《推定睡眠時間:0分》
少し前に人生で初めて飛行機に乗ってそれは国内線だったから別に乗って降りてというだけなのだが保安検査場でははじめてあるあるで何度か金属チェックゲートでピーピー鳴ってしまい最終的にベルトを外してクリアすることができたのだが後ろに待ってる人もたくさんいるし搭乗ゲートのチェックインを済ませたのが搭乗締め切りの1分前という奇蹟の滑り込みということもあってちょっと動揺してしまった。国内線でさえ空港はお客が常に係員に審査されその命令に従う場。それが他国への入国となれば緊張もひとしおに違いない。ということでそんな空港ドキドキあるある(なのか?)を映画化したのがこの『入国審査』であった。
主人公の二人はバルセロナ在住だがグリーンカードに応募したら当たったのでチャンスを求めてアメリカ渡米。しかし時期が悪かった、そのときちょうどトランプ政権第一期ということで、入国審査が民主党政権下よりも厳しくなっていたんである。そんなことはどうもあんまり意識していなかったらしい二人は入国二次審査、いわゆる別室審査というやつに理由も告げられずに回されて(※二人は知らないがどうも一次審査の際に犯罪歴照会で引っかかったらしい)かなり不安になる。かくしてはじまる尋問のような別室審査。はたして二人は無事に夢とドリームの国アメェリカに入国することができるのであろうか?
別室審査の様子はほぼリアルタイムで省略無く編集されていたのでなんとなく連想させられたのは首に爆弾を巻かれた人の救助劇をワンカットで捉えた一風変わったサスペンスの『PVC-1 余命85分』という映画だったのだが、実は『PVC-1 余命85分』のように犯罪性のある感じではないというのは書いたらネタバレにあたるだろうか。ねちっこい別室審査を通して観客はこの夫婦らしき二人の素性を少しずつ知っていきそこで明らかになるちょっとした隠し事が二人の関係性に若干のヒビを入れたりするのだが、終わってみれば取るに足らない平凡な二次審査(ただしアメリカ人なので相当に感じは悪い)、監督の実体験に基づくとでかでかポスターに書いてあったのでいったいどんな壮絶体験をしたのかと思ってしまったが、人生そんなに壮絶体験は転がってたりしないもんである。
その意味では一種のブラックコメディとも言えるのかもしれない。演出はサスペンスフルなので笑いどころはほぼゼロなのだが、ほぼ、というのはラストシーンで空港の係員があまりにも素っ気なく発する一言で全身の力が抜けてズコーってなり、そのままバンッとエンドロールに入るので、そこには『ドッグヴィル』のような皮肉なユーモアを感じなくもなかったからだ。主人公二人にとったら人生で一位二位を争う恐怖体験にして屈辱体験。しかし入国審査官にとったら単なる日常の1ページで、とくに悪意もなくいつもやってるつまらないルーチンワークに過ぎない、というこの強烈なカルチャーギャップ。実際にこんな目に遭ったらムカつきを通り越して笑うしかない感じである。
入国者目線からアメリカの入国管理事情が結構細かく描かれていて面白かったが、ただまぁ良くも悪くも実話ベースという惹句にウソが無いので、再現ドラマに近いシナリオになっている点は人によってはガッカリするところかもしれない。まぁ上映時間も77分と短いことだし娯楽映画というよりは楽しく観られる教育映画として観るのがいいかもしれない。主人公二人はグリーンカードの抽選に応募して当たった人だが、アメリカに住むってこういうことですよ、アメリカってぶっちゃけ夢の国ではないですよ、あなたそれでもアメリカに住みたいですか? みたいな。基本的に感じの悪い(入国辞退を狙ってるのだと思われる)入国審査官だが言っていることは案外正論である。「今住んでる国で成功できない人がアメリカに来たところで成功できないんじゃないの?」アメリカは世界有数の競争社会だし格差社会だし犯罪社会だし銃社会だし薬物社会だし差別社会であるということを考えればこれは否定できないことなので、この映画の二人のようにノリでグリーンカードを取得して二次審査でめちゃくちゃアメリカに幻滅する前に、アメリカ移住を考えている人はこの映画でアメリカに幻滅しといた方が被害が少なくて済むんじゃないでしょーか。
ところでこの映画はBGMが無い代わりに雑踏の音が工事音といったノイズを生かした音響デザインがなされていて、これがなかなかスリリングで良かったのだが、中でも唸らされたのが別室審査中に廊下で配線の工事をやってる音がギャーギャーと会話を邪魔するところ。二人の主人公のうち諸事情により焦っている男の方の動揺を工事音で表現しているわけだが、これに続く入国審査官のセリフのあるある感にグッと来る。「三番は? 三番は使えるの? すいませんちょっと別の部屋に移動します。あーあー荷物そのままでいいから」警察署に被害相談などに行くとこういう会話と展開はめちゃくちゃあるので、だいたいどこでもこっちが犯人ででもあるかのように高圧的な刑事の話しっぷりを思い出したりしながら、なんだか苦笑いが出てしまうのであった。