壊れた心の地獄巡り映画『リターン・トゥ・サイレントヒル』感想文

《推定ながら見時間:0分》

このブログを何度か読んだことのある人ならまたお前その話かよなのだが俺という人間の文化的な基盤となっているのは『サイレントヒル2』というゲームであった。これをやったのはたしか中二の頃だと思うのだがいやもうすべてが衝撃的、美術も、音楽も、そしてもちろん物語も……であり、それ以前に初代プレステで『サイレントヒル』はプレイ済みではあったが(そしてホラーゲームといえば『バイオハザード2』というチルドレンには衝撃的な怖さであった)やはり初代プレステからプレステ2へとハードが変わったことでの進化はすさまじく、まさしくカルチャーショック。

『サイレントヒル2』はスゴイ……それから中学生の俺は攻略本に載っていた制作者のインタビューからクリーチャーデザインの参考にしたフランシス・ベーコンなる異形の画家がいるということを知って画集を読み、エイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』とデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』が主な元ネタであると知ってとりあえず近くのビデオ屋にあった『ロスト・ハイウェイ』のビデオを借りてきて、その超かっこいいオープニングで流れるデヴィッド・ボウイの「アイム・ディレンジド」という曲が聴きたくてこの曲の入っているボウイのアルバム『アウトサイド』を近所の中古ゲーム屋で買ってきたのだが、それが俺が人生で初めて買った音楽アルバムであった。

ベーコン、リンチ、ボウイ。俺の美術や映画や音楽の遍歴はここから始まっているので、『サイレントヒル2』はもはや中学生の俺にとっての黒船であり文明開化であったのだ。だがそれだけではない。『サイレントヒル2』をプレイしたことのある人ならたぶん誰でもそう思うだろうと思いたいのだが、なんといっても『サイレントヒル2』は素晴らしい人間ドラマである。中学生の俺にはそれこそがこのゲーム最大のカルチャーショックだったかもしれない。人間というのはなんて意味のわからない生き物なんだ! この頃サウンドノベルの『街』もプレイしていてそちらにも同じショックと感銘を受けたのだが(なので『街』も俺の人間観のベースになっている)、とにかく人間というのは矛盾と衝動と壊れた感情の複合体で捉えようがない。

探せば無いことも無かったのかもしれないがそんなに深いレベルで人間を描き出そうとしたゲームをその当時の俺は知らなかったし、いやゲームだけではなくて映画や小説でもそんな物語には触れたことがなかった。そんなことを思ったのはたぶん俺だけではなかったんだろう、『サイレントヒル2』は発売当初日本国内では『バイオハザード』シリーズと並ぶホラーゲームの一本という程度の扱いで、どちらかといえば前作『サイレントヒル』の方が世間へのインパクトは大きかったようにすら薄らと記憶しているのだが、アメリカなどではその後のホラーゲームに多大な影響を与えたマイルストーンとなり、ホラーゲームオールタイムベストみたいな企画があると少なくともベスト5には絶対に入るほどのホラーゲームの金字塔となったのだが、それはやはり『サイレントヒル2』が従来のホラーゲームが踏み込んでこなかった人間の心理の不思議に深く切り込んだゲームだったからではないかと思う。中学生の俺と同じように海外市場においてもこんなホラーゲームをプレイしたことのある人はほとんどいなかったのだ。その影響力の大きさは初代を差し置いて『サイレントヒル2』のリメイク版が制作されたことからも分かるのではないかと思う。

ということで『サイレントヒル2』は俺の心のゲームであり、『サイレントヒル2』より面白いゲームは世にいくらでもあれど、『サイレントヒル2』ほど深刻な衝撃をもたらすゲーム体験はもはや俺にはないだろうと思っているほどなのだが、その『サイレントヒル2』が! ゲーム映画の最高峰とおそらく俺も世間も捉えてくれていると思われる実写映画版『サイレントヒル』のクリストフ・ガンズによって! なんと前作から20年の時を経てついに映画化! ファンにはよく知られた話だろうがガンズはもともと『サイレントヒル2』を映画化したくてコナミに話を持ちかけたがいろいろあって初代を映画化することになった人物である。実写映画版『サイレントヒル』はヒットしたので続編『サイレントヒル:リベレーション3D』も作られたがこれは原作ゲームにとくに思い入れのないマイケル・J・バセットが監督したゲーム版『サイレントヒル3』を基にした映画であり、アクションホラーとしてそう悪くはないかもしれないとしても、原作のセンスや精神からはかなり離れた映画となってしまった。どうやらこの映画は不評だったようだ。

かくして『サイレントヒル』映画化プロジェクトはアッサリ終わってしまい、ガンズがあいまいな眠りの中で夢に見た実写映画版『サイレントヒル2』は霧の奥へと閉ざされてしまった……はずのものが、まるで死んだ妻からの手紙のように突如として届いたというのが『リターン・トゥ・サイレントヒル』である。もうこの時点で泣いているので映画本編は観なくてもいいやまであるが、まぁそう言わず観てみよう、観てみようじゃないか、ということで観ましたよ『リターン・トゥ・サイレントヒル』! 先行公開された海外でのレビューの悪さと続編ものということで興行的に弱いと判断されて劇場公開されずアマゾンプライムビデオ配信となってしまった『リターン・トゥ・サイレントヒル』をわざわざこれを観るためだけにプライム会員になって!

いやぁ、良かったですねぇ。しみじみしちゃう。先に書いておくがこの映画の評判が悪いというのは結構納得できるものがある。なぜならば、原作ゲームの再現という意味では優れた映画とはあまり言えず、かといって原作ゲームの再構築という意味でも成功しているとは言い難いからだ。前作の『サイレントヒル』は映画オリジナルのストーリーや設定の中にゲーム版『サイレントヒル』シリーズのエッセンスを散りばめるという再構築型の映画だったが、『リターン・トゥ・サイレントヒル』はそこまで再構築に振り切れておらず、どうにか原作ゲームのあれこれを映画で再現したい……! と原作ゲームのファンが監督だけあっていろいろ欲張ってしまった結果、どうも無理が出てしまったという感じなのだ。

なにせこの映画ときたら原作ゲームのステージ構成を1箇所だけ除いてほぼそのままシナリオに組み込んでいるくらいなんである。具体的に言えばまずサイレントヒル展望台のトイレに行って、それから森を抜けて墓地へ行って、そこからトンネル(リメイク版では廃屋だがこのゲームはオリジナル版に準拠している)に行ってラジオを取って怪物ライングフィギュア(映画版の名前はアームレス)と遭遇、それからナイトクラブ「ヘブンズナイト」に立ち寄ってアパートに入りここで裏世界化、三角頭やエディと遭遇して次は病院に向かいその途中で迷い込んだ公園でローラとマリアと出会い、病院ではバブルヘッドナースと戦いフレッシュリップに絡め取られる。気付けば主人公ジェイムズはホテルにいた。そのホテルでジェイムズが出会うのは……とまぁそんな具合であり、サイレントヒル展望台の原作ゲームファンならグッと来ること間違いナシのほぼ完全再現っぷり(あの針葉樹!)からして監督の「俺は『サイレントヒル2』が好きだ!」がおそろしい圧で伝わってくるのだが、原作ゲームをプレイしたことのある人ならこのシナリオがいかに過積載かつオーバーヒートか文字だけでも充分伝わるだろう。

こんなシナリオを2時間程度の映画でやれるわけがない。その上に映画版前作との整合性を持たせるために原作ゲームからいくらか設定を変更しオカルト秘密結社の話を絡めたりしているので(とはいえこれはゲーム版初代『サイレントヒル』および『サイレントヒル3』の核となる設定であり、原作ゲーム版『サイレントヒル2』はそうしたシリーズの共通設定をナンバリングタイトルにも関わらず無視した外伝的な作品なので、『サイレントヒル』シリーズの世界観の中に『サイレントヒル2』を再定位しようとした試みとも取れる)ある意味RTAのような映画である。そんな積み込みすぎたシナリオが映画として成り立つのか。疑問に思う人は多いだろうがガンズには秘策があった。それはゲーム版『サイレントヒル2』の二つの元ネタ映画のうち『ジェイコブス・ラダー』の幻覚と妄想と現実の入り乱れるアクロバティックなストーリーを援用するというものであった。

『サイレントヒル2』の豊穣にして複雑怪奇なストーリーをたかだか2時間の映画で叙事的に語り尽くすのは不可能だ。それならば何が幻覚で何が現実かわからないカオス状態にすべてを放り込んでしまえばいいではないか! それはきっとジェイムズの混乱した心理の表現にもなるだろう! したがって病院の途中からはもうずっと脈絡のない悪夢の中を漂っているかのよう、オカルト秘密結社の設定も『ローズマリーの赤ちゃん』風にそれがジェイムズの壊れた心が見せる空想なのか現実にあったことなのかよくわからなくなってくるほどである。それはたしかにサイレントヒルらしいところではあるのだが、代償は決して小さくはなかった。『サイレントヒル2』のストーリー上の核心はジェイムズとメアリーの愛憎入り乱れる悲劇的でもあり狂気的でもあるような関係性であり、これはそれだけで3時間の映画が一本撮れるほどの巨大なテーマであるが、『ジェイコブス・ラダー』方式を採用したことによってジェイムズとメアリーの関係性の描写は断片的なものに留まり、二人のドラマはせいぜい原作の半分ほどしか語られないまま終わってしまった。

思うにこのへんがレビューの低さに繋がっているんじゃないだろうか。『サイレントヒル2』の濃密な人間ドラマを期待した原作ファンは失望し、原作ゲームをやったことのない人はこれだけ観ても『ジェイコブス・ラダー』方式なのでなんだかよくわからない。完成度の点で言えば前作の方が断然高いだろう。いや娯楽性でも前作の方が断然高い。少なくとも『リターン・トゥ・サイレントヒル』は『サイレントヒル』の映画化作品として人にはあまり積極的には進めにくい映画なのではないだろうか。俺も人に勧めるんだったら素直に1作目が傑作だから観てって言うよ。

しかし……それを踏まえて言いたいのだが、家で観たからわりと冷静に受け流せたけどこれ映画館で観てたら蛾メアリーが出てくるところで泣いたかもしれん。何が妄想で何が現実かわからないという状況は人の存在基盤をすら揺るがしてしまう。何をすればいいか何を信じればいいかの指針が失われ、そこに自分が存在するということすら根拠を持てなくなる、曖昧模糊にして強烈な不安感。それは『サイレントヒル』というシリーズがプレイヤーに感じさせる恐怖の本質じゃあないだろうか。それを表現するという意味では『リターン・トゥ・サイレントヒル』は成功していると言えるし、その存在不安が頂点に達した時にジェイムズが出会うことになるのが蛾メアリーなのである。

パトリック・タトポロスのデザインしたこの蛾メアリーはゲームのラスボスメアリーとは異なる形姿で、焼け焦げた蛾の羽のようなものが生えている。悍ましくも美しいその蛾メアリーがホテル上空を舞ったそのとき、ジェイムズは拒絶していた過酷な現実を受け入れる。それは一人では背負いきれないほどの痛みの引き受けであると同時に何が現実かわからない存在不安からの救いであった。破滅しながら救われていく、壊れながら再生していく、その引き裂かれながら一つになっていく人間の矛盾した心、これこそ『サイレントヒル2』がプレイヤーに体感させようとしたものではなかっただろうか? もう一歩引いたところから見ても、いやこのシナリオは詰め込みすぎて成立しないだろ映画として、なんて思っていたものが蛾メアリーの飛翔によって超強引にまとまってしまうことに感動してしまう。人によってはなんもまとまってねぇだろと思うかもしれないのだが、蛾メアリーの飛翔という一枚絵のインパクトには映画として「これでよし!」と思わせてしまうものがあったと俺としては断言したい。

華麗にして醜悪な美術(あと山岡晃の音楽)に支えられた人間の心の地獄巡り。『サイレントヒル2』のようなホラーゲームが早々ないのと同じように、こんな異形のホラー映画も早々出てこないだろう。日本で言えば松本俊夫が監督した『ドグラ・マグラ』が近いかもしれないが(それを彷彿とさせるラストであった)、言うまでもなく『ドグラ・マグラ』はカルト映画であり、誰もが観て楽しめるというものではない。『サイレントヒル2』という今やホラーゲームの代名詞となったゲームを、いかに原作ゲーム愛にあふれて原作ゲームの部分的な再現が至るところに散りばめられて原作ゲームのサントラのボーナストラックから二曲もゲーム未使用曲(3サントラの「I Want Love」と4サントラの「Waiting for you」)を取ってきてBGMとして使用していたとしても、こんなイビツで未整理なカルト映画にされたら大抵の人は不満タラタラなのは当然だろうが……ともかくこれだけは書いておきたいのは、良い映画だった、感動した、ということなのだ。

※ただエディの扱いだけはあれなら出さないでよかっただろと思わずにはいられない。

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