ほぼ愚痴『15時17分、パリ行き』感想(ネタバレ微妙に含む)

《推定睡眠時間:0分》

なかなかストレートには受け入れられない難しい映画だと思ったのは映画監督クリント・イーストウッドの泰然自若っぷりをネガティブ方面から見てしまったからで、たぶん、イーストウッド実録シリーズの前作『ハドソン川の奇跡』が登場人物の現在に焦点を絞っていたのに対して、こっちは卑劣な列車テロと果敢に戦ったひとびとの中から二人の軍人+幼なじみの民間人をピックアップしてその幼少期からテロ遭遇に至るまでの過程を描き出すっていうそこだな、そこ。

そこが気持ちの良い泰然自若と難しい泰然自若の分水嶺だったよ俺の場合は。ていうか難しい泰然自若とか言葉選んでますけど本当はちょっと勘弁してくれよぉぐらいは思ってますよ。
だってたった3年前に起きたテロ事件の実話だしねぇ。しかもテロに遭遇した当事者たちが本人役で多数出演してんでしょう、主役三人組のみならず。そしたらほら面と向かって…向かってないけど面と向かわなくても文句言いにくいんだよ、映画に対する文句が当事者への文句と不可分になっちゃうから。
それは勘弁してくれなんですよマジで。いや、もう、なんなら、そういうキャスティングでこういう風に映画を作るっていう時点で俺は結構ダメだと思うんだよな…。

主人公の軍人アンソニー・サドラー(本人が演じる)は子どもの頃から周りと馴染むのが苦手な人。文章を読むとか集中して話しを聴くとかそういうのもあまり得意ではないし、感情のコントロールも上手な方ではないから尚更浮く。
回想形式の映画になっていたが、その頭に据えられているのはサドラーの母親と担任教師の面談エピソード。教師が言う。お子さんはどうもADDの疑いが濃いようだ。治療を受けてはどうか。
熱心なクリスチャンでシングルマザーのサドラーの母親はこのアドバイスに憤慨するのだった。ウチの子を薬漬けにするつもりか! なに、シングルマザーの子どもは統計的に問題行動を起こしやすい? なにが統計だそんなものよりも私は私の神様を信じます!

どうだ早くも難しそうな映画だろう。難解とかそういう意味じゃなくてどう捉えたら良いかどう言葉を選んだら良いか迷う映画だろう。だって創作じゃないからね。存命の英雄的市民の過去エピだから。これだけで既に俺がどれだけ気を遣ってこの感想を書いているかちょっとはわかってもらえるのではないか。
なんでもかんでも政治的に見るのは想像力の欠如だと安部公房か誰かが言っていたように記憶しているが、そうは言っても政治的に見ざるを得ない映画というのはあるわけで、こういう映画の場合は政治的価値判断を棚上げして美学的に消費してしまうことこそ想像力の欠如に他ならないだろうとほら出た何を言わんとしてるか判然としない官僚答弁的婉曲批判!

だから、正面から文句言いにくい映画なんだってば色々おもうところはあるけれども…。

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ほんでこの後でサドラー少年は親友アレク・スカラトスと一緒に親の意向でミッションスクールに転校するんですが、そういう諸々の過去がこれは回想形式の映画だからテロ阻止の英雄行為に収斂されていく。
この収斂というのが大変な難しポイントであり例えば、テロの予兆として劇的効果を高めるために挿入されたと思しきエピソードにはえらい居心地の悪さを覚えてしまう。
幼い頃から人を助ける軍人に憧れていたサドラーはやがて軍に入隊するのだが、基地での座学の最中に敷地内で無差別銃撃発生の報が入ってくるんである。

その絵面が極めてスクール・シューティング的というのはこっちが勝手に紐付けちゃってるだけで、作り手の意図するところではないと思いたいが、ともあれやっぱ超微妙にデリカシーゼロ。
要するにだよ、ADDもしくはADHDの治療(なにも投薬だけを指しているわけではないと思うが…)を拒んだこととか、クソみたいに生徒を抑圧しまくるミッションスクールでまともな教育に恵まれなかったこととか(そこで親友のスペンサー・ストーンと出会う)、無差別銃撃発生の報を受けて机の下に避難しろっていう教官の命令に背いてひとり銃撃犯に立ち向かおうとしたこととか、そういうの全部結果的にテロ阻止に繋がったよねっていうことになっちゃうわけじゃんシナリオ解釈的には。

それを例のイーストウッド的泰然自若でもって大河ドラマみたいに演出していくのは映画モラル的に危ういだろっていう。それはさそれはこの英雄三人組にとってはそうかもしれないんだけど(原作もこの人たちだそうなので)、それを否定する気もないんだけど自分の過去をどう受け止めるかは自分の問題だから他人が否定することは絶対にできないんだけど、でも個人映画とかポエム映画ならまだしも娯楽映画になっちゃうと話が別だろそれっていう…。

当然ながら過去エピのテロへの収斂は別の見方もできるわけで、その見方に従えば辛いこともいっぱいあったけど決して挫けなかった人のお話ということになるのである。というかそういう見方もできるようになっているのである。この多義性が単純なお話を面白くしているし難しくもしている。
どう受け取るべきか。人生に単純な答えはない的な教訓または滋味として受け取るべきか。個人的には単にイーストウッドの怠慢なんじゃねぇかとおもう…。
俺はただシナリオ通りに映像にしてるだけで政治的意図とか全然込めてねぇから完全中立だからみたいな…いやでもお前の政治信条ダダ漏れじゃんみたいなショットも随所にあるので怠慢というか、色々と自覚が薄かったり思慮が足りないだけなのかもしれない。

テロリストからライフルを奪ったスカラトスが他の乗客に一瞬テロリストと間違われる場面とかモロだよね。直後、スカラトスが以前に親切にした乗客が「あの人は善人です!」って叫ぶわけ。
スカラトスは良い人なんだと思うけどこの演出意図はあれだろ、悪い人間が銃を持つことが問題なのであって銃が問題なのではない的な…そういうセルフ・ディフェンス的な思想にさぁ、意図したものかどうかは不明だけれどもスクール・シューティング的な表象がくっ付いてきたりするわけじゃん。あまりにも間が悪いっつーかなんつーか。

いやもう、本当に扱いに困るんで勘弁してください。面白かったから尚のこと困るんだよ本当に…。

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戦間期に製作された第一次世界大戦ものなので大量のエキストラも含めて従軍経験のある出演者が珍しくなさすぎるっていうフィクション映画を前にすればイーストウッドの実験精神なのかなんなのか知りませんがあんな姑息な手法とか屁みたいなもんじゃないですか。

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