虚実皮膜のあわい映画『宮松と山下』感想文

《推定睡眠時間:0分》

自主映画じゃあるまいしなにも今年2022年8月末の香川照之スキャンダルを受けて急遽製作されたというわけでもないだろうが、11月末の今の時点でこんな映画が公開されればもう香川照之の悔恨映画にしか見えない。ここでの香川照之は記憶を失ってやられ役のエキストラをしている謎の男。エキストラ香川が次々と衣装や役柄を変えてあちらで死にこちらで死ぬ冒頭はレオス・カラックスの一人芝居映画『ホーリー・モーターズ』を彷彿とさせる不思議なシーンだが、これは香川の心象風景が混ざっているのだろう、映画かドラマの撮影現場のはずなのに衣装係ただ一人を除いてスタッフの気配は一切ない。

やられ役、というのもなにやら象徴的だが、やはりエキストラってのがね。リアル世界では日本芸能界の最上層にまで成り上がった香川照之が芸能界の最下層たるエキストラを演じるというこの皮肉。リアル世界の現場ではスタッフからも共演者からも一番気を使われる立場の香川が映画の中の現場では誰からも相手にされることはない。なにより、香川がエキストラをやるきっかけとなった記憶喪失の原因である。これに関しては詳細を書くわけにいかないが、ひとつだけ何か書くとすれば、リアル世界の香川も心のどこかで人生をその一部だけでもやり直したい、記憶を失って出直したいと感じているのではないか…と、この映画を観た後には思わずにいられない。

芸は虚実皮膜のあわいにありとは言うがなるほどこういうことかと深く納得させられる。香川が義弟の津田寛治に日本酒を勧められるなんでもないシーンさえスキャンダル後の今ではスリリング極まりない。「お兄さんと言えば日本酒だったじゃないですか」やめろ! 香川に酒を勧めるな! そいつに酒を飲ませるとまたホステスとかスタッフに狼藉を働くぞ! あと香川もお前うまそうに酒を飲むんじゃないよ断れ! 不謹慎なと思われようがなんだろうが無理だよだってそう思っちゃうもん今の時期に観たら無理だろまっさらなスタンスで観るとか。

まぁでもズルいよな映画って。こんなの観たらやっぱり香川にしっかり懺悔謝罪断酒断歓楽街など行った上でまた色んな映画出て欲しいって思っちゃうもん。巧いんだよ香川照之。俺はこの人のテレビドラマとかで見せる大芝居は好きじゃないけど、この映画の中では複雑な境遇に置かれた男の心情を本当に見事に表現してるんだよ、ちょっとした目線の変化とか唇の微妙な震えとかで。巧いのよそういうのが。巧いからそれが映画を超えてスキャンダル後のリアルな香川の心情を反映したものにも見えてしまうし、なにかこの映画そのものが香川が一から出直すための禊ぎに見えてしまう…などと現実と虚構を混同することは良くないのだが。

実際にそうかどうかはともかくあたかもピノキオよりも長く伸びた己の天狗鼻をへし折って一役者として小細工なしの芝居一本で観客のジャッジを乞うかのような香川の芝居は日本映画で久々に映画俳優の芸を見た思いで、これだけでも観る価値アリの映画になっているが、意味不明になる一歩手前までバッサリ刈り込んだシナリオも息詰まるサスペンスを生んでいて見事だし、冒頭の瓦屋根を映したショットのようなシンプルだが力強い場面を繊細な手つきで繋いでいく撮影・編集も素晴らしい。映画の出来と話題性は必ずしも比例しないとはいえ、この完成度なら香川のスキャンダルがなかったらもう少し話題になっただろうと考えると、やはり、お前マジふざけんなよなー香川お前よー、である。ちょっとこいつシバくから誰か灰皿持ってきてー(それはまた違う酒乱の話だ)

ともかく、全然面白くなさそうなタイトルだからと見逃すと結構損をするタイプの映画なので、ひっそりと映画館の上映スケジュールから姿を消す前にみなさんも是非どうぞ。

※ちなみになぜ香川がエキストラをやりたくなったのかということは劇中では明確に説明されないが、事の次第からすればおそらくそれは一つの役ではない色んな役をやりたいという願望か、もしくは色んな役を演じてしまってどの役を演じればいいのかわからない混乱がそうさせたのだろうと想像できる。あるいはその両方だったのかもしれない。

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『ホーリー・モーターズ』[DVD]

個人的には大して面白い映画とは思わないがめっちゃ好きな人いるよねこれ。

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2 Comments
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さるこ
さるこ
2022年12月1日 5:51 PM

こんばんは。
ほんとこれ、見逃さなくてよかった!少ないセリフ、香川さんの演技(と事件…)、映画って工夫するとこんなにスリリングなんだな!って思いました。
ビアガーデンのシーンで、エキストラ同士でおしゃべりした後演技に入るところなんて、思わず吹き出しました。
難点は、窓口でタイトルを言い間違えたことかな。
「宮下と松本、11時20分から」
「宮松と山下、11時20分ですね!」