地雷を越えて会社を興せ映画『脱走』(2024)感想文

《推定睡眠時間:0分》

脱北兵がひたすら走ってるだけの予告編を観てこれは韓国の『アポカリプト』だな超おもしろそうと思っていたので映画が始まり主人公であるところの北朝鮮兵が深夜の宿舎をこっそり抜けだし無言で駆け出すのを見ても、もう逃げるのか! 早い! スゴイ! と興奮したものの実はこれは脱北のための下準備、韓国との軍事境界線には地雷原があるので(『JSA』でも出てたやつ)そこを抜けるために主人公は毎夜毎夜たいへん地道に地雷の位置を特定し地雷回避のための地図を作っているのであった。

主人公が実際に脱北を実行するのはもっとずっと後のこと、だいたい90分の上映時間の折り返し地点ぐらいじゃないだろうか、という感じだから結構遅く、韓国版『アポカリプト』というのは読み違いだったようだ。がしかし、それはぜんぜんこの映画の面白さを損なうものじゃあなかった。まず面白いのはこのようにして綿密に脱北計画を練っていた主人公がひょんなことからトントン拍子で出世してしまい段々と脱北できない空気になっていく喜劇的な展開、90分のシンプル映画ゆえ余計な描写なくあれよあれよと主人公が流されていく姿は笑えるし、同時にそれがサスペンスも生んでいるのだ。

そしていざ脱北を決意してからは疾風怒濤、大規模なカーチェイスや銃撃戦などはないものの、綿密に練った計画が全部ご破算になってからの破れかぶれ出たとこ勝負の脱走っぷりは文字通り手に汗握り、おそらく『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の影響だと思うが女性だけの反乱ゲリラ軍に出くわしたりとコンパクトな中にアツいイベント盛り沢山である。ちなみに事情に詳しい人によれば韓国映画の北朝鮮もので反乱ゲリラが登場するのはこれが初のことらしい。

時間はない。劇中でも時間はないが(地雷地図は雨が降ると地形が変わって役に立たなくなるが今にも大雨が降りそうという展開)それ以上に上映時間がない。最近の韓国アクション・サスペンスにしてはかなり短い90分台の上映時間の半分ぐらいは脱走開始までに使ってしまっているのだ。だから主人公がついに脱北を決意して走り出すと、映画はもう止まることがない。走れ、走れ、ひたすら走れ!

その中に北朝鮮の階級社会が生み出すユーモアありサスペンスあり意外性ありそして冷酷な敵役兼じつは親友という韓国映画らしいエモなキャラと関係性ありで、それらが少しも引き延ばされることなく(なにせ上映時間がないのだ!)必要最低限の描写でパッパッパッと流れるように画面に散っていく。うむ、すごく小気味よい活劇であるこれは。B級活劇として近年の韓国映画の中でも屈指の佳作といえるんじゃないだろうか。

ところで興味深いのは主人公の脱北動機である。一般庶民の脱北動機ならやはり苛烈な先軍政治を敷く北朝鮮であるから食うに事欠いてという場合がほとんどであろうが、じつはもうじき軍務を終えるという主人公はなんとか長みたいな役職があるので食うに困らず、しかも軍の偉い人とコネもあるので軍を引退しても北朝鮮で結構エンジョイ生活を送れる恵まれた人なのだ。

そんな人がなぜ脱北をというのはこの映画のテーマといえるところだが、生活の安定なら(軍に入って色んなことに目をつぶれば)北朝鮮にもあるかもしれないが、生活を賭けた挑戦は社会主義国である北朝鮮には存在しない、そのために挑戦、具体的には韓国での起業を求める主人公は脱北を決意するんである。ここらへん従来の北朝鮮もの韓国映画と一線を画すかもしれないキャラ造型で、それがどの程度リアリティのあるものなのかはわからないが、ともかく面白いことは間違いない。

しかしより面白いのはそこから見えてくる現代の韓国観ではなかろうか。北朝鮮もの、それも脱北ものの韓国映画なのだから北朝鮮よりも韓国の方が優れているという前提は当然のことあるわけだが、どんな点で北朝鮮よりも韓国の方が優れているかという具体的なところになると、まぁ小さな仄めかし描写ならいろいろあるとしても、なんといっても「韓国は起業ができる」というのがこの映画の提示する北朝鮮に対する韓国の優位性なんである。そのために主人公のトントン拍子の出世が描かれたりするわけだ。恵まれた主人公ならもしかすると北朝鮮にいる方が韓国よりも豊かに暮らせるかもしれないが、この人は貧乏でも起業のできる環境を選ぶわけ。

そうした韓国の優位性はなんだかずいぶん貧しいものと俺の目には映る。俺自身はお金さえあれば起業はわりとしてみたい方ではあるのだが、しかし社会の豊かさということを考えた場合、起業はできるが貧富の格差が大きく起業マインドのない人派生活苦に圧迫される社会と、起業はできないが貧富の格差が小さく企業マインドを持たない人でも毎日そこそこ楽しく暮らせる社会なら、後者の方が豊かなんじゃなかろかと思う。北朝鮮よりも韓国の方が人間関係が楽しいとか安心して暮らせるとかそういうヒューマニスティックなことをたとえウソでもこの映画は提示しない。提示するのはただ起業が自由にできるという資本主義の原則でしかないんである。

北朝鮮というフィルターを通して見えてくる韓国の美点がそれしかないというのは、まぁあくまでもB級活劇だからその点は深掘りしなかったのだと思うが、現代の韓国に生きる人にとって韓国がそれだけネガティブに捉えられがちということかもしれない。あるいは資本主義が、なのだろうか。なんにしても、それは同じ資本主義国に住む人間としてわからないでもないので、結構興味を惹くところなのだ。

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