニャンと寝転ぶから野良のくせに野生を完全に忘れているが、釣り人が放った魚をすかさずキャッチ、子猫たちの下に持って行く母猫の姿には野良の矜持を感じたりもした。

愛猫家として(も)名を馳せた画家の猪熊弦一郎は猫は数を増やせば増やすほど面白いと言ったらしいが、映画の場合も猫は多ければ多いほど良いので猫大量というだけで既に幸せなので『港町』はセコイ。
だって映っちゃったんだもん的に言われたらまったく反論できないがいやでもやっぱあったんじゃねぇの猫ぶっこんだら客も食いつくだろみたいな身も蓋もない商業的打算みたいなやつ。

もーそういう感じ嫌いだわー。この監督の映画作りのそういう商売的な巧さなんか嫌だわー。安全圏から絶対動かない感じのー。風評被害っていうか妄想被害かもしれないけれどもー。
でもまぁそういう瑕疵のない完成された(悪く言えば閉じた)安全な映像世界が前提としてあるから、そこに収まりきらないクミちゃんさんの存在がまったく想定外のサスペンスすら生んで、見てるこっちまで揺さぶってくる映画になったんだろうなぁとも思うわけですが。

【ママー!これ買ってー!】


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『牡蠣工場』はソフト化の予定が今のところ無いらしいので代わりに『コワすぎ』の劇場版を貼っておきます。

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