《推定睡眠時間:0分》
レッドルームというと映画(ドラマ)的にはデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』に登場する精霊たちの棲まう無意識の世界だが、小説であればやはり江戸川乱歩の『赤い部屋』、ネット怪談だとビックリ系Flash動画に『赤い部屋』なんてのがあったな、何度消してもポップアップで「あなたは赤い部屋が好きですか?」っていうのが出てきて焦るやつ。どういうアレなのかよくわからないが赤い部屋という言葉には何か国や時代を超えて猟奇的なもの、異常なもの、おそろしいものというイメージがあるようだってなわけでこの『RED ROOMS レッドルームズ』もまたまったく怖い、鳥肌が立ってしまうような映画であった。
なんだか寒そうな路上で一人の女が野宿中。この女が薄明の中で目を覚ますとスタスタと青に染まった寒そうな街を歩き出す。行き先は裁判所。どうもこの人、裁判の傍聴をするためにわざわざ裁判所の近くで野宿をしていたらしい。そんなにまでこの人が傍聴したかったらしいのは冒頭陳述によれば全カナダを震撼させた連続殺人事件の裁判。10代の若い女の人ばかりを拉致監禁し強姦拷問その顛末を動画撮影しダークウェブに流して金を稼いでいたという尋常ならざる鬼畜の所業たるこの事件の傍聴をするうちに、主人公の女はだんだんと常軌を逸した行動を取るようになっていく…。
面食らったのは出だしの唐突さもそうだが冒頭陳述のシーンである。このシーン、10分ぐらい続く長回しで撮られているので、ポスターとか予告編の印象から完全にホラーだと思って観に来た俺としては急に本格的な裁判シーンが始まっちゃって別の映画と勘違いしているのかと思ってしまった。さにあらずでこれがこの映画のスタイルなんである。なんの説明もなしに急に意表を突くようなシーンが入ってくる。それはびっくりさせたりだとか奇を衒ったりするものではなく、たとえばこの主人公はビットコインを賭けるオンライン・ポーカーを副業でやっているのだが、忙しなくアレクサ的なやつでメールを確認しながらマルチモニターでポーカーをやってるので、最初は何をやっているのかわからない、説明がないからそれが副業とは思わずただポーカーで遊んでるだけに見えるわけ。
そういうシーンが無造作に入ってくるからこちらとしては心中穏やかではない。とにかくずっと「何?」なのだ。主人公はほとんど話さず表情も変えず風邪のびゅうびゅう吹きすさぶ寒々しいタワマンの一室と裁判所を行き来するばかり。いったいこの人はなんなのだろう。たまにモデルの仕事もやっているからモデルがメインお仕事らしいことはわかるが、貧乏には見えないのになんでオンライン・ポーカーの副業をやっているのかわからないし(遊び目的ではないことは数少ないセリフと行動からわかる)、なんでやたらネットに詳しく簡易的なハッキングもできてしまうのかもわからない、もちろん例の猟奇殺人事件の傍聴になぜ毎回足を運んでいるのかもわからず、そしてどうして徐々に狂っていくのかもまたわからないんである。
ただわかるのはこの人がおそろしく空虚な生活を送っているらしいことだ。カネはそこらへんにちょっと捨てても困らないほどある。ネットで大抵のことができてしまうほど知性も人並み外れたものがある。モデルをやってるくらいだし美貌まで兼備。けれどもそれを有意義に使う対象はないし、話し相手もなければ何かに関心を持つこともない。例の裁判の傍聴ですら犯人とされる男のグルーピー系ウーマンが熱烈に食いつくのを尻目に主人公はずっと温度低く虚ろな眼差しなのだ。その人がしかし猟奇殺人事件の裁判から離れられない。この薄気味悪さは『アメリカン・サイコ』に似ているかもしれない。なんでも持っているいわば勝ち組の人が、そんなものに関わっても一銭の得もなさそうな猟奇殺人に、どうしたことか魅入られてしまうわけである。
この冷たさと説明の無さの相乗効果で主人公の取る行動は実に不気味、いやもうなんともおぞましい、これはある意味ネタバレかもしれないがこの映画には乱歩の『赤い部屋』がそうだったように残酷描写などは(少なくとも映像的には)ひとつとして出てくることなく、音やそれを観た人の反応だけ画面に映るので『蛇の道』効果で余計におそろしく感じられるわけだが、とはいえ主人公がそういうことをするわけじゃあない。でもそれよりももっと異常でおぞましく受け入れがたく見えることをするのだ、この主人公は。抽象化された残酷そのものの行為というか。それが、血の酩酊を感じさせないゼロ体温のまま行われるこのコワさ。興奮もなく怒りもなく喜びもなく悲しみもそこには見出せない。結局どんな恐怖描写も人間の想像力を超えることはできないのだから、なにも説明せずに観客の想像力に恐怖を委ねたこの映画は人によってはどんなホラー映画よりも怖い映画かもしれない。
でも個人的には、まぁコワさを少しでも克服するためなのですが(わからないままだとコワいからね)、きっとこういうことだろうという一応の答えに辿り着いた。主人公はその恵まれた才能ゆえなんでも手に入ってしまう人。しかしそんな人にも手に入らないものがあった。それは異常な猟奇殺人の憐れむべき犠牲者たちに向けられる人々の眼差しである。カナダ全国民が見つめる犠牲者たちは主人公の目には偶像や聖人と映る。自分もこんな風に注目されたいし、自分もこんな風に、それを愛と呼ぶならば、愛されたいのだ。そう思って主人公の最後の行動を眺めれば、客観的には鳥肌が立つほどおぞましいこの映画が一転して哀愁を帯びるのだから、人間の脳とは狂ったおそろしいものである。