殺し屋kawaii映画『ガンパウダー・ミルクシェイク』感想文

《推定睡眠時間:0分》

身も蓋もなく言ってしまえば女殺し屋が主人公になった版の『ジョン・ウィック』シリーズみたいな映画で殺し屋ダイナーに始まり殺し屋図書館(本に銃を隠して保管)殺し屋ホスピタル殺し屋ボウリング場に殺し屋ビデオ屋(廃墟?)と殺し屋専用施設が街の至る所に堂々とありっていうか殺し屋とその周辺人物とかエキストラも含めて一切出てこないという殺し屋しか存在しないファンタジーワールドを舞台にした殺し屋アクションなのだがそれにしてはどうもハネない。

どうせ荒唐無稽な話なんだからふざけてアホみたいな殺し合戦にしちゃえばいいのに変に真面目なんだよな。台詞と台詞の間にたっぷりと思わせぶりなタメを作ったりさ。そのタメで登場人物の心情の変化とかを醸し出そうとしてるっぽいんですけどこんな物語に心情もなにもないだろ。いやないってこともないかもしんないけどそういうのってほら主人公だけに絞ってそこを深掘りするみたいな感じじゃないとあんま説得力が出ないっつーかさ、いちいち出てくる殺し屋たちが台詞にタメを作ったらテンポ悪くなるだけじゃん。どうせ主人公に殺られる雑魚殺し屋の心情なんかどうだっていいわけだし。

それでも心情を出したかったら殺し屋の映画らしくアクションで出したらいいよな。手は言葉よりも雄弁に物語るってこともあるでしょ。まぁ殺し屋ファンタジーワールドのお話だけあって殺し合いは確かにそこそこある。ただその撮り方がこれはあんまり面白くない…というのもテレビ時代劇の殺陣みたいな感じで様式美のアクションが展開されるわけですが、それをガツガツ編集でカット割っちゃうんだよな。そしたら様式美もなにもないよね、ただの段取りくさい平面的なアクションて感じになっちゃって。ミシェル・ヨーもバトル図書館員として出てくるわけですけどガッカリしたよその体技を何をやってるのかわからないぐらいカット刻んでしかもカットバックにしちゃう。なんて失礼なことをするんだお前ら。

アクション監督が何をやりたかったかはともかく監督が何をやりたかったかはこれでなんとなくわかった。この監督は戦ってる絵を見せたいだけでアクションを見せたい人ではなかったのです。それは書き割り的なセットにもよく現れていて殺し屋ボウリング場には壁一面に謎のネオンが張られているし殺し屋ホスピタルには謎の盆栽風植木鉢が等間隔で置かれている。殺しの世界しか知らないまま大人になってしまった児童アニメとミルクシェイクが大好きな主人公の殺し屋が着ている服は原宿的日本語の書かれたkawaiiファッション。

まーそういう世界観を楽しむ映画として観ればそう悪いものでもないと思うが日本カルチャー×女殺し屋といえば最近ではネッフリ映画の『ケイト』がノワールの香り漂う佳作だったしその主人公を演じたメアリー・エリザベス・ウィンステッドも(殺し屋役で)出演している『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』はポップでカラフルなチームもの女性殺し屋アクションのこれまた佳作、そんな中ではちょっと影が薄いというかぶっちゃけ「またそれかよ」とか思ってしまう、しかも「またそれ」で面白いならいいが見劣りする「またそれ」だったのでうーむ感の出る『ガンパウダー・ミルクシェイク』なのであった。

ただ娯楽映画としてはあんまり面白くないですけどフェミニズム映画としてはわりと興味深くはあったと思う。いろいろ見所はあるがやっぱ目立つのは日本カルチャー、とくに日本のkawaiiカルチャーですよね。ここには出てこないですけどなんか今のハリウッドってセーラームーンとか観て育った世代の女優さんとか監督とか脚本家とかが活躍してるから日本のkawaiiカルチャーって結構映画に出てくる。kawaiiカルチャーをどう捉えるかはフェミニズムをやってる人でも意見が分かれるところだと思うが(女性主体の文化として肯定的に捉える人もいれば女=子供の図式を再生産するものとして苦々しく思う人もいるだろう)ひとつ言えるのは日本って女性活躍の国では別にないよね、女性首相とか出てないし政治家の男女比も8:2ぐらいだし。

だけどこの映画ではキャラクターものの日本語Tシャツとか盆栽風植木鉢とかキティちゃんみたいなスーツケースとかっていう日本カルチャーが男文化に対抗するための武器として出てくる。このズレは面白いなって思うんですよ。たぶんねこれって現実の日本から遊離した過剰な都会としての日本のイメージなんです。都会ってなんでも自分で決定する場所じゃないですか。だから自己決定を旨とするフェミニズムって基本的に都会の思想で場所には都会的発展を求めるし意識には都会的洗練を求める。この映画の過剰な装飾性と引用趣味ってポストモダン的に一見すると見えますけど出所はたぶんポストモダンというよりフェミニズムで、すべて私が選ぶっていう意思表明なんだと思う。それが「なるようにしかならない」男社会に対する攻撃になるし、その象徴として日本カルチャーがある。

あとこれ殺し屋図書館が出てきますけどそこで主人公がバトル司書たちに女性作家たちの名著(中身はは銃だが)を何冊も渡されるって言うシーンがあってそこも面白かった。ていうのも思想書とかはないんですよね。小説とかエッセイとか言ってみれば作者の経験から生み出されたダイレクトに読者に語りかける本を司書たちは主人公に渡して、俺が見逃してるだけかもしれないですけど確かボーヴォワールの『第二の性』みたいなフェミニズム史上の重要本もそこにはなかった。これは今のフェミニズムのムードっていうか傾向の出てるところかなって感じで、理論よりも実践だみたいな、根拠よりも確信だみたいな、そういう考え方が強いんだろうっていうのが窺える。

ってなわけでこれはそこそこ捻くれた見方ではありますがそんな斜め鑑賞もできる『ガンパウダー・ミルクシェイク』、とくに人には勧めませんが別に悪い映画ではなかったとおもいます。

【ママー!これ買ってー!】


『NO MORE HEROES (ノー・モア・ヒーローズ) 』[Wii]

殺し屋ファンタジーといえば異能のゲームクリエイター須田剛一の殺し屋シリーズ。これなんか『ジョン・ウィック』シリーズの先駆けって言えるんじゃないか。

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