連帯促進映画『あのこは貴族』感想文

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階層違いの交流というから門脇麦が地方組で水原希子が東京組でみたいな感じかと思ったらまずそれは逆のキャスティングだったしそんな単純な構図ではなく、東京組は東京組でも松濤のそこそこ年季の入った金持ち版『サザエさん』みたいな民家に暮らす門脇麦はそのクラスでは下層のプチブル、上には上がいるということでそのお見合い相手の高良健吾は庭で錦鯉とか飼ってるような豪邸に住むフルセットブルジョア、『こち亀』で言えば麗子めっちゃ金持ちじゃんと思っていたらそれを超える世界的金持ちの中川が出てきちゃった感じなのであった。

水原希子が属する地方(富山)の階層も同様にして複雑である。やっぱね土建屋とか強いわけですよ。その跡取り息子なんか完全勝ち組でなんもしなくても地元で王様になれる。で水原希子も別に生活に困窮するほどの貧乏では別にないんですよね。弟なんかスポーツカー乗り回してるし。そこでの身の丈に合った生活というやつを甘受できるならたぶん水原希子の人生は安泰。でもそれだと自分が本当にやりたいことはたぶんできなくて、身の丈というのは要は少し金持った男と結婚して専業主婦として家を守るとかだから、自分の人生は自分で決めたい水原希子は慶應義塾大学に進学する。しかしそこにも東京育ちのエスカレーター式入学組との文化資本・教育資本の格差があって…とまぁそんな感じで複雑ですよ。なんだかんだ言ってこの二人は恵まれている方で冒頭に出てくるタクシー運転手なんかは明らかにそれより下の階層に属する人ってぐらいですからね。複雑。

で、映画の初めの方で門脇麦の松濤系ともだち(※4200円のティーセットを注文することに躊躇がない人たち)の中での下級クラスと見られている自由人な人が「東京って階層があるけど棲み分けされてるから見えないんだよね」って言うんですが、実はそうではないということが映画を観ているうちにわかってくる。東京とかの都市部は階層に流動性はなくても様々な形で異なる階層が関係してはいるんですよね。年収200万の人が副業のウーバーイーツで松濤の屋敷にマック届けに行くとか。そういう構図は最近の社会階層映画『空に住む』とかでも描かれていたもので、行動圏がある程度決まっている地方ではありえないような出会いも案外都会ではありえたりするから、むしろ逆説的な都会賛歌になっていたりもする。

でも、だからこそ都会はツライってのもあるんだよね。出会いがあるからこそそこに絶対超えられない壁を見ちゃって落ち込むっていうのもあるじゃないですか。それも複雑だ。そういう複眼的な感じだったよこの映画。都会で起こりえる階層間の関係の残酷と希望の両面があったと思いましたね。

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でもそれが希望方向に傾いているのはやっぱり女の人たちの映画だからというのが大きい。田舎のブルジョアも都会のブルジョアも共通しているのは儀礼を重視するところと家父長制の中に女を押し込めようとするっていうところで、要は女同士の横の繋がりを男たちは「家」で断ち切ることで「家」を基盤とするその階層を維持しているんですよね。田舎ブルジョアの儀礼は宴会場貸し切ってのうるせぇ飲み会、都会ブルジョアの儀礼は料亭での会食とかそういうやつ。だから門脇麦と水原希子の物語はそれぞれが自分の属する階層の儀礼に参加したくないなぁって思うところから動いて、繋がらないように見えて意外にも繋がってしまうわけです。

面白かったのは(いや全部面白いんですけど)そういう関係を通して「家」を維持することを求められる男の抑圧と痛みも高良健吾を通してちゃんと描き込まれているんですよねこれは。門脇麦と水原希子は階層関係なしに繋がることができるし同じ階層にも気の置けない同性の仲間がいるが、高良健吾にはそんな関係は築けない。女を束縛する社会構造は同時に男も束縛するというわけで、まぁなにやら色々と女性差別がどうのという議論とか事件が盛んな昨今にあってたいへんにクリティカルな映画と言えましょう。女たちも繋がっているが経済格差とか性差別とかっていう社会問題の方もまた繋がっているわけです。

俳優の人、これはみんなよかったんですが水原希子が良い演技をしててそこはちょっとびっくりした。何の映画か忘れてしまったが前に観たなんかの映画だいぶ演技ひどかったぞ。こんな演技できる人だったんや…まぁ今までに出た映画の監督が上手く演出を付けられなかったのかもしれないが。逆に技巧派の門脇麦はこの映画ではわりあい普通、というか感情表現に乏しく、たぶんそれはお人形感を出すためだったのでしょう。水原希子との出会いを通して門脇麦はいやいつまでもお雛様じゃいかんやろって変わっていくわけです。その変化は見た目にはほとんど表われないが、変化を予感させるラストになっているのでよかったと思う。あと高良健吾のお坊ちゃんの屈折もイイっすね。いつもふて腐れたツラしてましてね、女に甘えながら強がる感じ。これがイイんですよいかにも情けなくて。

実に十余年にも及ぶクロニクル的な物語であるから出来事としては結婚式とか葬式とか色々と大きめサイズのことが起こるがそれを取り立てて大事として扱わず、どちらかと言えば積極的にスルーしていく盛り上がらなさは特徴的だったと思う。結局、結婚式とか葬式とかっていうのも個人というより「家」が主役の儀礼なわけで、そんなことよりも女同士の階層違いの出会いとか喫茶店でのベシャリとか夜の町をチャリのニケツで軽やかに…とか、そういう慎ましいけれども確実に自分が主役の記憶の方を大事にしていきたいよな的な意志をこの起伏に乏しい作劇から感じ取るなら、なんだかこれは大人しい見た目に反して結構アジテーショナルで怒りを秘めた(しかし戦略的な)映画であった。

いやぁよかったですね。ぼくこういう社会に食ってかかる系の映画好きなので。だいたいそんな堅苦しいことを言わなくても安喫茶店での三十路女ベシャリの中で「女の老後はアソコの脱毛から始まる!」の名言が飛び出す映画がつまらないわけがない。アソコの脱毛から始まるんですって!(そうなの?)

※ちなみに映画に出てくる色んな「家」の中でいちばん羨ましかったのは門脇麦の住む松濤の家でした。あの家めっちゃ楽。生活に一切困らない金はあるが金を持ちすぎてはいないから変に格式張ったりとかしてないし…イイナァ!!!

【ママー!これ買ってー!】


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お話の内容的には『あのこ』とカスりもしないのだが普段ならまったく交わることのないような住む世界の違う人々の繋がりと交差に関する映画ということで。

2 Comments
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さるこ
2021年3月13日 8:29 PM

こんにちは。
麦ちゃんと希子ちゃんのキャスティングは狙ったよね、とチラシを見た時にすぐこの映画を見に行こうと決めましたが、二人の邂逅のアッサリ感には、こんなの無いわぁ…でも今の女のコ達はタフなのね…と思いました。
件の〝老後〟についてですが(笑)、自分が死んだら多分、アカの他人が始末をしてくれるだろうから全身エステには行っといた方がええやろか?と考えたことはあります。ご参考まで。
トウキョウの流れる風景にはグッときます。もと地方出身女子には。帰省すると最寄駅まで家族が車で迎えに来るとか、泣けちゃいますね。そして、自転車ニケツが素敵な映画は良い映画。