贋作画家のドキュメンタリー映画。このマーク・ランディスとかいう贋作画家、なにが凄いって全米の美術館をだまくらかしやがったコトでなく、製作した贋作は全部寄贈してんので一切の対価を受け取って無いとゆーコトでもなく、極めて適当な感じでガチ精巧な贋作を製作してやがるあたりなのだった。
「草は適当でいいんだヨ」と指でポンポンと絵の具を塗り、「キャンバスはコーヒーをかければ古く見えるヨ」と雑にコーヒーをかけ、「ウォルマートで売ってる額を使えばサザビーズに出品されたみたいに見えるヨ」とウォルマートで材料調達。
「芸術…? 違うよ、工作だヨ」とかなんとか言い、テレビで大好きな映画とかテレビドラマとか見ながら贋作を製作する。原題の『ART AND CRAFT』はそのへんに由来。
こんな適当(に見える)に作られた贋作に見事全米46もの美術館が騙されたってんじゃ学芸員どころじゃなくアメリカ美術界全体の面目丸つぶれである。
ダダイズムだろうか。しかし本人の弁によれば美術界のアンチ的な意図があるワケではなく、彼の「芸術」は単なる趣味で美術館への寄贈は「慈善行為」らしい。
バンクシーとかあーゆー感じのラディカルなパフォーマンス・アートではないのが逆にハイパー不可解である。
それにしてもこの人、見た目からして怪しすぎる。禿げ上がった面長の顔に耳がピーンと鋭く立ち、胴体は顔面の存在感に比べて超ひょろっひょろ。つぶらな瞳は赤ん坊みたいだ。
その強烈にバランスの悪い造形はリトルグレイか吸血鬼ノスフェラトゥみたいであるが、ソレに輪をかけてこの人は神父に化けて美術館に贋作を持ってくからなんかまぁすごい。
映画を見ていくとわかるのはこの人はメンタルクリニックに長年通院していて、その完璧な模写っぷりを見るとどうもサヴァン症候群とかの人っぽいということだった。
なるほど、病気系の人だったんだな。だから理解不能な「慈善行為」なんてしてるんだな。確かに舌足らずで消え入るような話し方はそれっぽい。病気の人なら納得だ。
若い頃、精神科病院に入院したときのカルテをこの人自身が笑いながら読み上げるシーンがある。「統合失調症、自閉症…ハハハ、数え切れないくらい病名が与えられたよ」。
病気系の人と解釈するのは簡単かもしれないが、しかしそれにしてはどうも余裕すぎるというか…病気や障害の一言では到底捉えきれないようなところがある。
どこか医者の反応を楽しんでるようにも見えたりするし、俗っぽいイメージだと基本コミュニケーションが取れないのがサヴァン症候群の人だと思うが、ランディスはジョークが大好きで社交的な面もあったりする。
何気ない言葉の数々は意外なほど鋭く機知に富み、アウトサイダーを演じてるだけなんじゃ…と思わせといて、実は映画のセリフを引用してるだけだったりもする。
その贋作がモノホンの名画と見分けがつかないよーに、ランディス自身もどこまで演じてるキャラクターでどこまで素のキャラクターなんか分かんない。
本人は贋作の寄贈を「慈善行為」とゆーが、もしかしたら狭き門の美術界で名を上げるための周到な戦略なのかもしれず、その行為自体やはりパフォーマンス・アートなのかもしれず、芸術とは何かを根本から揺さぶる前衛アートなのかもしれず。
偽物と本物、病気と健常、異常と正常の垣根なんざ無いんだよ、単純に割り切れるもんじゃないんだよ、と言わんとしてるようなしてないような、ともかくそんな面白さと魅力のある人がマーク・ランディスなのだった。
映画は基本このオッサンの凡庸な生活っぷりを追うだけだったりするが、凡庸であればあるほど観てるコッチには謎めいて見えてしまうから不思議なものだ。
さて、そんなマーク・ランディスには天敵がいた。彼自身もランディスにまんまと騙され、そして彼の寄贈した絵画が贋作であると初めて気付いたという元学芸員のマシュー・レイニンガーだ。
ランディスの一件が遠因となって職を追われてしまった彼は、今はランディス・ハンターとして全米の美術館に注意を呼びかけながらランディスを追っている。映画はこの人も取材する。
カメラは捉える。テレビに映ったランディスを幼い娘に見せるレイニンガーを。「彼が誰だかわかるかい?」「マーク・ランディス!」「そうだ! 正解だ!」
カメラは捉える。新聞に載ったランディスを幼い娘に見せるレイニンガーを。「彼が誰だかわかるかい?」「マーク・ランディス!」「そうだ! 正解だ!」
ランディス・ハンターは熱烈なランディス・マニアだった。
実際、レイニンガーはランディスにその「慈善活動」を止めさせるべく執念を燃やしてるウチに全米随一のランディス・マニアになってしまったので、元同僚がランディスの個展を開くときには監修として呼ばれたりすんのだった。
「素晴しいタッチだ…さすがランディスだ!」「臭いを嗅がせてくれないか? コーヒーの臭いがするかチェックしたい!」「待て! その展示じゃランディスの良さが引き立たない!」
個展会場に送られたランディスの贋作に少年のように目を輝かせるレイニンガー。
しかしレイニンガーにはランディスの暴走を止めさせるとゆー(自分で作った)使命がある。ランディスの個展の監修も注意喚起の側面があるからこそ引き受けたのだった。
俺はランディスが好きだ! 大好きだ! だが…アイツのオカゲで俺は職を失った! 全米の美術館は信用を失った!
アイツだけは…アイツだけは許さねぇ!
かくして個展の場でランディスとレイニンガーが対決するトコが映画のクライマックスになる。果たしてその顛末は…であるが、しかしこん時のレイニンガーの愛憎入り混じった表情は忘れ難いもんあるな。
今にも怒鳴りそうな風にも見える。けれども旧友(?)との久方ぶりの再会を心から喜んで泣きそうになってるようにも見える。
誰よりも憎んだ男こそ最高の親友であった、とこれはまるでリドリー・スコットの『デュエリスト 決闘者』のような。ちょっと感動。
映画の最後、反省したのかランディスは今までの「慈善行為」を止めるコトを決意する。その代わり別の「慈善行為」のアイディアを話すが、コレがまぁ贋作の寄贈より遥かに危険でタチの悪いシロモノ。
いやまったく、最後まで掴みどころが無いオッサンだ。
(2018/6/11)多少書き直しました
【ママー!これ買ってー!】
マーク・ランディスはさしたる目的もなく贋作作ってたら米アート界の有名人になってしまった(少なくとも本人の弁によれば)が、コチラのヴォーゲル夫妻は余った金で安いアートたくさん買ってたらいつのまにかそのアートの価値が軒並み高騰、全米有数のコレクターになってしまった。
別に有名コレクターになってやろうとゆー野心とか投機目的でアート買い占めてやろうとゆー思惑があったワケじゃないので、二人の住むボロアパートには前衛アート(安かった)が所狭しと乱雑に置かれてる。
「お風呂場に置いたらいいんじゃない?」とか言って買ってきた安い前衛アートを保存状態ガン無視で飾ったりすんので本職(?)のコレクター卒倒もんである。
だがそんな二人がいたからこそ売れなかった頃に救われたアーティストはたくさんいた。
値段でもアーティストの名前でもなく「なんとなく面白そう」「なんとなく玄関に飾ったら良さそう」ぐらいのユルい基準でアートを買って、気に入ったらそのアーティストを支援してあげるヴォーゲル夫妻の姿にはアーティストと鑑賞者の幸せな関係が見えたりすんのだった。
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