逆張り不可映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021)感想文

《推定睡眠時間:30分》

何も逆張りしようと思ってこういう超大作映画を観に行ってるわけじゃないがさすがにこれぐらいの超メジャータイトルかつ超メジャー監督の作となると心のどこかは反り返っていてですね「わくわく…わくわく…けっ!」みたいな、いやだって面白いに決まってるんだもん、面白いに決まってるんだから俺ぐらいはどこかつまらねぇところを見つけておもしろいおもしろいと賛一色の社会にツバを吐きかけてやろうという気持ちもあるじゃないですかうんそれが逆張りですね! バリバリに逆張り! しょうがないんだよそういう性格なんだから。

だけど、まぁそういう感じで観に行った結果、これ逆張りできなかったな。すごい楽しいすごい哀しいすごい面白い。そりゃ探そうと思えば難点なんかいくらでもあるでしょうけど探す気をなくさせる映画だったんだよ。そんなのどうでもいいじゃんて。「娯楽映画!」って感じだよな。どんな難点が仮にあるとしてもいちいちそれをあげつらいたくなるほどの良い意味でも悪い意味でも個性がなくて、どんな政治的なメッセージを内包していてもそれがあくまで映画の一部に過ぎなくて娯楽映画以上のものではないから押しつけがましさがなくてするっと脳を通り過ぎていく。これそういう映画だったんだよ。

だから感想も「おもしろかった!」しか基本的にない。少しだけ補足をするならばリズミカルなカメラワークが俺にはすごくよかった。オープニング・シークエンスなんか顕著ですけれどもこの映画のカメラの動きというのは昔の映画なんですよね。つまり細かいカット割りをあまりしないで観客に見せたいものはカメラのズームインとズームアウトにドリーインとドリーアウトにパンとティルトにトラック移動にクレーン移動(まぁドローンとかも活用しているのだろうが便宜的にということで)にっていうのを活用して一つの空間で起きている出来事や様々な人物をワンカットで見せる。だから画面にこれからどうなるんだろうのドキドキ感がある。

たとえば人物Aが走っているのをカメラがトラック移動で追っていくと人物Bがカメラの進行方向から画面に入ってきて人物Bを殴る、そこでカメラが今度はドリーアウトで引いていくとカメラの両サイド後方から人物Aの仲間たちがわーっと画面に入ってきて二人に押しかける、そこでカメラが素早く真後ろにパンすると現場にパトカーが到着するのが見える…という、これあくまでも説明のための例なので具体的にそういう場面が映画にあるわけじゃないですけど(似たようなのはあるけど)、そういう見せ方をずっとしまくる映画なんですよね。

最近の映画だとこんな悠長なことはやらないでカットを割っちゃう。その方が簡単だしショッキングだから。驚いた人物Aの顔アップショットの次にその人物が見ている怪物の顔アップに繋いだら人物Aと怪物をパンで繋ぐよりびっくりしますよね。でもそのショックはカメラが捉える出来事の起こっている場全体から切り離されているからショット単位のショックに留まりシーン全体の有機的な連関は生まず…となにやらわかったようにわざと小難しく書いてますが要するに、飽きちゃうんだよ、カット割るとショックのパターンが同じになってきて。

そういうことはこの映画っていうかスピルバーグと撮影監督ヤヌス・カミンスキーはやらない。だから人物Aと人物Bが街中で出会うだけみたいな他愛のないシーンでも驚ける、面白く感じられる、あるいは怖がれる。仲間たちが集まってくるにつれて軽やかなステップがダンスに変貌していくオープニングの有名なあれはすごい高揚感だし、一方体育館での群舞から喧嘩へのシームレスな移行は楽しげなムードの中に一触即発の緊張感がある、人が死ぬシーンもあくまでも喧嘩の延長線上にあるからその呆気なさに呆然としてしまうし、少年たちのちょっとした悪ノリが人種差別に根ざした憎悪と取り返しのつかないところに来てしまったことの怯えとあるいは劣情も入り交じった熱狂に代わって強姦(未遂)へと発展してしまうシーンは、表現的にはマイルドでもそれを捉えるカメラによって心底おそろしいものになっていた。

ミュージカルなのにカメラカメラとそればかり書くのはどうなのよと思うが確かに歌も踊りもオリジナルに準拠してるわけだから魅力的なことは間違いないがそれを一歩引いたところから捉えているような印象がこの映画にはあって、だから個々の歌とか踊りも生の発露という感じにはあんま見えない、人間がある行動を取るときの感情のメカニズムを可視化しているように見えるので、わっと盛り上がるような場面は実は少ない。これはこの作品の難点と言えるかもしれないが…でも俺はそこが良かったな。憎悪×憎悪の末に何が残るかっていうのを冷徹に見つめてそこに至る過程を個人の意志なんかではどうにもできない集団のメカニズムとして見せてしまう。ひょっとしてひょっとするとスピルバーグはこの小さな憎悪犯罪をナチスのホロコーストのミニチュアとして提示したかったんじゃないだろうか。

タイムラプスで時間だけが過ぎていく無人の建物の壁や階段を映すエンドタイトルに流れるメドレーはそれが陽気で活力に溢れているだけにこの上なく残酷な響きを帯びる。おもしろうてやがてかなしき、とはこんな映画のことを言う。「おもしろい」以外の感想もないと書いたが結局これぐらいは書いてしまったな。まぁこれぐらいは書かせる力のある映画だったってことで。

【ママー!これ買ってー!】


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古典的名作すぎて逆にあんまり見られてないやつの代表格。俺も昔教養的に見ただけで内容はほとんど覚えてない。

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