夢見る電子人形映画『ショック・ドゥ・フューチャー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

どのバンドだったか思い出せないんですけどソフト・セルとかキャバレー・ヴォルテールみたいな(似てないけど!)ダーク路線のポストパンクのバンドの初期MVになんか渓谷みたいなところで撮ってるやつがあってバンドメンバーは目が死んでるし曲調にも合ってないししかも生音重視のバンドならまだしもシンセがメインのバンドだから外で演奏してます的な絵も作れなくてなんでそうなったのか意味がわからなくて笑っちゃうっていう、そういうのがあって、それで『ショック・ドゥ・フューチャー』観たら電子音楽に未来を感じまくってる主人公の女性ミュージシャン(アルマ・ホドロフスキー)がこれからの時代は電子音楽で人間と自然が繋がるんだよ! とか頭の古い音楽プロデューサーみたいなオッサンにキレてて、あれもしかしてそういうことだったの? って例の謎MVの記憶と結合したよね。

電子音楽にもいろいろあるがこの電子音楽大好き女性ミュージシャンはニューエイジ的なリスナーを包み込むインストゥルメンタルが好きで知り合いのレコード屋のジジィが掘ってきたぜ~って感じで新しい電子音楽のレコードを持ってきてもスロッビング・グリッスルには「へぇ~シンセでスネアの音を作ってるんだ」ぐらいの反応でじゃあこれはどうだこいつらはクレイジーだぜ! とジジィが自信満々で針を落としたスーサイドの「Frankie Teardrop」に対しては50年代のロックじゃねぇんだからと一蹴。キェエエエエエの奇声が部屋中に響き渡る前にレコードを下げてしまう。そういうことじゃねぇんだ! そういうことじゃねぇんですよ電子音楽の可能性は! 電子音楽は未来! 電子音楽は調和! 電子音楽は人間の解放です! 思えば映画冒頭、寝起きの主人公がセローンの「スーパーネイチャー」を流しながらゆるゆると踊り出して気分をアゲていくところで既に映画の核心は露呈しているのであった。

つまりはニューエイジです。78年フランスの舞台設定が意味するものは単にポップ音楽史的な時代の変わり目ではなくアメリカで花開いていたニューエイジ・ムーブメントへのあこがれのあった時代ということ。まだニューエイジに夢を託すことのできた時代ということ。電子音楽に乗って既成の枠組みを素粒子みたいにすり抜けて、音楽の快楽の中で人種も国籍も性別もすべて無意味なものにしてしまうこと…ができるんじゃないかという期待。こうしたニューエイジ志向は主演アルマ・ホドロフスキーの父親がニューエイジ映画の教祖アレハンドロ・ホドロフスキーであることからもうかがえる。

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それにしてもあそこ良いシーンだったよな。リズムボックスが家にやってきたことで主人公が一気呵成に作り上げたできたてソングに主人公と意気投合したCM曲の歌手はノーギャラで歌を吹き込むが、その時に彼女は普段フランス語で歌うけどこれは英語で歌いたいって言う。その曲のニューエイジ的越境性をプロ歌手の嗅覚で感じ取ったのだろうし、そこにこの人は共鳴したんだろう。この人はこの人で1978年の現状に諸々不満があるんだろうな。フランスは前衛の国でもあるがその一方で極端に保守的な国でもあるわけで、主人公はロックを毛嫌いするがまだクラブカルチャーとかそういうやつ(雑)が興ってないフランスの音楽環境の中で暮らしてたらそりゃそうだよなぁ…フランスのロックとかダサいし。っていうかロックなんかあんの? セルジュ・ゲンズブールとか? あれロックなの?

いやそれはどうでもいいんだがシャンソンの伝統というのもありますしミューズ信仰も根強いですし愛こそすべて的な農民的価値観が「いき」だとされる中で純粋に音楽がやりたい女の人なら「いや、そういうことじゃねぇから!」ってなもんでありましょう。女なら歌手だよなとまったくの善意のつもりでそれが女をもっとも輝かせることだと信じて女性ミュージシャンを担ぐ男中心の音楽業界はしかし一方で作曲だけやりたいような女の人の門戸は閉ざしてしまう。あぁ邪魔くさい騎士道精神。というわけで作曲では飯が食えてないセミプロの主人公と飯は食えてるが不満は溜まってる業界歌手は顔を合わせて約1時間で意気投合、マリファナをやりながらルーズにコラボして解放のための曲を完成させるのだ。それから呆気なく別れてしまうところも含めてこれはなんとも美しいシーンである。

なにやら女の人の苦境がどうのという映画に見えてくる書きっぷり。しかし実際の映画は暗い感じとか悲しい感じとかはとくになく、とにかく、とにかく主人公がスタジオを兼ねた恋人のアパートにこもって(恋人はインドで瞑想修行中)これだと閃いた曲を作っていくだけなので地味ぃに結構かなりわくわく、そりゃあだってのっけからタバコくわえながらの「スーパーナチュラル」でゆるダンスでしょ、高揚不可避よね。その後もレコード屋のジジィがどんどん海外の先端アーティストのレコード持ってきてかけて機材屋はリズムボックス持ってきてそれで音作りの幅がどーんと広がってっていうんでカッコイイ音楽に面白い音楽に変な音楽が流れまくり。そんなものは楽しい以外にない。

でも流れっぱなしってわけじゃあなくて流れに乗ってきたぜぇぇぇってところで不意の来訪者によって音楽中断、の繰り返し。えいずっと聴いていたいのにいいところで! でも音楽を作るとか、あるいはもっと広く創作活動をすることってわりとこういうことですよね。中断と再開、修正と方向転換、称賛と酷評(もしくは無関心)、熱狂とシラケ、さっきまで最高じゃんと思ってた自作曲もちょっと外の空気を吸って頭をクリアにしてからもう一度聴いてみたら案外そんなでもなかったりする…。

しかし結果はどうなろうとも作ってる間の最高感はいつだって本物なのだな。これで世界が変わるぞって本気で思えることは実際に世界を変えることよりも楽しくて気持ちいいんじゃないだろうか。だからこれは創作に携わる人の理想の一日の映画なんだと思ったな。ままならないことが(たくさん)あってもそのままならなさを自分は乗り越えられるっていう無根拠な楽観。どんなに落ち込んでもでっけぇモジュラー・シンセに向かえば絶対にこれから傑作ができるって予感がする。そうしたものが海の向こうのニューエイジへの羨望と合わさって、身も蓋もなく言えば売れない作曲家志望ミュージシャンのなんでもない一日の話でしかないのだが、なにやら幸福な映画となっているのがこの『ショック・ドゥ・フューチャー』なのでした。

※売約済みのリズムボックスを無料で貸し出す対価として主人公にキスを要求する小太り機材屋が主人公の「はぁ?」を受けて爆速で「なんつってね! ウソウソ! これは無料で貸すよ! あはは!」って要求を引っ込めてそそくさと帰るところ、よかったです。

【ママー!これ買ってー!】


Ⅲ – Supernature

最近はギャスパー・ノエの祝祭的暗黒ダンス映画『CLIMAX』でも超印象的にリミックスが流れていた「スーパーネイチャー」、謎に今ブーム来てます。

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