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続くときは続くものだ。最近日本公開された韓国の『顔』という映画、それから『ナイトボーン -夜哭-』という映画はいずれも物語のキーとなるキャラクターの顔を見せない演出法が取られていたが、この『ワンオペーション』もまたキーとなる主人公の一人娘の顔をカメラに最後まで映さない作り、とくに『ナイトボーン』とは育児中の母親を主人公として彼女の強いストレス源となっている「普通ではない」子供の顔を映さない点でも、そして映画の最後になってようやくその顔が画面に入り込む点でも共通する。たかだか1本2本の映画で判断できるものではないかもしれないが、なにかこうした映画には普通ではない子供を生んでしまったことに対する嫌悪感や拒絶感が表れているようでもあり、なんとなく不穏である。
『ワンオペーレーション』の場合の普通でなさは摂食障害。そういえばこれもまた最近公開された『アダムの原罪』という映画が小児摂食障害を扱ったもので……まぁそれはいいとして、摂食障害だけならともかく普通でないのは栄養を入れるためにこの小1くらいの娘はお腹に穴を開けてそこに差し込んだチューブによって点滴のハード版みたいな治療を受けているのであった。これは現実世界では見たことがないし映画の中でも初めて観たのだが、映画の舞台となっているアメリカでは一般的に行われる治療なんだろうか? そんなことあるのと思って検索しても摂食障害がひどい場合は鼻からチューブ挿して胃に直接栄養流し込みますと出てくるし、たしかにわざわざお腹に穴を開けなくてもそれで充分そうである。
そういうレアな治療法もないことはないのかもしれないとしても、とはいえこの映画に出てくる主人公の娘は摂食障害以外に重篤な障害があるようにも見えない。するとあれはリアルな治療の描写というよりもメタファーのようなものだったのかもしれない。お腹に空いた穴に差し込まれた栄養注入のためのチューブ、とはへその緒の代替物だろう。映画の後半ではこのチューブを抜くか抜かないかという話が出てくるのだが、へその緒が繋がっているのは子供だけではなく母親にもである。チューブを抜くとはへその緒を断ち切ることと同じ象徴性を持つだろう。
主人公はカウンセラーなので(あんたそんなことやっとる場合じゃないじゃろがい)その患者として度を超した過保護で子供を片時も離そうとしない母親というのが出てくる。そしてこの母親はそのことで非常に強いストレスに晒されているようであった。まさしく自縄自縛、この母親は自分と子供を離してはいけない、離したら子供が死んでしまうという強迫観念によっておかしくなっているのだが、実はそれは主人公も暗に感じていることであった。
言葉遣いこそ冷静なものの主人公が我が子に向ける態度や眼差しには殺意に近いものさえ見て取れる。このガキときたらやかましいしワガママだし甘ったれるし俺が母親だったら奈良の寺にでも放り込んで矯正を試みるのではないかと思われるが、主人公はこのガキの要求を決して断ることができないし、腹のチューブを抜くためにはとにかくメシを食わせなければならないが(この場合の摂食障害はあくまでも心理的な問題であって、主人公の娘に嚥下や消化に関する身体障害は見られない)、いいからとにかくメシを食えと要求することも主人公にはできない。
言えばいいのである。無茶な要求をされたら叱りつけて突っぱねればいいし、生死に関わるような絶対に呑んでもらわないとならない要求は強めに手練手管で強引に押しつけたらいいのである。それができずに主人公が壊れていく、というのがこの映画の面白いところだ。どうもこの人もまた例の患者と同じように、我が子から離れることに対する強い恐怖心が心の奥底にはあるんである(その原因は朧気ながら終盤に語られる)。だから子供の要求を断れない、子供を叱れない、へその緒を断ち切ることができない。そしてそのために過度なストレスがかかってしまって……なのだ。
育児ストレスで親の精神が崩壊していく映画の大先輩といえば『イレイザーヘッド』であるし、主人公の患者が夜闇に走って消えていくビューティフルなショットなどはデヴィッド・リンチ味を感じるものだったが、このように見ていけば描かれる心理は『イレイザーヘッド』とはずいぶん違ったものかもしれない。『イレイザーヘッド』の場合はわりとストレートな子供に対する嫌悪と恐怖だが、『ワンオペレーション』で描かれるのは子供に自分から離れて欲しくないという愛着の捻れた形なのだ。可愛さ余って憎さ百倍とは昔の人も上手いことを言ったもんだ。
重度障害や性格上の問題などで親の世話が長く続くケースもあるだろうとはいえ、どんなに可愛くても大抵の子供はいつか親の手を離れて独自の人生を歩み始める。『ワンオペレーション』という邦題やあらすじからは見えにくいが、これは本質的には育児ストレスの話ではないし、働く母親は大変というようなお話でもない。子の自立を親が受け入れられるか否か、ということに関する物語なのだ。そしてそれは奇しくも『ナイトボーン』や『アダムの原罪』でも描かれたものなのであった。
これらの作品がいずれも父親ではなく母親を主人公としている点はおそらく偶然ではないんだろう。やっぱ自分で産んだという体験をしている母親は子との一体感を父親よりも強く感じるんじゃないかしら。子離れというのは簡単なようで案外むずかしいことなのかもしれない。そのむずかしさが多少のシュールな意匠を借りてスリリングかつユーモラスに(主人公のパワフルな空回りっぷりに笑ってしまうのだ)描かれる映画が『ワンオペレーション』。こういう内容の映画の公開が最近続いてるから「またぁ?」みたいな感じにはちょっとなってしまったが、子供が親離れせずにいつまでも父親と仲が良かったあの頃を懐古し続けるサマを感傷的に描く『aftersun/アフターサン』のような映画が持て囃される昨今なのだし、子離れ≓親離れの大事さを説く映画というのはありがたいもんだろう。単純に、先がどうなるかわからなくて面白いし。