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去年の東京国際映画祭で『アトロピア』っていう映画が上映されて、なんでもイラク戦争時にはアメリカのなんとか砂漠に新兵訓練のためにイラクの市街地を模したハリウッド映画のセットみたいな訓練施設が作られたといい、『アトロピア』はそこで現地市民の役をやってる人のお話、なかなか風刺が効いていて楽しいコメディだったのだがー、アメリカという国のイラクに対する解像度の低さというかリアリティの無さがひどく印象に残る映画であった。そもそもそんな施設が作られること自体が全てを物語っているわけで、なぜそれが必要かといえば、これからイラクに送られることになる新兵たちはイラクがどんな国なのかまったく知らないわけである。というか兵士に限らず一般的なアメリカ人はたぶん全員よくわかってなかっただろう。俺も知らないし。
兵士が見ているビデオ映像から始まるという点で『アトロピア』と奇妙に繋がる『ウォーフェア』は2006年のイラク市街地を舞台とする映画なのだが、面白いのは登場するアメリカ兵の行動ではなく戦闘の模様でもなく、そういう画面に映るものではなくて、画面に映らないものであった。敵である。敵がこの映画ぜんぜん画面に出ないんである。冒頭に「この映画は兵士たちの回想に基づく」とテロップが出るように全編が民家に籠城したアメリカ兵の視点で描かれるのだが、カメラもそれに同調して民家の中にずっと籠もってるから外の様子がわからない。それで画面に敵がほとんど登場せず、あたかもカーペンターの『要塞警察』のごとく姿の見えない敵に一方的にアメリカ兵が攻撃を受けるさまをこちらとしては観ることになるわけだが、果たして作っている側が自覚しているのかいないのか、いやあんま自覚してない気が俺としてはしているのだが、起こっている出来事はまったく現実的なのに、まるでヴァーチャル空間の出来事のように見えてくる。
2006年のイラクであれば既にサダム・フセインは獄中にいるわけで、新政権も発足してるし、一般のアメリカ兵ならなんで自分がイラクにいるのかわからなかったんじゃないだろうか。敵というのもそりゃまぁブリーフィングでこういうのが敵ですよと叩き込まれてはいるのだろうがメタ的な理解というかなぜそれが自分たちの敵なのか実感なく。ということでのこのバーチャル感。それがおもしろかった。それがおもしろかったし、それをとてもリアルな戦争映画だと評価する人が結構いるのもまたおもしろいことかもしれない。戦争という巨大な現象を俺も含めてたいていの人は視野に収めることは不可能なので、たぶんデカすぎるために人間の理解を超えたリアルな戦争よりも、こういうミニマルでヴァーチャルな戦争映像の方が「リアルなもの」として感じられるんじゃないだろうか。リアルとバーチャルの逆転。描かれるのは徹底してアメリカ兵の「自分たちは痛かった、怖かった」という感情だが、そうした強い感情の方に(それが本当にリアルかどうかとは無関係に)人はどうしてもリアルを感じてしまう、というところもあるのかもしれない。
戦場体感映画的なものはこれに限らず『ベルファスト71』とか『アウトポスト』とかいろいろと作られてはいるので、じゃあその中で『ウォーフェア』が格別に優れているかというと、アメリカ兵の被害のみに特化した映画という意味ではそれなりにオリジナリティもあるでしょうが、そうも思えず。イラクを舞台にした戦争映画ならISとの戦闘を描いたマシュー・マイケル・カーナハンの『モスル ~あるSWAT部隊の戦い~』がリアルな戦闘だけでなくしっかりと現地の状況も描いて傑作だった。戦場の臨場感を観たいのならソクーロフの従軍ドキュメンタリー映画『精神の声』でも観ればいいんじゃないだろうか。実際に監督が戦闘に巻き込まれながら前線兵士の日常を撮ってるんだから臨場感という点でこれを超える映画はないだろう。
こういう優れた戦争映画群と比べると俺には『ウォーフェア』はどうにも薄っぺらく感じられるのだが、95分という短いランタイムで手軽に戦場体験ができるということでこの映画は評判になっているようなので、薄っぺらいからダメなのではなくて、逆に薄っぺらいからこそ多くの人に受け入れられる、みたいなところはあるんだろうな。リアルな戦争なんて人間は観たくない。ヴァーチャルな戦争だからこそ安心して楽しめる。戦場体感映画として好評を博しているということは、それだけこの映画が現実のイラク戦争を想起させないヴァーチャルな、ある種のアトラクションやゲームであることを示しているように俺には思える。いや、面白いは面白いのだけれども。