《推定睡眠時間:35分》
洗濯工場か縫製工場のようなところではたらく主人公の戦争寡婦が工場の出口から出てくるシーンが何度か映し出されるが、ここでカメラは工場の入り口の正面に据えられフィックスの構図で工場の門が開けられ中から溢れ出す女工たちを捉える。こりゃあ今の形の映画の生みの親であるリュミエール兄弟の最初期の映画『工場の出口』の反復だな。工場から溢れ出す大勢の女工の中から一人だけポツンと違う方向に歩き出すのが主人公というわけで、『工場の出口』は1895年の作、こちら『ガール・ウィズ・ニードル』は第一次世界大戦中~後を舞台としているので時代は20年ぐらいズレるのだが、いうならば『工場の出口』では描かれなかった、あの工員たちはいったいどんな人生を送ったのか? ということを描いたのがこの映画であった。
しかし禍々しい予告編から俺が勝手に思い込んでいたのはホラー、それも因習などの絡むオカルト・ホラーないしはフォーク・ホラーである。全然ちゃうやないか。そりゃ勝手に誤解したこっちも悪いが「今年もっともおそろしい映画」みたいなテロップが乗る不協和音とモノクロ・スタンダードの組み合わせはロバート・エガースの『ライトハウス』などを彷彿とさせて(厳密には『ライトハウス』はスタンダードではなく正方形ですが)なんかA24系のホラーっぽく見えたのである。だもんだから途中で「あれ…これ…ホラーじゃないな…?」と気付いてからはちょっと興味が失せてしまった。コワイ話といえばたしかにコワイ話だが、どちらかといえばこれは『ひまわり』のような戦争悲歌だろう。『異端の鳥』なども戦争周りの悲惨な話・モノクロという共通点もあって似た種類の映画かもしれない。
さて主人公は貧しい暮らしを余儀なくされている戦争寡婦なのだがおそらく死んでいると思われる兵隊の夫の死体が出てこないので遺族年金が支給されない。困った、どうしたものか、ということで相談しに行った工場長? かなんかの男と恋仲になっちゃってそいつは金持ちだからこれで安泰だなんて思ってたらコイツがヘタレ、すいませんお母さんがダメっていうからやっぱり婚約なかったことにしてください…と妊娠した体で再び路頭に追いやられ、進退窮まったところである女と出会う。この人のお仕事というのは養子縁組の斡旋だったのだが…とそんな感じのお話。
それと並行して、実は生きていたが戦場で口腔と顎を失って社会復帰がままならず、工場長と結婚するために(このときは破談になるとは思ってなかった)主人公からも家を追い出されてしまったので恐怖!口がナメクジみたい男!として見世物小屋で働くことになった主人公の夫も描かれる。アッチも悲惨でコッチも悲惨、どこを見回しても悲惨だらけの戦争ってぇのは、いやぁ、たとえ終わっても人々に多大なる傷痕を残す、本当におそろしいものですねぇ。てなわけである。
観る者をげんなりさせる悲惨悲惨悲惨のオンパレードは楽しいが(人としてどうなのか)しかし擬古調のモノクロ・スタンダードに不協和音を載せて恐怖を煽る演出はどうにも安易で下品。いや、安易で下品でも別に殺人鬼が暴れるC級ホラーとかならいいけど、一応これ内容的には真面目な戦争悲歌なんだから、そこは「どうです…コワイでしょう…ヒサンでしょう!!!」と言わんばかりの扇情的で安っぽい奇を衒ったようなホラーテイストじゃなくて、ちゃんと戦後映画として『自転車泥棒』みたいに撮って欲しかったのよ。
だから面白かったけどあんまり好きな映画ではなかったな。なんじゃろね、やっぱ戦争被害っつーのは重いもんですから、B級ならB級でいいけど、真面目にやるなら真面目にやるで覚悟を決めてやってほしいつーかね。そういうのがあんのよ俺には一応。最終的になんかイイ話っぽくなるのもウケ狙いが見え透いていてなんかイヤ。