ショウは宇宙だ映画『SING/シング:ネクストステージ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

超待望のイルミネーション最新作『ミニオンズ・フィーバー』が新コロで2年も公開延期になっちゃったから(ようやく今夏公開)人気アニメーションスタジオの作にしてはかなり久々の新作になったこの『SING/シング:ネクストステージ』であったがお待ちかねのという感じはなくぶっちゃけ予告編を見た時点ではわりと出来に不安を感じたりしていたのだった。ネズミがいねぇ…。果たしてネズミのいない『SING/シング』なんて『SING/シング』なのであろうか?

前作『SING/シング』といえばお歌いクソ野郎ことネズミが最高の映画でこのネズミは性格っていうか人間的にっていうかいや人間じゃないんだけれどもとにかく最悪! 死ねとまでは言わないがいやでもやっぱちょっとぐらいは死ねやちょっとでいいけどみたいなキャラなのであったがところがこのネズミ、ステージに上がるとものすごい魂のこもった歌を披露する。そうなのですネズミはステージの上でだけ生きているネズミだったのです。ステージ以外はどうでもいい。ただステージの上で歌えればいい。それだけの俺の人生なんだというこの孤高のクソネズミがステージに上がって美声を発した瞬間の(映画の中の)観客と俺のブチ上がりときたらですよ。いやもうすごいのなんのって感涙ですよ感涙。

これはねこの映画だけの話じゃないんですよ他は全部最悪だけどただステージの上でだけは絶対にちゃんと仕事をやってお客さんを心から楽しませるっていうこのプロの矜持はイルミネーションの姿勢も体現するもので(といっても別にイルミネーションはそんなアウトローの巣窟ではないだろうが)イルミネーションってやっぱそういうスタジオなんですよね。カートゥーンの伝統を受け継いであくまでも観客を楽しませることを第一に映画を作るからあんまりお行儀の良いことはしない。下品ということはないけれども大手スタジオの子供向けアニメだったら過剰なほど入れてくる家族愛がどうとか友情がどうとかそういう教育的要素がイルミネーションのアニメにはほとんど見られないし、あっても嫌味なくサラリと流すに留める。

俺はそのある意味での反骨精神がすごい好きで、だからその精神を背負ったネズミが『SING/シング』って作品の核だと思ってたんですけど、今回ネズミが不在ということでどうかなぁこれは、ちょっと日和ったんじゃないの売れ線映画だからネズミみたいな炎上しそうな要素は外しとこうみたいな…とまぁ大好きなイルミネーション作品にも関わらず冷めた目で眺めていたわけですがはい蓋を開けてみたらネズミはいないけどこれも最高! ということでやっぱりイルミネーションはイルミネーションなのでした。

だいたいこんなの本編始まる前から楽しいですからね。イルミネーションのムービングロゴってミニオンズが売れてからはミニオンズが何人か出てきてイ~ルミネ~ショ~ンって歌ったりするやつになりましたけど今回は映画の内容に合わせてミニオンズが百匹(匹か?)くらい出てきてみんなでイルミネ~~~ショ~~~ンッッッッ!!!! の大合唱ですよ。うひゃひゃおもしろーい。そんなので喜ぶ俺は良い客だなとか自分で思う。

でお話の方はコアラ劇場のミュージカル公演から始まります。出てるのは前作に出てきた歌唱どうぶつたちのメインどころ。エルトン・ジョンみたいなブタ、気弱ゴリラ、純情乙女ゾウ…後から主婦のブタとヤマアラシも合流するがこのヤマアラシはコアラ劇場には参加してなくて一人でライブハウスのドサ回りをしてる。このへんもいいよねみんな普段は別々のところで活動してるけどいざという時は呼べば来るっていう関係性。ベタベタと馴れ合わなくてあくまでも音楽だけで繋がるプロのネットワークという感じだ。

さて何がいざという時なのかといえば実はこのコアラ劇場連日満席で商売としては大成功してる。演者もお客さんも楽しんでるしそんなに大きな劇場じゃないけど幸せの絶頂…に思えるがしかし、留まるところを知らないコアラの野望は既にネクストステージに向かっていた。地元の劇場を飛び出してラスベガスみたいな感じのビッグシティの大舞台でショウをやりたい! というわけコアラは例の面々と共に建造物不法侵入をしてどうぶつラスベガスを牛耳るショウビズギャング王オオカミのオーディションに潜り込む。

オオカミのオーディションともなれば業界最高峰のスキルを持つどうぶつ連中が集まるのでチームコアラなんか当然不採用かと思われたがエル豚ジョンが不用意に発した幼稚な誇大妄想プラン(ぼくが宇宙を旅するのさ、引退したライオンのロックスターも呼んで…)にオオカミまさかのドンピシャ食いつき。「俺はそんなスケールのでかいアイディアを求めていたんだ!」超絶スキルのフラミンゴダンサーズが「僕と君の…」とか歌い出した瞬間に「はい次!」されるあたり、昨今のハリウッド資本アニメが家族とか友達とか半径5メートルの狭い世界ばかりを描いて外の世界に目を向けないことに対する皮肉だろうか。

採用されたはいいが今までとは予算規模が桁四つぐらい違うどうぶつラスベガスのショウなんてコアラに仕切れるわけがないし演者も演じられるわけがない。だいたい知り合いだから呼べるとコアラがいつもの大ボラを吹いてしまった元ロックスターのライオンだって呼べるわけがない。ないないないのないづくしだが果たしてショウは無事開幕できるのであろうか…いや、できるに違いない! っていうかできなくてもやるしかない! Show Must Go Onだ!

もうね、ラスト20分ぐらいハンカチずっと握りしめてたね。まぁ詳しくは言えねぇけれどもあのゴリラがなああしてる間にああなってそれでああなった瞬間にもうああっ! それでな主婦ブタが念願のあれになってああっでエル豚はまさかのあんな役でああっでゲスト出演陣の見事な客演にああええっっ! 詳しくないにも程がある表現だがショウの感動は言葉にできません。まぁラストにショウがあるということだけはお伝えしてもよろしいかと思いますが内容については各自劇場で確認してもらうとして、これは何が最高かってやっぱそこらへんは前作と同じなんですけどプロも素人も引退者もパフォーマーも裏方も清掃どうぶつまでもみんな巻き込んで小さなショウがやがて巨大な混沌と熱狂の渦になっていくところが最高。

最近はさ、身の丈に合った生活をしようとか無謀な賭けより日々の小さな幸せを大事にしようみたいな言葉が流行ってるじゃないですか。それやっぱつまんないですよ。どうせいつかは死ぬんだから見れる限りいろんな世界が見てみたいしできる限りいろんな事がしてみたいって思うもん俺は。ブタの下らない空想も人が集まればショウの中で現実になる。そしてそのショウはそれに関わる人々(どうぶつだが!)に新しい現実を開く。だったら大きく夢を見た方がいいじゃないですか! ショウ賛歌だし夢賛歌だしなにより人生賛歌だねこれは。

バックステージものの形を取る今作では前作に比べて登場人物が多くしかもその数は終盤までどんどん膨れ上がっていくので一人一人のドラマなどまったくといっていいほど掘り下げられない。これも昨今のハリウッド映画の風潮からズレるところでじゃあ浅い映画なのかと言えばまぁ浅くても別にいいけどそういうわけではなく、これはステージの上では誰もが平等にスターで平等に主役だから誰か一人に焦点を絞る必要なんかないんだってことですよ。

急に出てきたメガネザルと思しき清掃員たちがステージに上がってすごいパフォーマンスを見せるところなんてグッときたね。ステージに上がる人だけじゃないんだよ舞台裏でもあのグロいイグアナ秘書が思いがけない大活躍をしたりして輝いていたし、悪役のオオカミさえもショウを引き立てる大事なスパイスとしてスポットライトが(文字通り)当てられる。ここには邪魔などうぶつもいらないどうぶつも理想的などうぶつだって一匹もいない。みんな仲良しってわけじゃなくてむしろそれぞれが距離を取っているし性格や利害が合わなくて対立することもしばしばある。結構、いいじゃないですか。それがショウだしそれが人生。膨大なわかり合えない他者に囲まれてそれでもそいつらと一緒に何かをやる、それをむしろ楽しんでしまうってことが生きるということなのでしょう。

どうぶつラスベガスのショウ作りをその内容に合わせて宇宙冒険に見立てたストーリー(ショウに出てくる「愛の星」「戦いの星」「喜びの星」を舞台裏でも出演者たちが巡るというわけ)は悪く言えば強引でご都合主義だが良く言えばパワフルでワクワクで痛快。宇宙に見立ててるから色彩はどぎつくカラフルで美術はぐにょんぐにょんにワンダフル、出てくるどうぶつたちはみな異星人のよう。監督・脚本が『銀河ヒッチハイク・ガイド』のガース・ジェニングスだからユーモラスな宇宙SFミュージカルとして撮ってるんでしょうね。ショウは宇宙冒険か、素敵な発想じゃないですか。U2のボノ(吹き替え版はB’zの稲葉浩志)が歌っているにも関わらず歌の良さでは前作に及ばないけれども、ショウとして宇宙SFとして、いや~面白かった!

※うさぎダンサーズ、かたつむりシンガーソングライターのちょい出続投もうれしいところ。ああいうの良いよな、主人公にはあまり絡まないけどこのどうぶつにはこのどうぶつの人生があるんだろうなって想像させるの。

【ママー!これ買ってー!】


『銀河ヒッチハイク・ガイド』[DVD]

そういえばこれもイルカの歌から始まるのでガース・ジェニングス的に宇宙ミュージカルの着想は既にこの頃からあったのかもしれない。

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