【ネッフリ】『ハイスコア:ゲーム黄金時代』感想文

《推定ながら見時間:全6エピソード中15分》

コンピューターゲーム史のドキュメンタリーというと様々なタイトルを挙げてゲームの具体的内容やジャンルの変遷・連関を追っていく構成がやはり主流ではないかと思うのですが、『ハイスコア』はその点なかなかユニークなドキュメンタリーで、なんというか、お勉強的なコンピューターゲーム通史という感じではない。なにせ『スペースインベーダー』の着想をインベーダー生みの親・西角友宏が語るエピソード1ではそこから悪名高いアタリ2600版『E.T.』の開発裏話そしてアタリショックまで一気呵成に進んでしまう。ものすごい展開である。

ソニックばりの超速でゲーム史をダイジェストしているわけではない。一般ゲーム史的な重大事件を要所要所に配しつつ、それと関連しつつゲーム史にはあまり書かれないものにザッピング的にスポットを当てて、ゲーム史に横の広がりを与えているところがこのドキュメンタリーの特徴。
ゲーム史にあまり書かれないものとは何か。一つはプレイヤーの存在でしたね。『ハイスコア』には草創期のアーケードゲームやコンシューマーゲームのゲーム大会で名を残したプレイヤーが何人も出てくる。

このプレイヤーのチョイスには傾向があり、トランスジェンダーとかアジア系とか黒人とか、要はアメリカのマイノリティなのであった。すわ今流行のポリコレ配役かっ! と身構えるがそうではない。いやある意味そうなのですが、雑な意味ではないっていうか、プレイヤーのゲーム体験を掘り下げると「現実の自分とは違う自分」が出てくる。このアバター感覚が様々なジャンルのマイノリティの人の救いになったりもしていたのだ…っていう、そういうコンピューターゲームの社会的な意義をマイノリティのプレイヤーを通して描き出すわけです。

ゲーム史にあまり書かれないもう一つはゲームクリエイターではないゲーム業界の人のお仕事。果たしてゲームプレイカウンセラーなる職業(?)がかつて存在したことを日本のゲームプレイヤーの何人が知っているだろうか。これはですね任天堂の米国法人が米国版ファミコンのNESの販促も兼ねて立ち上げたもので、NESのゲームで詰まったらこのゲームプレイカウンセラーに電話をすれば攻略情報を教えてもらえる!

『たけしの挑戦状』があまりに難解であったためユーザーのキッズから電話が殺到し回線パンク、担当者が死んだので質問には答えられないということにしてしまったタイトーの鬼タイオーに比べてさすが任天堂は神対応であるが、カウンセラーの方は懐かしの「大技林」みたいな分厚い攻略ファイルを読み込んであなたが探してるアイテムの位置はここですとかどこどこのブロックの右に進むとボス部屋ですとか8ビットとはいえ何百タイトル分もの攻略情報を覚えないといけないのでめちゃくちゃ大変、しかしこういう今では忘れた(かもしれない)縁の下のお仕事があってこそ任天堂の今日の繁栄もあるのだ。

あと忘れられたお仕事といえば当時の米国任天堂の好敵手であった米国セガのセガ・マンですよ。なんでもメガドライブの米国版ジェネシスを売り出すために当時の米国セガは各大学にスパイを送り込んだ。そのスパイ、セガ・マンの任務は大学内の人の集まってるところにジェネシスを持ってってわざと見えるようにプレイすること。セガ・マンにはジェネシスとソフトが無料で支給されるから喜んでステルス・マーケティングに協力するという仕組み。う~んさすがセガ! えげつない!

そういうところもゲーム史にあまり描かれないところで、三つ目はマーケティングです。面白いゲームを作っても売れなかったら仕方がないし、すごく売れても面白くなかったら仕方がない。当たり前ですがゲーム業界においてパブリッシャー的なものとデベロッパー的なものはそれぞれ単独で歴史を刻んできたわけじゃなくて常に相補的に存在していたわけです。

それをよく示す例がエピソード4に出てきたコンシューマー初の『マッデンNFL』シリーズ作『ジョン・マッデン・フットボール』で、当時の米国セガは打倒任天堂を掲げて任天堂が手薄というか、あまり本格的なものは展開していなかったスポーツゲームをジェネシスに拡充することで差別化を狙っていた。そこで目に留まったのが後にEAを立ち上げることになる元アップルのトリップ・ホーキンス。ホーキンスもまた本格的なアメフトゲームを制作したがっていたので、こうしてジェネシス版『ジョン・マッデン・フットボール』が誕生、ゲーム史が動いた瞬間というわけです。

プレイヤーの体験、ゲームを作る方ではないゲームのお仕事、そしてマーケティング。この三つのゲーム史であまり描かれないことを巧みにブレンドして新たな、とまで言えるのかどうかはわかりませんが、○○本位ではない広くも懐の深いゲーム史観を編み上げていたのがこのドキュメンタリー『ハイスコア』というわけで、カッチョイイ80sなシンセサウンドとゆかいなドット絵再現映像を交えて飛ばしに飛ばす全6エピソードの最後にはアタリ創業者にしてコンピューターゲームのゴッドファーザー(そしてゲーム界のノーランでもある)ノーラン・ブッシュネルのインタビューもきっちり入って、こういうゲーム史もあったんだな~と感心&興奮させられることしきりなのでした。

あと個人的に面白かったのは西角友宏とか西谷亮とか写真出演で宮本茂とか日本の有名クリエイターも何人か出てくるのですが、米国側のクリエイターと比べて企画意図であるとかデザインの目的を言語化しなくて、そこからマーケティング戦略っていうのが見えてこない。自分がそういうものが好きだからとか、なんとなく面白そうだからっていうのを戦略よりも優先している印象を受けたりする。

チクセントミハイのフロー体験がゲームの面白さの核心として取り上げられているのもなんだか象徴的ですが、アメリカでビジネスをやる人が何をするにも目的を先に置くなら日本でビジネスをやる人は目的よりも発想が先って感じで、それで任天堂にしてもセガにしても米国法人と日本本社でデザインなんかを巡って相当激しいやり合いがあったらしいということが度々語られる。これが面白いのは戦略上位でものを考えると、戦略というのは常に対○○として位置づけられるものなので、人々に驚きを与える新しいものというのは生まれない。

でも戦略を欠いたほとんど趣味と区別ができなようなクリエイターの仕事からは大量のゴミも副産物的に伴いつつも、対○○の制約から解放されている分だけやっぱ「なにそれ!」って思うような斬新なものがたまには出てくるんですよ。それはカンフー映画とか格闘技映画を観まくって『モータル・コンバット』を作ったジョン・トバイアスもそうだし、トリップ・ホーキンスにしても好きなアメフトをゲームにしてみたいっていう欲望が商売に先んじてあったわけで、そのパブリッシャー的な考え方とデベロッパー的な考え方の弁証法が『ストリートファイターⅡ』みたいなジャンルの草分けを生んだんだなぁと思うと、なんかね、イイ時代もあったもんだみたいな。しんみりしましたよ。

ソニックのデザインがああなったのも明確に発想上位型のセガが本気でマーケットを取りに来たことの幸福な結果であったことがこれを見るとよくわかる。トリビア的なものとしては『E.T.』を作った人がインタビューに応じてるのも強い。なんでもクリスマス商戦に間に合わせるために三ヶ月で納品しろの無茶振り発注が下ったため不眠不休でキノコを食べながら(※真相不明)作ったら糞が出来上がったがスピルバーグが無責任にオッケーを出してしまったのでそのまま出荷されてしまったんだとか。

マニアにはよく知られた話かもしれないが、やはり本人の口から語られると重みが違う。その後のアタリショックを伝えるニュース映像の引用連打には大笑いだ。『星のカービィ』の名前の由来になったのは『ドンキーコング』が『キングコング』の商標を侵害しているとしてユニバーサルに訴えられた際に任天堂の代理人を務めた弁護士ジョン・カービィ、『モータル・コンバット』にはヴァン・ダムに出てもらうつもりだったがオファーを断られた、『ナイトトラップ』の怪物が珍奇な(それゆえゴミ特有のヤバさを醸す)デザインになったのは再現性のある暴力はダメだと言われたから…というのも明日から使えるゲームトリビア。

そういうのがいっぱいあるし、当時のCMとかニュース映像とか資料映像も豊富で…あと忘れてはいけない面白ポイントはFPSのみならずMODの元祖として『DOOM』を取り上げていたりするんですが、そういう風にして現在のゲームシーンと80年代~90年代前半のシーンを繋げていく手並みが鮮やか。マイノリティのプレイヤーが登場するのもコンピューターゲームはマイノリティに居場所と創造性を提供し多様性時代としての現代の下地を用意するものであったという感じで、表面的には社会批評的なところはないのですが、そうしたものは『ゼビウス』の背景からプレイヤーが勝手に物語を読み取るように、視聴者がちゃんと汲めるように仄めかし的に実装されているわけです。

そのへん、さすがネッフリドキュメンタリーですよね。いやぁ面白かったなぁ。

【ママー!これ買ってー!】


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そういえば観ていなかったゲーム史のドキュメンタリー映画。

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