見たぞ『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』

《推定睡眠時間:15分》

これ邦題は逆なのではないかと思っていて、『しあわせの絵の具 愛を描く人』というか『愛の絵の具 しあわせを描く人』の方が内容に即しているよな。
重度のリウマチで何かと行動が制限されがちなモード・ルイスのために画材とか用意するのは夫の方なので。その画材でモード・ルイスは描きたいものを自由に好きなだけ描くわけだから。

このモード・ルイスという人は全然知らなかったのですが、カナダでは名の知れたアマチュア絵描きの人のようで、劇中情報によれば副大統領時代のニクソンもその絵を買ったとか。
画風はなんていうか素朴でユーモラスな、これを描きたかったんだ! 感の溢れる、絵を描くことの幸福が滲み出るようなというか。なんか手芸的な意匠もあって見ていて楽しくなっちゃうやつ。

正規教育を受けた人の絵ではないのでアール・ブリュットとかいうんだろう、こういうの。カナダの大衆にとても愛されたとかポスターに書いてあったからアメリカだったらグランマ・モーゼスとか、日本だったら山下清みたいな感じかポジション的には。
家政婦として雇われた家のみすぼらしい壁面にひたすら草花を描き続ける(そのうち家全体がキャンバスになってしまう)モード・ルイスの姿には草間彌生の水玉執着など重なったが、草間彌生も愛されキャラなんだからやっぱこういう絵に憑かれた人というのはみんな好きなんだな。

内的にはともかく行動の自由度からいえば決して恵まれた境遇とは言えないモード・ルイスの数少ない慰みが絵を描くことだったが、絵筆を握る手の震えをもう片方の手で懸命に支えながら命を削るようにして描く老モード、というのが映画の冒頭シーンで、これはまったく鬼気迫るものがある。
その命を削って描く絵が岡本太郎とかピカソみたいな芸術表現を追求するものとかじゃなくて、例の素朴な草花とか動物とかだから尚のこと強烈だ。

そうまでして描きたいしそうまでして描くことがそれでも楽しくて仕方がない。恵まれない人間の慰みは道楽ではなくて生きる糧なのだというわけで、結構、これは初っぱなから圧倒されてしまった。
なんというか、幸福はいつも笑い顔でやってくるわけではないな。俺がこの映画で描かれるモード・ルイスの半生から連想したのは(ていうか見た人は大体連想するんじゃないかと思うし作る側も大いに意識したんだと思うが)『道』のジェルソミーナだったが、あの悲しげなラッパの音色にも確かに幸福は混じっていたんである。

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それにしても素晴らしいを通り越して凄まじいばかりなのはモード・ルイスのアラサー期から晩年までを演じ切ったサリー・ホーキンスで、『シェイプ・オブ・ウォーター』での聴覚障害を持った清掃員役を見た直後だったのでまたかよ感が半端なかったが、いやもう逆に『シェイプ』の演技とか完全忘れたわ。
あのサリー・ホーキンスも良かったけど比じゃねぇっつーか、障害を抱えたアウトサイダーっていう意味じゃ演技のタイプは近いところもあるわけですけど、近いっつっても垂金邸で幽助と戦った時の戸愚呂弟と暗黒武術会最終戦での戸愚呂弟ぐらいの差はあったよな…。

とにかくチャーミングなんすよ、ぎこちない所作の一つ一つが、ニヒルな笑い声が、タバコを吸うときのやさぐれが、支持体の木版に絵筆を振るう姿の気迫が。
でそのチャーミングにすげー複雑なグラデーションがあって。怯えの中に反抗心が見えたりだとか、柔和な笑顔の中に刺すような眼差しを浮かべていたりだとか、愛されキャラなんだけどなんか得体の知れない不気味な部分を常に身にまとっていたりする。
こういう難しい役柄を記号化された社会的弱者でもマスコット的に抽象化された伝記的人物でもないナマの人として演じるとか超やばいよ。それはサリー・ホーキンスもすごいし、映画としてもすごい覚悟だよね。

家族から捨てられたモード・ルイスを家政婦として雇う(というかモードに雇わされる)粗野な男が後に夫になるエベレットという人で、演じるのはイーサン・ホークだったがいやこれもまた素晴らしい演技で…こっちの方はより直接的に『道』のザンパノをイメージしてるんだろうなって感じの、これはこれで『シェイプ』の半漁人に劣らぬ異端者っぷり。
とにかくまぁコミュニケーションの下手な人で。モードとは対照的に笑顔を浮かべたり冗談を言ったりだとか滅多にないし、言葉を強調しようとしてついテーブルとかを叩いたりするし、めちゃくちゃ頑固なんで生活に何か変化があるとすぐ怒り出す。だから町の人から距離を置かれてるし本人も人里離れたところでひっそり孤独に暮らしてるっていう、不器用とかそういうレベルじゃない人なんですけど。

で映画がおもに描き出すのはそのアウトサイダー二人の穏やかなようでいて決して平坦ではなかった幾歳月だったんですが、どっちも名演だもんだからこれは見入ってしまったな本当はちょっとだけ寝ましたが。
アウトサイダー同士がそんなすぐ分かり合えるわけもないから二人の共同生活はすごい緊張と暴力を孕んでるんですがー、その中にも飄々としたユーモアがチラチラ見えていて、モードを奴隷扱いしていた(実際そうだったのかは知らないが)エベレットがいつしかモードのために尽くすようになっていくあたり、笑えるやら泣けるやらでもう万感の思い。
緩やかな関係変化に呼応して(むしろ逆か)物置みたいに殺風景だった二人の家が徐々にモードの絵で色づいていくっつーのも感動的でしたね。

こんな場面なんて堪えられないじゃないですか。エベレットは完全に時代に乗り遅れたし乗る気もない魚売りなのでリヤカーを押して売りに出る。その行ったり来たりを何年何十年も繰り返す。
そこに途中からモードが加わる。最初は一緒に押したりなんかしていたが、いつからかモードの乗るリヤカーをエベレットが押すようになった。で、その行ったり来たりも何年何十年と繰り返す。

反則だろうこんなもの。だだっ広い空の下(この自然風景がまた美しいんだ)をリヤカーで行ったり来たりするアウトサイダー夫婦の絵面だけで『道』と『あの夏、いちばん静かな海』がマイフェイバリットな俺は死ぬがそこにサリー・ホーキンスとイーサン・ホークの激チャーミングお芝居合戦+ほっこりアート乗っちゃった。
下手な修辞で衒っても恥ずかしいだけだからモード・ルイスの素朴絵画に倣ってシンプルに一言、最高。

【ママー!これ買ってー!】


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どうでもいいが使用頻度の高すぎるメジャー漢字一文字の邦題なので名邦題だとは思うがとにかく非常に検索がしにくい(どうでもよくない)

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よーく

先月までは今年は『スリービルボード』だなとか思ってた矢先にやられてしまった。
>リヤカーで行ったり来たりするアウトサイダー夫婦の絵面だけで『道』と『あの夏、いちばん静かな海』がマイフェイバリットな俺は死ぬが
超がつくほど同意ですわ。あの画だけでもう成立してるし見てよかったと思える。『道』見直そう。そういや『スリービルボード』もアウトサイダーというか変人二人が分かり合える(かもしれない)ってとこで終わってたな。別にどっちが良かったというわけではないが『モード・ルイス』の方は上映中ほとんど涙ぐんでたな。いや素晴らしかったです。
最高。