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基本このブログには新作の感想文を書くようにしているのだが夏休みに入ったらサタジット・レイ特集は始まっちゃうし羽仁進特集も始まっちゃうし国立映画アーカイブでは返還映画コレクション、まだ観れてなかったショーン・ベイカー初期作品特集も続映ということでそっちに気を取られて全然新作が観られていない。その新作圧迫特集のひとつがシネマート新宿で上映されている新宿ハードコア傑作選、週替わりでハードコアな旧作を上映ということで『10番街の殺人』、『ハード・コアの夜』、『テロリズムの夜/パティ・ハースト誘拐事件』、『ローリング・サンダー』、『私は死にたくない』、『キング・オブ・ニューヨーク』の6本がラインナップ。統一感のあるようなないようなセレクトだがまぁ容赦が無いという点で共通してはいる。あと全部おもしろい。
でその中の『テロリズムの夜/パティ・ハースト誘拐事件』、これはこの6本の中で唯一タイトルを聞いたことのない作品だったのだが、どうやら日本では劇場未公開のビデオスルー、未だ円盤化されておらずだそうで。もったいない! 観たらかなり面白く、その場でフィルマークスに比較的長文の感想を投下してしまったほど。これはぜひともみなさんにも観てもらいたいので、円盤化を祈願して(でも映画館でこうして急に上映されるということはたぶん今年中に国内盤の発売が決まってるんじゃないでしょーか)フィルマークス投下感想を増補版にしてこっちにも載せてしまおう。まぁ、要は記事のネタがなかったという話である。
さて、『タクシードライバー』の脚本家ポール・シュレイダーは先進国の都市ゲリラたちの破壊活動の大義にはきわめて個人的で未熟な動機が本当は隠されていると考えているらしい。小熊英二は1960年代後半の日本の学生運動を仔細に検証した大著『1968』においてそれまでの運動が貧窮や人権蹂躙など近代的不幸(肉体的動機とも言い換えられようか)に基づくとすれば、60年代後半に世界中で爆発した学生運動の動機はこうした自身の生存に直結するものではなく、漠然とした存在不安といった豊かな社会での現代的不幸であると述べているが、シュレイダーの視点もおおむねこれと重なるように思われ、それはとりわけ裕福な白人学生が運動の主体であった(日本の学生運動参加者は農村出身の貧しい学生も多かった)アメリカの場合には当てはまるのではないだろうか。
アメリカの学生運動の中心組織であったSDS(民主社会学生同盟。ちなみにドイツにも同名の学生運動組織があったが、影響はありつつも別物)は1970年頃になると瓦解し、そこから都市ゲリラを標榜する過激派ウェザー・アンダーグラウンドが誕生する。日本やドイツの過激派のように規模は大きくなかったものの各地で爆弾闘争を起こしたウェザー・アンダーグラウンドは、アメリカの1970年代ものの映画では触れられることの少ない学生運動の暗部というべき存在だが、こうした時代状況に触発されて誕生したのが極左と言うよりもどちらかと言えばカリスマ指導者シンクユー(チンクエ)を教祖と奉じるカルト・コミューンに近いSLA(シンバイオニーズ解放軍)であり、この映画はSLAに誘拐され後にメンバーとして犯罪活動に加担させられたパトリシア・ハーストの視点からSLAを描くもの。
いやぁ面白かった。こりゃアメリカのポスト学生運動映画の傑作じゃないでしょうか。誘拐・監禁・強姦・脅迫・犯罪加担による罪の意識の植え付けとだいぶ悲惨な目に遭い続けるパティ・ハーストの心理変化を丹念に綴るニコラス・カザンの脚本がまず素晴らしいが、おそらくファスビンダーの過激派ネタ映画『第三世代』に触発されたのではないかと思われる映画マニアのシュレイダー演出は奇抜なセットを多用するなど実験精神旺盛で、それがハーストの混乱した心象風景を伝えるに一役買っている。シュレイダーのドライな眼差しはまた過激派メンバーの言葉の軽さと空虚さを時にブラックユーモアとして浮かび上がらせ、基本的に悲惨な話なのにオタクみたいな白人メンバーの「ちくしょう!白人思考がまだ抜けない!黒人に生まれたかった!」とか大笑いしてしまうところである(こいつが黒人しぐさを頑張って真似るシーンには鏡に向かってカッコつける『タクシードライバー』のトラヴィスがダブる)
組織のメンバーとして強盗事件に関与したとはいえ劇中の検事のセリフにもあるようにこの状況ならハーストを罪に問うのは無理だろう。現在ならそうだろうがアメリカは自由意志信仰の非常に強い国なので、この時(1979年とか)は組織への加担はハーストの意志によるものとして彼女に実刑がついてしまった。まったくその機運なんかないのに革命は近し人民は我らの味方と妄想にふけるSLAのメンバーもどうかしているが、それを裁くアメリカ社会もどうかしている。キャリア初期から近作『魂のゆくえ』までアメリカの病理をえぐり続けるポール・シュレイダーの、監督としての代表作に数えてもいいのではないだろうか?
ちなみに、同じ事件を元ネタにしているのはジョン・ウォーターズの映画テロリスト映画『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』。カーペンターの『エスケープ・フロム・LA』に出てくる大統領の娘もパトリシア・ハーストのイメージが投影されているかもしれない。SLAというかウェザー・アンダーグラウンド(劇中ではそのメンバーと思しき人々とSLAを頻繁に接触する)はおなじみ『ファイト・クラブ』の下敷きになっていると思われるが、『ファイト・クラブ』が自己破壊=自己啓発の集団がいつの間にかテロ組織に変貌していく過程を描いていたのは面白いところで、日本の過激派と同じくSLAの中核にあったのもやはり裕福な白人たち罪悪感と自罰意識であり、妄想気質強めな黒人指導者シンクユーの指導のもとで白人メンバーは白人であることの穢れを洗い流していく。つまりこの人たちは「革命だ!」と叫んで強盗とか誘拐とか暗殺をすることで自己変革を体験し、救われたような気分になっていたわけです。
この直接行動による自己変革願望が1960年代後半の学生運動を突き動かした主要な動機だったというのは小熊のようにやや学生運動に批判的な立場の研究者も学生運動に肯定的な立場の研究者も一致を見るところで、『テロリズムの夜』はそうした意味で学生運動の本質を意外な角度から突いた映画といえるかもしれない。ちょうどポスト学生運動の過激派に属する桐島聡の伝記映画『桐島です』も公開中なので、学生運動に興味がある人はぜひこちらも…と言いたいがなんせ新宿で今週いっぱいしかやってないからな。円盤化を待とう(するよね?)