よかった感想『人間失格 太宰治と3人の女たち』

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , , , , , ,

《推定睡眠時間:30分》

お国の一大行事に協力するとご褒美にお仕事がもらえるのか来年のオリンピックで開閉会式のディレクターを務める山崎貴監督の映画は今夏『アルキメデスの大戦』『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と2本も公開されましたが2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事の一人である蜷川実花監督の映画も『Diner ダイナー』に続いてこの『人間失格 太宰治と3人の女たち』と豪華連続公開、そうかぁオリンピックのお手伝いにはそんなメリットがあったのかあ。普通同じ監督の映画がこんな短期間で続けて公開されることってないもんなあ。

大丈夫、実際には便宜供与とかじゃなくてオリンピック特需にあやかりたい業界の人が監督の名前で稼ぎたくてこういうバブリーな公開状況になっただけだろうっていうのはわかってる。それはそれでどうかとは思うが(そしてそれも実際にそうなのかどうかは定かではないのだが)そんなことはまあ、どうでもいいとして。

参ったよ面白かったよ『人間失格 太宰治と3人の女たち』。ニナミーが監督だけでは我慢できずに脚本も自分で書いた(※原作は平山夢明)前作『Diner ダイナー』はそれはもう酸鼻を極める映画的大惨事だったのでうわぁもう『太宰治と3人の女たち』の方も絶対につまらない! たのしみ! と思っていたのに観たら普通に良い映画だったから立つ瀬がない。いや面白いのは良いことなのですが、面白くて悪い映画というのはないのですが…。

お話はこんなような感じだった。売れる小説をたくさん書いてくれるので業界の人たちには重宝されているがその一方で文壇の真面目な人たちからは情緒不安定かつ下半身がオリンピックしている自堕落な生活っぷりを叩かれ嗤われ作品まで貶されまくっている『斜陽』を書く前の太宰治(小栗旬)。

まあ言わせておけばいんじゃないすかこっち無頼派っすからね、と斜に構えては一応いるが太宰も人間、やっぱ叩かれるとムカつく。なにが志賀直哉だ川端康成だバァカ野郎お前ら真人間なんかに俺の小説がわかるかよ的な態度を取りつつも志賀直哉にも川端康成にも太宰さんマジパネェっすわ今まですいませんと言わせる傑作小説を書いてみたいとは思ってしまう。

しかしその方法がわからない。どうしたら掛け値無しの傑作が書けるのだろう。惑えば惑うほど下半身が主導権を握ってしまう太宰なので妻子(妻の美知子が宮沢りえ)の存在などガン無視して今日もまた女の股を目指して歩くのであったが、その先に待ち受けていたのは太宰を利用して作家デビューを目論む太田静子(沢尻エリカ)と、献身的で情熱的で超エロくてめちゃくちゃ都合の良い愛人だが実は太宰超えのハイパーメンヘラな山崎富栄(二階堂ふみ)なのだった。さてどうなる(知ってる)

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まあ書けないから女に逃げるっていうのはありますよね。わかりますよ。どうせこんな個人ブログの映画感想なんて趣味なんだからちょちょいっと適当に楽しく書いてるんでしょうってみなさん思われるかも知れませんが俺だってこれかなり悩みながら書いてるからね。だって出ないもの感想とか。おもしろかったとかつまんなかったぐらいしか思わないよ別に映画観ても。

そこからそれっぽい感想を事後的にあたかも見ているあいだ本当にそう思っていたかのようにひり出すのは大変なんですから。大変だから今だって書いてる途中で何も感想浮かばなくなっちゃったから1回エロ動画見て抜きましたよ。抜いてそのことを書いて無理矢理感想を2000字くらいになるまで引き延ばしてるんですこうやって。

なんの報告なんだそれは。いるか? いらないと思うが、でもそういうことでしょ要するに。そういう映画でしょこれ。ってことは俺は太宰じゃないですか! 狂ったのか? まだ大丈夫。きっとまだ大丈夫。視界の端に歯車が見えるがこれは幻覚ではなくwindowsの設定アイコンで…『歯車』は芥川だろうが。

軌道修正。小栗旬の太宰ですが、いわゆるモノマネ芝居ではなくてエッセンス芝居。舞台は太宰の晩年1947~48年に設定されているものの当時の再現にあまり力点は置かれておらず(といってもロケ地や室内美術やVFXもかなりの出来映え)、したがって小栗太宰も太宰が現代の人間だったらという感じになる。

これが実にすばらしかった。近年はネタ的な映画の出演が続く小栗旬が演技派俳優の矜持を示した形で、弱さの中の殺気、殺気の中の優柔不断、優柔不断の中の決然とした顔…と太宰の多面性を色気たっぷりにフル勃起、いや発揮。エロかったなぁ。ボソボソ呟く感じがたまらないっすねぇ。そこからの爆発的な感情の発露、というのも。

『太宰治と3人の女たち』のおもしろいところはその現代性・抽象性と太宰が生きた時代の時代相をうまい塩梅で同居させているところで、このあたりはジャーロ的な原色照明を多用しつつもケレン味はほどほどなニナミーらしからぬ抑制された演出も功を奏しているが、やはり早船歌江子の脚本に依るところが大きかったのではないかと思う。

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たとえば1シーンだけヤング三島由紀夫(高良健吾)が出てくる場面がある。ヤング三島は酒の席でSF的にいえばハーラン・エリスンがアイザック・アシモフに絡んだ時のように(喩えがわかりにくいよ)太宰にあなたの小説は下らないと食ってかかるのですが、エピソード自体は実際にあったとしてもこんな毅然とした三島像はこの時期の三島じゃないですよね。高良健吾ガタイもいいし楯の会以降の三島ですよこれは。生きたキャラクターではなくてイメージとしての三島。

でその三島に自殺未遂を繰り返しているがどうせ本気で死ぬ気なんかないんだろうとか語気荒く言わせる。ドキっとしますよねちょっと。それが三島のその後の進路に影響を与えたという風に見えて、虚構なんだけれども史実とリンクするその虚実皮膜のあわいが面白い、面白いしそれがまた太宰の飄々とした作風とも通じて一種メタ的な印象を与えたりもする。

だから太宰が最後どうなるかというのはみんな知ってるわけですが、もしかしたらって思ったんですよ俺は。そう思わせたらもう映画の勝ちだよね。俺は太宰に死なないで欲しいと思ったし、死なないかもしれないって思わせるような虚実の壁が揺らぐ、でも現実から足を離したりはしないっていう絶妙なバランスの伝記映画になってたわけです。ニナミー脚本の『Diner ダイナー』が現実を完全に捨てて誰が死のうが生きようがどうでもよくなっていたのとは対照的だよね。急に悪口入ります。

あと良かったのは宮沢りえの津島美知子だったなー。これはもう、痛ましい。放蕩夫の太宰に散々傷つけられながらも太宰の才能を信じて家を守り続ける人なんですが、献身とか信頼とかそんな言葉では到底片付けられない生々しくも複雑怪奇な感情の渦があって、それは宮沢りえの演技が素晴らしいというのもあろうけれども、やっぱりどうしても、蜷川家の記憶が重ねられているんじゃないかと邪推してしまう。

ま蜷川幸雄が太宰みたいにヒドイ夫だったかどうかというのは知りませんが、ギョーカイの異端児には違いないわけだから名の売れてない頃はそのゲージツが理解されない苦労も多少はあったに違いない、蜷川実花自身は太宰家と違ってお金に困ったり一切していないボンボン暮らしであっただろうが、あの津島美知子を通して蜷川実花は苦労していた時期のミカママ真山知子を描き出そうとしているように俺には見えた(とすると太宰はやはり蜷川幸雄なのかもしれない)

それがなんだか沁みてしまって。よく作家とか評論家に対して「パンツを脱ぐ」というようなことを言いますが、蜷川実花パンツ脱いだんだなぁって思いましたよ。女の人に対してその表現はどうかとはまあ思いますが、ひとまず、ひとまずそのことは置いておいてもらって、『Diner ダイナー』みたいに幸雄の演出を真似た派手だけれども表面的でつまらないだけのガチャガチャ演出で誤魔化すんじゃなくて、なんというか、太宰の如く自分を切り売りしてまでなにか傑作を作り上げようとする気概、かあるいは作家の業というものが刻まれていた気がして、得も言われぬ迫力を感じた『太宰治と3人の女たち』だったわけです。うん。

追記:
二階堂ふみ、超エロい。完璧に魔性。一緒に死んでとお願いされたらマジッすかじゃあ自分から行きますわと先に入水してしまいそう(そして俺の溺死体を確認してバカだなぁと笑いながら去って行く)

追記2:
藤原竜也が坂口安吾役というのは観終わってから知った(寝ていたので)。坂口安吾には全然見えないと思う。

追記3:
『愛がなんだ』の成田凌がここにも。恋愛地獄に成田凌あり。

追記4︰
パンツを脱いで(=自分をさらけ出して)出てきたのがキッチュの全面肯定、というのがグッとくるところ。

【ママー!これ買ってー!】


斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇 (文春文庫)

でもぶっちゃけ太宰を面白いと思ったことは一度もない。坂口安吾は超面白い。

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