自分を信じて映画『えんとつ町のプペル』感想文

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《推定睡眠時間:10分》

この前ラジオで原作のキングコング西野がオリラジ藤森を声優起用したのはこういう理由で立川志の輔はこういう理由でと制作裏話的なものを話していて監督は廣田裕介さんという別の人なのに作品の顔とはいえなんで西野がと思ったのですが映画を観たらあんま監督のカラーが出た感じじゃないっぽいしエンドロールの最後に出るクレジットが「製作総指揮・原作・脚本 西野亮廣」だったので、西野の映画でした。

俺の観に行った回では上映後に熱烈な西野ファンと思われる客がたった一人万感の思いを込めてブラボー的な大拍手を送っていたので西野ファンならきっと大★満★足まちがいなし。映画が始まるとSTUDIO4℃のロゴが出たのでこれもあのSTUDIO4℃の映画なのかーと思って観た俺の場合は上映後に感情の方が4℃ぐらいまで落ち込みました。

どんなスタジオにも良い映画も悪い映画もあって当然だが面白いとかつまらないとかの話ではなくSTUDIO4℃といえば作り手のセンスに委ねる尖った映画が多い印象があったので、そら確かに脚本と原作とあと製作総指揮を西野が兼ねているとはいえ映画版を監督した人の「映画」になっていないというのはどうなのよ…最近はあまり売れた作品が記憶にないし賃金未払い問題で大幅にイメージダウンしたから作り手のセンスを殺してでも確実に金になる吉本案件を受けたのか…とか邪推してしまう。要するにSTUDIO4℃が作ってるのに西野の映画だったから嫌だった。身も蓋もないが。

だいたいこんなのアニメになってないよな。映像面で特徴的なのは絵本を意識したであろう3DCGのモデルを水彩風に塗った絵の質感だが、絵本風はそれだけではなくティルトアップ・ティルトダウンをやたら多用するカメラワークも絵本的というか、物語の中心的なモチーフになっている紙芝居のように見える。

なにもそこまで原作に媚びを売らなくても、と思うのだが製作総指揮が原作者だからそうもいかなかったのだろうか。いやティルトって。その意図は明瞭であり(少なくとも明瞭に見える)、要はこれ背景描き込み系の絵本だから背景の絵をたくさん見せたい、あと曇天の空と煌びやかに堕落した地上のサイバーとかスチームとかまぁなんでもいいけどとりあえずパンク風の風景の対比を見せたい。

だからティルトなんでしょうが、動的な構図を作らないで背景絵を見せたいだけならそれはもう原作絵本を見てもらえばいいのでは…と思うわけで、あまりに安直というか、まぁでもこの映画に喜んで金を落してたとえ一人でも拍手喝采みたいなコア層は映画じゃなくて西野の絵を観て言葉が聞ければ満足なわけだからこれで商品としては正しいのでしょうが…。

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こういう静的な画作りはたとえば『レッド・タートル』とか『イリュージョニスト』みたいにそこに作り手の映像哲学さえあれば面白かろうがつまらなかろうが別に立派な演出なわけで、俺がこの映画にというよりもSTUDIO4℃に落胆させられたのはその動きに乏しい絵にひたすら台詞が載る。これもあえての紙芝居的演出と言えばそうなのだろうが、むしろそうであればこそこの映画のコマーシャリズムは際立つわけで、アニメ映画として作り込む気なんかそもそもないすよみたいな開き直り白旗宣言に思える。

とにかく延々とキャラクターが喋り続けるのである。間というものが徹底してない。それは芝居の間であったり演出の間であったり絵の間であったりするのだが、すべてにおいて間がない。時間経過を表現するモンタージュには必ず挿入歌が入る。やっと台詞がなくなったと思ったのに!

この過剰な饒舌さがたぶんキングコング西野なのだろうと思えばその饒舌に引き寄せられる人が出てくるのもわかるし、逆に西野を蛇蝎の如く嫌う人が出てくるのもわかる。誰も信じないけどあの煙の向こうには星があるんだ! とは言うけれど、本当はそんな「風景」をこの人は信じてなんかいないのですよ。だって風景を信じていたら絵を打ち負かす勢いで言葉を尽くす必要はないじゃないですか。

でも西野は風景を信じる自分は信じてると思うんすよね。だから言葉でそれを証明しようとする。で、風景を信じるというような観照的態度はある程度狂ったもので、えんとつ町の人々がそうであるようにちゃんとした普通の人は持ち合わせていないんです。そんな人は西野の言葉に救われるんじゃないですかね。私にも信じることができる! なんて思って。いくら観照から遠い人でもなにかを信じる自分を信じることはできるわけですから。

アニメ映画として語るべき良さが見出せないのなら絵本としてどうかというと、俺にはこちらもどこがよいのかと感じられるのだが、それも結局は絵として表われた風景(キャラクターも含めて)をこの人が信じているようには思えないからで、どこを見てもどこかで見た風景ばかり…具体的にはゲームの『サガ・フロンティア』だったり、『レイトン教授』シリーズだったり、STUDIO4℃作品の『鉄コン筋クリート』だったり、大友克洋全般だったり…するのだが、オリジナリティがないだけならまだしも(現代アニメにオリジナリティなど存在しないだろう)どうしてもその風景がこの物語に必要なんだというような思想がないのですべての風景がハートを欠いたニヒリスティックなツギハギでしかない。

魂を宿すツギハギロボットというのはその自己批判的な表現なのではないか…というのは俺にとっては精一杯の褒めである。逆に、自覚なくやってたらソシオパス的で面白いけどね(映画としては面白くないとしても)

※劇中語られる昔話はこの映画の数少ない面白く見られるポイントで、なんでも昔の人々はお金のせいで争ってばかりいたので一人の知恵者が時間経過で腐るお金を発明した、そしたらみんなお金を退藏しなくなって腐る前にお金を使うようになったので世界は平和になりました…超資本主義的ユートピアというか、電子通貨崇拝というかだが、西野に何か思想があるとすればこの(おそらく意図せざる)加速主義的な世界観なのではないだろうか。これはあくまでも挿話なので物語の本筋は親子愛がどうとか勇気がどうとかクソほどの価値もない方向に進んでしまうのだが、ぶっちゃけチープな泣かせなんかよりそっちの方が見たかった。なんかヤバそうなので。

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