たぶん精神病患者にとってはホラー映画『幻愛 夢の向こうに』感想文

《推定睡眠時間:15分》

さてこれは統合失調症テーマの映画なわけですが統合失調症についてはかなり前から不思議に思っていることがあり、統合失調症のシンボリックな症状といえば幻覚や妄想でしょうが、なぜそれに傾倒してしまうのかということについての精神科医の先生たちの議論などがあればぜひ読んでみたい。つまり幻覚が現実と同じ強度で知覚される、とそこまではわかるのだが、なぜそれを現実と同じように信じるのかがよくわからない。

なるほどたとえば今これを書いている俺の横に貞子が現れたらめっちゃ怖いし幽霊出た! と思うのは間違いないのだが、一方で「でもそれはもしかして統合失調症の症状では?」と疑うことはできないわけではない。現に、さしたる理由があるわけでもなく非常に気分が落ち込み死にたいというかスッと消えたい時というのはあるのだが、そういう時に俺はあぁこれはうつ病の症状が出ているな、とその気分を頭の別の箇所で分析することはできるわけで(分析したところで楽になれるわけでもないのだが)、それは自分が感じていることと自分の現実は思考によって別の水準に切り分けられることを示している。

ところが統合失調症の患者さんの場合にはこの切り分けの能力が程度の差こそあれ損なわれているとしか思えないところがある。それは世界の相関を適切に切り分けることのできない現象と言い換えることのできる関係妄想の要因とも思えるのだが、してみれば統合失調症というのはその名前に反してむしろ統合過剰症とか接続過剰症と言える面もあるわけで、その過剰な「つながり」がどうして生じるのか……というのは20世紀には臨床精神医療のフレームを飛び越えて学際的にさまざま議論されたかと思うのだが、精神分析の衰退もあって最近はそのような話を専門領域の外で見聞きすることがすっかりなくなってしまった気がする。

いやべつに精神分析とか無関係でもよく、知らんが脳神経学? とかそういうやつとかでいいので、なぜ統合失調症においてこの過剰な「つながり」、主観と客観の結合とそれによる主観の客観的評価の機能不全が起きてしまうのか、ということが知りたくて……映画とまるで関係ないような話に思えるかもしれないがこれは意識的な苦し紛れの話そらしです!

なぜかといえば! この映画、タイトルが出るのが映画が始まって15分ぐらい経ってからなのだが、その長いアヴァンタイトルが俺の中では盛り上がりの最高潮、そのためぜひこれを語りたい、語りたいという気持ちは大いにあるのだが……じつにスマートな映画的仕掛けがここに込められているがためにどんなアバンタイトルか言ってしまうとネタバレになってしまうのである! ネタバレ注意の警告を付けて書いてもいいのかもしれないがそれはなんか負けた気がするから避けたい! と、そのようなわけで映画と直接関係ない話にズラしてしまったのであった。ネタバレのない範囲で言えばこの長いアヴァンタイトル、甘さと切なさと戦慄が同居する一本の短編映画としても成立しそうなとても面白いものであったから、まぁとにかく映画館に行ってみろ! 話はそれからだ! である。

お話的にはこれもひとつの禁断の愛ものなのだろうか、ユング派の理論に立脚して統合失調症患者をリサーチする心理学科の院生(セシリア・チョイ)に患者のひとりテレンス・ラウが「このひとは俺のことが好きなんじゃないか」と妄想を抱いてしまい、こりゃ自分の研究対象にぴったしだということでラウとセッションを重ねるうちに、フロイト派と異なり患者との距離感を取っ払おうとするユング派だったことも影響しているのか、チョイの方もラウを好きになってきてしまうというもの。

こうなんていうかクローネンバーグの『戦慄の絆』に近いようなかなりエグめのホラーとしか思えないプロットだが画面に出てくるのはイケメン/イケジョである。だからホラーとしてはまったく演出されておらずそれぞれ悩みを持った美男美女が恋愛関係に入ってその関係の中で自分を救っていくというたとえば『ハニーレモンソーダ』みたいなキラキラ映画と通じる爽やかな恋愛映画となっているわけで、あれなんだろうホラーじゃないはずなのにとてもこわいとてもこわいなに。もしこの院生に恋愛妄想を抱く統合失調症患者が香川照之だったらスーパーホラー以外の何物でもなかったと思われるので、イケメンならどんなにおそろしいことをしても許されるどころか美談になってしまう世の中はあまりにも残酷である。

倫理的にはどうかと思うところがかなりありつつも映画としては面白いというのもキラキラ映画と通じるところかもしれない。精神病患者と精神科医(厳密には違うが)の恋愛というだけでも倫理的にグレーなのに、患者の恋愛妄想を引きずられる形で担当医が患者と関係を持つことを美しき恋愛として描写するわけである。なんておそろしい映画なんだと思ってしまう。いくらセシリア・チョイが美形といっても精神病患者の一人の立場から言えばこれは悪夢といってよい。美女が自分の妄想を叶えてくれるのだから悪夢だとしても甘美な悪夢かもしれないが、そんなことをされたらどこまでが自分の妄想でどこまでが現実かわからなくなってしまい(映画の後半はずっと何が現実で何が妄想かわからなかった)、目の前の世界が崩壊していくような強烈な恐怖に駆られ、もし俺がテレンス・ラウの立場だったらその恐怖から自分を守るためにチョイを刺し殺してしまうのではないかと思う。

言うまでもなくそれは医師ポジションのチョイにとっても最悪の悪夢であり恐怖のはずだが、その危険な関係性をこの映画は身分違いの恋愛って燃えますよね的に平然とやってしまう。キラキラ映画はイケメンと恋をするためなら戦時中にタイムスリップすることすら厭わないわけだが(→『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』)、この映画もまたイケメンとの恋愛したさで現実的な可能性とか倫理の壁など余裕で乗り越えていってしまうわけで、そのものすごくもあっけらかんとした恋愛至上主義には呆れながら同時に心を揺さぶられてしまう。結末とかそれでいいわけがないのだが、ともかくそのフィクションならではの無茶な突破力にやられてしまう、なんともパワフルでおそろしい、そしておもしろい映画であった。でもよいこは真似すんな!

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