『アンロック/陰謀のコード』の感想(ネタバレなし愚痴あり)

《推定睡眠時間:20分》

俺だって某オタク映画を観に行って盛り上がりたかったよ。どうせ一人で観に行くけどSNSの薄くて遠くて今にも千切れそうな頼りない人間関係の中でファボり合ったりエアリプ投げ合ったりしたかったよ。
でもノオミ・ラパスがまた体張って頑張ってる映画が同日公開って聞いたらそっちを優先しないわけにはいかないだろうが…!

どれぐらい頑張ってるって傷心のノオミ・ラパスが家の窓際で黄昏れていると家電が鳴ってその場から手を伸ばせば受話器に届くのにわざわざベッドの柵(?)をフッと飛び越えてから受話器を取るぐらいノオミ・ラパス頑張ってんだぞ手を伸ばせば届くのに!
そんな映画を無下にするわけにはいかないだろうが…そんなノオミ・ラパスを俺は断固支持しますよ! でも映画として間違いなく面白いのは『レディ・プレイヤー・ワン』の方だよ! わかってるんだよ! わかってるんだよ…。

それにしてもこの響き! 『アンロック/陰謀のコード』! いいですね! いやぁ、いいね! 超忘れそう! 来週まで記憶の貯蔵庫に保存しておけなそうなこのタイトル! 素晴らしいですよね! 現に今タイトル書こうとして思い出せなかったから!
シネパトス系だこれ完全にシネパトス系だ。在りし日の銀座シネパトスが脳裏をよぎる。新橋文化の短冊状のチラシもだ。こんなタイトルの映画があの短冊によく載っていたよなもう一つとして覚えていないけどな(と書きながら、新橋文化で観た映画の中でも特にしょうもなかった『極秘指令 ドッグ×ドッグ』なんぞの存在を急に思い出したりしたのだが、こんな100円マックみたいな映画を誰が好んで記憶に留めておくだろうか…貴重な脳ストレージを割いて…)。

タイトルがタイトルなら内容も内容だ。名は体を表す、というのも人権意識の高まりを受けて自然消滅していきそうな諺だから何か切なさがあるが…とにかく、名は体を表す。内容もキッチリとシネパトス/新橋文化直送系。
事前に情報を把握していたにも関わらずパリでの大規模テロを許してしまったCIAの元尋問官ノオミ・ラパス。そのメンタルダメージで一線から退いた彼女は現在ロンドンの職安で地味ぃなあやしい人物情報収集の任に当たっていた。

そんな折、ザ・テロ指導者的な人がロシアに拠点を築いて潜伏するテロシンパに向けてメッセンジャーを放ったとの情報が英米情報機関に入ってくる。
このメッセンジャーが即ち“陰謀のコード”。恐怖のバイオテロのトリガーであった。というわけでメッセンジャーを捕縛、ザ・テロ指導者メッセージをすり替えてテロを防ぎつつテロネットワークを一網打尽にしようとするCIA&MI5はちょうどいいところにいたノオミ・ラパスを尋問官として呼び寄せるのだったが。

どうすかこれ。めちゃくちゃシネパトスっぽくないすか…。

まぁでもB級にはB級の自由があるっていうか、それが面白いっていうか、いや、その自由っていうのも言い訳なんですよ金かかった映画がやろうと思えばそんな自由なんて簡単に再現できちゃうんだから。客ウケしないだろうからやらないだけで。
自由とは何かといえばとにかくひたすらびっくりしないびっくり展開の連続。スパイ仲間のはずのあいつが裏切った! いや違った! 別のやつが裏切った! と思ったらそいつ死んだ! いやいや違った悪いのはそいつじゃなくて実は別のやつが!
10分どころか5分間隔でアクション挟みながらコロコロ展開がターンするからもうどこ向かってんのか全然わかんなくなってきますよね。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」かと思ったよ。カオス。

こんなに右からも左からもポコポコとモグラが出てくる情報機関は大真面目な大作映画なら噴飯ものだろうが…B級の役得というか、結構見入ってしまったな俺は。
これでいいんだ。これで充分おもしろいんだ。いい加減なB級映画には違いないが、いい加減なB級映画に全力で体を張るノオミ・ラパスなんて実に素敵ではないですか。あの動作のキレと気迫、いつもながら痺れます。
なんだかミラ・ジョヴォヴィッチと同じ路線を歩みつつある気がするが。そういえばミラ・ジョヴォヴィッチのB級路線もだいたい新橋文化で見ているな…。

小馬鹿にしたような書き方になりましたが真に受けてくれるな。好意の裏返しです好意の裏返し。よかったですよ『アンロック/陰謀のコード』。
めちゃくちゃ強引なんですけど複線同時進行型のシナリオは例の急展開乱れ打ちと相まって先を読ませないし、突発的なアクションとあっけない人死にはマカロニ的クール。
まさにまさに一寸の虫にも五分の魂(むしろ拳)なノオミ・ラパスを筆頭にオーランド・ブルーム、トニ・コレット、ジョン・マルコヴィッチ、マイケル・ダグラス…と癖のある役者のアンサンブルは最上級のB級見世物だ。

ノミラパとトニ・コレットの本気感に比して男性陣はお仕事感丸出しだが、「あいつの他に誰か尋問の適任者がいるのかー? んー?」とかなんとかのたまって右を見て、左を見て、宙を見上げるジョン・マルコヴィッチの遊んだ演技なんて頬が緩みます。
マイケル・ダグラスの本当にもう、観光目的で来たような雑芝居とかね。いや、それがいいんだよ。だってそんなのちゃんとした映画じゃなかなか見れないから…。

あとすげぇ気に入ったのは役者の名前がわかんないんですけど、007の『ロシアより愛をこめて』に出てきたロバート・ショウみたいな雰囲気を纏った敵の刺客。
こいつかっこ良かったなぁ。殺しに躊躇と無駄がなくていかにもプロって感じで。そういうキャラを殊更フィーチャーしないで単純に倒されるべき悪役として画面に置いてるっていうのも個人的に、好む。

なんていうか、B級だから人命がたいへん安い。展開を盛り上げるためならどんな重要っぽい人物でも容赦なく殺していく(そのためどんどん破綻してくる)鬼脚本だがー、だからこそ脇の人物でも輝くというのも道理。
ロバート・ショウみたいな刺客もそうですけど憂鬱そうなテロ実行犯とか団地の闘犬オヤジとかっていうのもこれがまたなかなか忘れ難いキャラクターで…ノオミ・ラパスがどうせ事件を解決するなんてわかってるんですけど、こういう破綻を恐れない皆殺し式の作劇のおかげでスリリングなムードが持続していたように思うし、その中で取るに足らない脇キャラが生を得てる気がしましたね。

言いたいことはわからんでもないが描写がざっくりしすぎてスーパー唐突な印象のラスボスの犯行動機とか上手くシナリオに嵌められなかったので強引にねじ込まれたと思しき急展開ラストは大いにツッコミどころだが俺は思うのですが、こういう隙は観客が能動的に映画を作り上げていける参与と対話の可能性で、それが映画にとっての生なんではないか…と物は言いようの典型なのだが隅から隅まで完成された(あるいは「解釈フリースペース」の看板の掲げられた囲いの中にしか客の自由がない)フカフカの座席に座ってスクリーンに身を委ねているだけでいいA級映画がますます幅をきかせる状況にあって、客にツッコミ=現実との接点を感じさせる駄菓子映画の存在価値は存外大きなものだと思うのだ。
でなければ映画は映画の中に閉じていくだけだろう。それこそ「総合芸術」としての映画の死というものだ。

こんな映画を推すためにそこまで大袈裟に言うか。言います。言わなければ今後ノオミ・ラパス主演のB級アクションが劇場公開されなくなってしまうかもしれないから…つまり要するに、ノオミ・ラパスは最高。

【ママー!これ買ってー!】


ブラック・サンデー [DVD]

ロバート・ショウ+テロ阻止もの、ということで。

↓その他のヤツ

サバイバー [DVD]
※感覚的に近いミラジョヴォ&ピアース・ブロスナン共演のテロもの。これも新橋文(略

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