実録ムエタイノワール『暁に祈れ』感想文

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《推定睡眠時間:15分》

タイランドという国は仏像と微笑みの国なんかでは断じてなくあくまでサガットとトニー・ジャーと死体写真の国であるとこれほどストレートに突きつけてくる映画がかつてあっただろうか。
あったと思うしあとサガットとトニー・ジャーと死体写真の国という認識も無知と偏見があまりに酷いと思うが、いやそれは分かっているのですが、でもそう言いたくなってしまうくらいに大インパクトな実録映画『暁に祈れ』です。

だってタイ人キャストほぼ全員元受刑者。それも軽犯罪者なんかじゃ済まずに何人か殺してムショ入った人とかも複数いて、パンフに載ってる丸山ゴンザレスの現地ルポによればその人たち、無期懲役だったが恩赦チャンスに当たって出てきたらしい。殺しも軽いし赦しも軽い。
でその元受刑者キャストがビリー・ムーアというイギリス白人の体験した地獄刑務所タイ在記をリアル刑務所(※撮影当時は廃墟だった)ロケで再現する。これは超インパクト。

似たような趣向の映画といえば『塀の中のジュリアス・シーザー』なんかもあるが、あっちのリアル囚人起用が塀の内外(=非犯罪者と犯罪者)とか現実と虚構の境界を無効にする実験としての側面が強かったのに対して、『暁に祈れ』のリアル囚人起用はリアル犯罪者出した方が迫力出るしリアルじゃんぐらいな感じなので(この監督の人はたしかアフリカ少年兵ものの『ジョニー・マッド・ドッグ』でもリアル元少年兵を起用してたんじゃないかろうか)、身も蓋もないがダイレクトなインパクトがあるんである。

それでそのイギリス白人ビリー・ムーアですがパンフレットによればこの人はリバプールの公営住宅で暴力親父に虐待されながら、というザの付く不良ルートを余儀なくされたため若くして既にムショ歴十数年という修羅の人。
もうこれだけムショ入ったら何も怖いもんねぇわって感じで人生の再起をかけてタイでボクサー道を進むもドラッグの誘惑に負けて挫折、ヤーバーという名前からしてヤーバーそうなタイ産メタンフェタミン系ドラッグ欲しさに地下ボクサーに身をやつす。

そうこうしているうちにビリー・ムーア逮捕。ムショなんざ慣れたものと思っていたがしかし、タイのムショは一味違った。
一味っていうか朝起きたら暴行された新入りの縊死体が寝床の横に垂れ下がってたりするし頭痛いから薬貰おうと刑務官にお願いしたら賄賂くれないとあげないとストレートに言われたりするので一味どころか根本的になんかイギリスのムショと違った。

無理だろ。でまぁムショ歴十数年を誇る地下ボクシングの強豪もこうなるとかたなしなんですが、あまりのつらさに人生のリングを降りようとしたところでムショ内ムエタイ及びムショ対抗ムエタイ大会の存在を知る。
俺が生きるにはもうこれしかねぇわっていうんで、ビリー・ムーアはムエタイ道に入っていく。ビリー・ムーアそういう人。『暁に祈れ』そういう話。

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ちなみに映画では描かれていないがこれまたパンフ情報によればビリー・ムーア、『ランボー 最後の戦場』のスタントマンの一人だったらしい。
さらっと書いてあったがそれさらっと流していい経歴じゃないだろ。“虎の目を持つ男”スタローンと仕事をした人が“隻眼の猛虎”サガットの母国で陥ったランボー的絶対孤独状況の中でボクシングとムエタイを生きる糧にしていたとかドラマチックに過ぎるだろう…まぁそれが完全にスルーされてしまうほど濃い獄中体験映画なわけですが。

映画はビリー・ムーアの意識の流れに沿ってこの人の主観として進んでいく。だから最初らへんなんか置かれた状況がかなりなかなか掴みにくかったが(寝ていたし…)、主観的に把握される刑務所リアルキャスト&リアルロケの効果たるや半端なく胃袋を握りつぶされるような臨場感であった。

払うもんさえ払えばムショ内でも普通に手に入るヤーバーで覚醒したビリー・ムーアの目は超望遠レンズと、耳は超指向性ガンマイクと化して、タイランド・ムショラーたちの汗や刺青や殺気を帯びた表情が臭気を帯びるほどに肌理細かに見えてしまうが見えないもんはピントがぼやけて何も見えない、ビリー・ムーアには理解できないその話し言葉は常に聞こえているし些細な日常音は拡大された環境音として意識と同期しているが、聞こえないものは何一つとして聴き取ることができない。

ヤーバーが抜けたら抜けたで禁断症状で世界がゴチャァと一つに混ざってしまうのでカオス。というそんな、昼も夜もないような覚醒かつ混濁した意識の中でビリー・ムーアがたまたま目にし耳にしたのがムエタイ部の練習風景であった。
ムエタイが…したいです! 初めはテメェみたいなチンピラの居場所はねぇんだよ的に拒むムエタイ顧問のソムラック・カムシン(タイ・ボクシング界の国民的レジェンドらしい)だったが、ムエタイ三井と化したビリー・ムーアの祈りのような懇願はついにハートにスラムダンク。

こうしてムエタイを始めたビリー・ムーアは意識に秩序を取り戻していく。映画も混乱と恐怖を乗り越えてムショ対抗ムエタイ大会へと一直線に向かっていく。見知らぬ一群の人々でしかなかったムショラーたちは、ビリー・ムーアにとっても観る側にとってもいつしか同じ傷を抱え同じ墨を入れた仲間になっているのだった。

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本物と偽物で世界を綺麗に切り分けようとするインスタントな認識は好まないのですが、そうはいっても本物の持つ物質性、その重さが強烈に刻まれてしまうよな、こういう映画を見ると。
ムショラーたちの顔顔顔、ムエタイファイターたちの動作ひとつひとつ(ソムラック・カムシンの連続タイキックの早さと重さ!)、刑務所という場に染みついた汚れまた汚れがこの映画ではプルーストのマドレーヌになる。

まるで物としての場と肉体が言葉を持った記憶となって直に語りかけてくるかのようだ。物の尊厳、というものがこの映画にはある。
決して人権を尊重していないわけではなく人権の概念がそもそもないヘル監獄で、最初は唸り声を上げる野獣に、そのうちには物言わぬ肉袋と化すビリー・ムーアやムエタイファイターたちは、全身を凶器に鍛え上げる中で、その物としての自分の中に逆説的に失われた人間性を見出していたように俺には見えた。

またこんな風にも思う。物質の尊厳を守るということは人間の表面を信頼するということじゃないだろうか(まぁ刺青の映画だし)。
ビリー・ムーア役のジョー・コールは映画の最後でビリー・ムーア本人と出会う。これがまたその役柄とビリー・ムーアの来歴を考えればすごいご本人登場パターンで、ビリー・ムーアどんな思いでこの場面に出たのか知らないが、黙して語らぬ本物ビリー・ムーアの笑顔は百の言葉よりも雄弁に何かを物語っていた、ような気がした。

刺青は刺青を入れた人間そのものになる。ムショ内で所持するタバコの数は自由と権力に直結する。見た目が女に見えればレディ・ボーイはボーイが切れて単にレディである。このヘル刑務所には男→女に性転換した人も別房で収監されているが、映画の中の誰もその人らをボーイとして見ることはない。
仏像と微笑みと政変と王室とサガットとトニー・ジャーと死体写真と性転換と赦しと殺しが同居してしまう国タイランドで事物の内奥に秘められた本質がどうとかそんなスノッブな戯言は無効である。

表面、表面あるのみ。表面を信じろ。見えるものを信じろ。己の肉体を信じろ。肉体に刻み込まれた刺青を信じろ。言われたことを信じろ。言ったことは必ず守れ。言葉が通じなかったらとりあえず両手を合わせて感謝の表明!
まったくもってタイガーアパカッ!な爽やかノワールでございました。

【ママー!これ買ってー!】


熱唱!!ストリートファイターII

ヒカシューの巻上公一が熱唱するサガットのテーマ曲「タイガー伝説」はゲームキャラソン界のレジェンドです。

↓あとこれとテイスト近かったです


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さるこ

こんにちは。年明け第一弾、席がなくて(何で混んでんだろう?)三列目くらいで見たんですが、うおークラクラするう!『サウルの息子』か…!ムショものもいくつか見たけれど(ジャック・オコンネルのが好き)、題材としては魅力的ですよね…。しかし、あの身体中のモンモンは、威嚇を通り越して祈りの体現と化しておりました。