酒池肉林魔改造映画『カリギュラ 究極版』感想文

《推定睡眠時間:60分》

たぶんこれは映画本編よりも映画の内幕の方が面白い映画で、まず1980年のオリジナル(と言えるのか?)劇場公開版『カリギュラ』なのだが、監督はヨーロピアン・エロスの巨匠ティント・ブラス、脚本は挑発的な作風で知られるアメリカの鬼才作家ゴア・ヴィダル、製作は当時のペントハウス誌社長ボブ・グッチョーネという布陣、キャストも『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マグダウェル(暴君カリギュラ役)、『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥール、そして下積み時代の『クイーン』ヘレン・ミレンとなんだかすごいのだが、イタリア映画によくある話で(アメリカ/イタリア合作)製作トラブル勃発、監督ジェス・フランコが撮影がめんどくさくなって失踪したので代役監督をジャン・ローランが務めた『ナチス・ゾンビ/吸血機甲師団』とか監督ルチオ・フルチが撮影中に入院したのでブルーノ・マッティが代打で大部分を撮った『サンゲリア2』みたいに監督ティント・ブラスがどうやらグッチョーネとの路線対立により外され、ゴア・ヴィダルの脚本も大幅改変、代わりにグッチョーネが雇ったジャンカルロ・ルイがグッチョーネの意の沿うように当初無かったハードコア・エロシーンを多数追加撮影して完成したのがオリジナル劇場公開版『カリギュラ』とのこと。

映画は世界的に売れたらしいものの、当然この改変には関係者みんなそれなりに有名な人だもんだから異論噴出、とそういうわけで「じゃあ本当のオリジナル版を復元してやろうじゃないの!」なんて感じで有志が集結、オリジナル劇場公開版から四半世紀の時を経て完成したのがこの『カリギュラ 究極版』なのだが、あれー1980年のイタリア映画にしてはずいぶん流暢に動くアニメが出てくるなーなんて冒頭のカリギュラの見る夢のシーンを見ながら思っていたら、さきほど映画祭とIMDbのトリビアコーナーを見て驚愕、なんとこの『カリギュラ 究極版』、単にオリジナル劇場公開版で使用されなかったシーンを足したり追撮されたエロシーンをカットした復元版ではなく、未使用ショットの使用やエロシーンのカットはもちろんのこと、デジタル合成によって色調や背景セットを加工し、AI補正によってこれまで聞き取れなかったセリフを新しく作り、音楽もすべて別の作曲家による新曲に差し替えた上で全面的な再編集を施した、オリジナル劇場公開版で使用された場面は一つも存在しない魔改造新作だったのだ。それで冒頭にいやに流暢なアニメが入ってたのか!

グッチョーネ介入前のオリジナル・オリジナル・バージョンを仮にブラス×ヴィダル版とするならば、グッチョーネが改変した劇場公開版はグッチョーネ版、そしてこの『カリギュラ 究極版』は美術史家トーマス・ネゴヴァンが監修したということでネゴヴァン版と言えるだろうか。こうなるともはや復元とも言えず、こういうものをどう評価したらよいのかわからなくなってしまうのだが、とりあえず言えることはこのバージョンで新たに付け足された冒頭の長い作品成立背景説明テロップの最後に出る「この映画は今でも世界中で愛されている」という一文は確実にウソだろということだ。

歴史はまったくわからないのでストーリーなんかほとんど頭に入ってこなかったが要はこれは暴君カリギュラの狂気じみた治世をエログロ満載酒池肉林で描こうとした映画だろう。すぐ人が死ぬしすぐ人が裸になるしすぐ人がセックスする。毎シーン死ぬか裸かセックスかのどれかは画面のどこかしらでやってる。それをイタリアの職人芸光る壮麗なセットに乗せて舞台劇のように見せていくという点でグリーナウェイの『プロスペローの本』に近いと言えるし、インスピレーション元としてはキリスト教以前の古代ローマのキリスト教的視点から見れば退廃かつ野蛮の極みと見える世界を描いたフェデリコ・フェリーニの裏代表作『サテリコン』だろうな。物語も演出もダイナミズムに欠けるのでダラダラとカリギュラ世を観察するエログロ満載のわりには妙に淡泊なのだが、そういう系統の映画としてはなかなか面白かった。全裸の兵士軍団が狂ったカリギュラの命で水草を刈るシーンの壮大なシュールさとか好き。

あとこれはマルコム・マグダウェルがカリギュラ役っていう采配がよかったよな。カリギュラはどうもそのうち自分は誰かに殺されるんじゃないかという恐怖に怯えてそれから目をそらすために狂気に染まっていくようなのだが、それがなんか『時計じかけのオレンジ』のその後に見えるのよ。散々悪いことをやってきた『時計じかけ』のアレックスはラストで暴力を振るえないよう洗脳されていたのが解けてしまうわけだけれども、洗脳は解けても出所してから各地で受けた自業自得な暴力の記憶は消えていないだろうから、アレックスはあのラストの後でずっと他人に怯え続けるかもしれないし、そのためにかえって殺られる前に殺れって感じで暴力を積極的に行使するようになるかもしれず、それは『カリギュラ』でのカリギュラの心理と重なるところの多いものじゃないだろうか。そう考えるとラストの虚しさ、なんか切ないな。やっぱいつか自分に跳ね返ってくるから悪いことはしないほうがいいとおもいます。

そんな感じで、一本の映画として成立背景など何も考慮せずに見たらなんかやたら間延びして盛り上がりの少ない映画のような気もするが、映画の後ろにあるものとか周辺にあるものと併せて観れば、これは結構面白い、面白いというか興味深い映画であった。

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