紀里谷和明引退作『世界の終わりから』感想文

《推定睡眠時間:0分》

紀里谷和明の映画はモーガン・フリーマンとか呼んでアメリカ資本で撮った『ラスト・ナイツ』しか観たことはないが『ラスト・ナイツ』はわりとつまらなかった記憶がある。つまらなかったがなにか本気だなぁという感じはあった。なんでも『ラスト・ナイツ』は忠臣蔵の素晴らしさを世界に知ってもらうために撮った映画とのことでストーリーは忠臣蔵を中世ヨーロッパ的なファンタジー世界に移し替えたものなのだが、紀里谷和明にそこまでさせる忠臣蔵の素晴らしさというのがヤング中年の俺にはよくわからない。わかるのは紀里谷和明はとにかく本気であるということだけだ。紀里谷和明が舞台挨拶で映画監督引退表明をしたというこの映画『世界の終わりから』もまた本気の映画であった。

戦国時代風の架空のファンタジー日本、近未来日本、終末後の世界と三つの時代・場所をまたぐ物語だがあらすじはそう難しいものではなく、両親を交通事故で失いイジメと貧困にあえぐ近未来日本の女子高生がファンタジー日本をさまよう夢を見たことから国の秘密機関に捕捉、連れて行かれた先には世界のこれまでとこれからのすべてが記されているといういわゆるアカシック・レコードを解読することのできる占い師の夏木マリがいた。そして彼女が言うには世界を救うのは君だということでこの女子高生は夢の中のファンタジー日本を旅し、そこでの行動から夏木マリは大震災やエボラ出血熱のパンデミックを予知、政府は事前にさまざまな対策を講じて日本防衛に成功するのだが、占いを根拠に計画停電や原発の停止や空港封鎖を行っているのか! と非難が噴出し、やがて怒れる大衆が女子高生と夏木マリをぶっ殺すべく殺到するのであった…そう難しいあらすじではあったねごめんなさい。

いやでも論理的に理解するのが難しいってだけで感情で把握するのが難しい物語ではないよねこういうのは。理屈じゃないんだ心で観るんだ的な。ラノベの異世界転生ものみたいなもんであぁいうのって転生の理屈とかはどうでもいいわけじゃないですか。理屈は知らんがとにかくそういうことになってるんだという。これも同じだよね。なんで女子高生の夢に世界の命運がかかっているのかよくわからない。でもいいんだよそういうことになってる。夏木マリ(たち?)は長年日本をその予知能力で護っているらしいがそれが実際どういう存在なのかよくわからない。でもいいんだよそういうことになってる。政府が具体的な理由もなく原発の即日停止や海外からの渡航禁止を発令できる近未来日本の政治体制がどうなってるのかよくわからない。でもいいんだよそういうことなってる! とにかく、そういうことになってる映画なのだ。

それでも中盤ぐらいまではそういうものとして観ることができるがひたすら女子高生が悲惨な目に遭う終盤は女子高生もずっと泣きっぱなしで壊れるが映画も壊れていよいよ論理とかどうでもよくなってくる。画面に満ちるのはネガティブな感情と呪いと表裏一体の祈りのみ。こんな腐った世界なんか壊れてしまえばいい!! 救っても救っても誰も感謝なんかしやしないばかりかあたかも自ら滅びたがっているかのような自滅的な行動をとる愚かな人類なんか滅びてしまえ!! でもこの子だけは!! かみさまがもしもいるのだとしたらこの子だけは救ってください!! この子が救われるならわたしはネットで煽動された大衆に殺されても構いません!!!!!

大丈夫なのだろうか。俺はこの映画を観終わって少なからず紀里谷和明のメンタルが心配になった。世界に忠臣蔵の素晴らしさを知ってもらうためにモーガン・フリーマンを招聘した紀里谷和明なのでおそらくこの憂いは見せかけのものではなく本気の憂いなのだろう。まぁ気持ちはわかる。東日本大震災、シリア戦争、新型コロナ禍、ウクライナ戦争と米中ロ新冷戦…とにかくここ10年ぐらい世の中ダイナミックに悲惨な出来事がカジュアルに起きすぎである。香山リカによれば東日本大震災後は自身のクリニックを訪れる患者が急増したとのことだが、かくも悲惨な世の中では俺のようにまぁそんなもんだろう次いこ次、と無責任に傍観している方が狂っているのであって、紀里谷和明のように心を病む(としか思えないのだが)方が正常なんじゃなかろうか。

しかし病んだ心はそれはそれで理性の目を曇らせる。紀里谷和明がこの映画の中に開陳する世界の悲惨はウクライナ戦争(劇中ではアフリカのどっかでの核配備とボカされている)や新型コロナ禍(これもエボラ出血熱のパンデミックに置き換えられている)など誰もがそれは確かに悲惨だよねと頷ける客観的なものもあれば、ネットで叩かれたとかバイトが忙しくて宿題ができないなどの主観的かつかなりどうでもよく外からは見えてしまう悲惨もあり、それらがこの映画の中ではすべて同列に並べられている。政府が占い師の助言によって計画停電などを決定していた! という俺からすればそれは批判されて当たり前だろと思われる女子高生+夏木マリに批判的なテレビ報道も紀里谷ユニバースでは人類が自らの首を絞める悲惨な出来事と分類されるのだ。

様々な時事ネタを別の事柄に変換して挿入しているこの映画なので占い師の助言で政府が動いていた…という劇中報道の元ネタはおそらく韓国のパク・クネ前大統領が占い師と通じていたことで収監されるまでに至った一連のスキャンダルだろう。知らないがおそらく紀里谷和明は結構スピリチュアルな人である。というのも劇中、主人公と夏木マリを非難する様々なネットの書き込みが画面に映し出されるのだが、そのひとつは「占い師に解散請求www」というものなのだ。これはあれでしょう、統一教会と与党自民党の繋がりがスキャンダルになったときに(なんだかもう遠い過去の話のようだ)統一教会に対する解散請求を求める声がとくに与党に批判的な人たちの間で持ち上がったことを踏まえているでしょう、さすがに。じゃなかったら解散請求なんてワード普通出てこないもん。

紀里谷和明が統一教会やパク・クネの占い師の肩を持っているとまでは思わないが、この人が宗教だからという理由でそれらを叩く人々に反感を持っているのはまぁ間違いない。問題は宗教というよりも宗教と政治の繋がりだと思うのだが、もしかするとその点でも紀里谷和明は異論があるかもしれない。…大丈夫なのか。そのように考えるとやはり、俺の頭に浮かぶのはこの言葉なのである。大丈夫か紀里谷和明、本当に。引退宣言までしてるし。

とりあえず紀里谷和明は今かなりしんどくても死んだりしたらいかんぞ苦しかったらまずはこころの110番的なダイヤルに相談なと形ばかりのメッセージを送りつつ俺が思うのは、こういう90年代の終末気分を引きずったセカイ系的な人類に対する憂いとか憤りって本人は本気なのかもしれないが外から見たら薄っぺらい。それはなんでかっていうと、世の中には様々な悲惨の現場があって、そのすべての現場には悲惨な状況にある人たちを一人でも多く救おうとする人たちがいる。人にもよるだろうがこの人たちは基本的に自分たちの小さな行動で人類全体を救えるなんて大それたことは思ってないとおもう。それどころか自分がどんなに頑張っても一向に悲惨の現場が減らないばかりかむしろ増えているように思えることさえあるんじゃないだろうか。

国境なき医師団の人とかそうだよね、あっちの悲惨の現場に行っては救えない命を数多見ながら懸命に仕事を続けやっと一段落したと思ったらまた戦争だのなんだので別の悲惨の現場が生まれてしまう。それは現場の人の方がシビアに理解しているんじゃなかろうか。でもこの人たちは頑張るんですよ。目の前の人を一人でも多く、自分にできることは微力で大局には何の影響も及ぼさないし大袈裟に感謝されることも大衆にその活動がほとんど知らされることがないとわかってても、それでもとにかくできるかぎり多くの人を助けるために具体的な行動をする。世界を救うとか憂うとか、そんな大きなことを考えてる暇なんて悲惨の現場で頑張る人たちにはたぶんあんまりない。

だから俺はこの映画を観てうわーなんかすごい映画だなーとは思いましたけどちょっとだけ反感を覚えたんです。なんだかこれでは悲惨の現場で具体的な行動をしている世界中の人たちをバカにしているように思えたから。紀里谷和明にそのつもりがないであろうことは察するけれども、これではいかにも豊かな国の豊かな人間の悩みという感じで、その目にはテレビニュースやネットニュースで見る悲惨な出来事は映っても、悲惨の現場そのものは映らないし、自ら悲惨の現場で働こうというつもりもない。にも関わらずこんな人類なら滅びてしまえと言う。俺はそれは傲慢だし甘えだと思う。子供ならともかく大人なんだからさ、しかも金のある。

まぁだからさ、あれだよ紀里谷和明はどうせ金があるんだから年収200万前後の俺に金を5万円ぐらいよこせ! 5万円もらったら俺はめちゃくちゃ喜んでこの感想の批判的な部分を全部削除すると思いますしたかだか5万でそこまで喜ぶ俺の顔を見たらきっと「あ、いま俺は一人の人間を救ったんだ」って紀里谷監督も思えて世界に対する絶望が1ミジンコ分ぐらい減ると思います! 紀里谷和明! お前に足りないのはな、現実に困っている人々を実際に救いたいっていう気持ちなんだよ!

【ママー!これ買ってー!】


紛争地のポートレート 「国境なき医師団」看護師が出会った人々 (集英社クリエイティブ) Kindle版

とりあえず紀里谷和明は読んでおくように! 俺は読んだことがないが!

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Booby
Booby
2023年4月13日 4:16 PM

紀里谷センセは「CASSHERN」の時からその尺度で本気でしたよ。そんな紀里谷センセに当時妻の宇多田サンは「誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いているよ」と言う主題
歌を付けてあげました。