超パパ活映画『そして、バトンは渡された』感想文(ほぼ関係ない愚痴)

《推定睡眠時間:20分》

めんどくさいのですごくかいつまんで言うと女の子は金のある男たちが守ってあげて子供産ませてあとは家で料理とかさせといてくださいっていう映画です。はい感想終わり。いや、言いたいことはあるんだ。色々あるんだがゲームを何時間か続けてやってたのでちょっと目と頭が疲れてしまってこの感想は日課のようなものなのだがなかなかうまいことまとめることができず手抜きでいっかどうせどうでもいい映画だしみたいな…まぁそういう気分にはなる程度の映画だね!

別につまんないとかじゃないですけどなんていうかあれだな、田中圭ですよ。なんなんですかテレビ局製作映画(※これは日テレ)の田中圭の重用っぷり。出過ぎだろう。映画会社製作の映画とテレビ局製作の映画の出演比率が明らかに偏っているだろう。いや何も映画とテレビのどっちが上とかではないがでもここから見えてくるものもあるよなという話で、田中圭ってわりとリベラルな題材を扱った映画でいわゆる「アップデートされた」男の役で出演することが結構あるじゃないですか。

たとえば『おっさんずラブ』ですよ。同性愛をコミカルかつ日常的なものとして描いた人気ドラマで…という説明は俺は映画版しか観てないので正しいかどうかよくわからないのだが、とにかく映画版はそういう感じで田中圭はそこらへんにいる平凡なゲイの役。俺は観てないですけど『総理の夫』もこういう文脈に置けば面白いですよね。田中圭は中谷美紀の演じる日本初の女性総理大臣(なのかどうか観てないからよく知らんが)の夫というわけで彼女を横でサポートする役柄。総理といえば三谷幸喜の政治風刺劇『記憶にございません!』にも田中圭ちょっと出ててこれは警官の役ですけど、横柄でセクハラ常習犯で国民に説明する姿勢を欠いた支持率数パーセントとかの総理大臣・中井貴一に「約束を守ったことなんかねぇじゃねぇか!」って言う。

この「約束を守ったことなんかねぇじゃねぇか!」っていうの、田中圭を象徴する台詞なんじゃないかと思ったね。つまりこの人はさ、テレビ局的にはちょうどいい人なんですよ。なにかしらリベラル的な価値観を体現させたり風刺的な台詞を言わせてもなんとなく柔和な存在感のおかげで角が立たない。見た目は今のイケメン基準からすればちょっと古くさく見えて、ガタイがいいからどちらかと言えば一昔前の「男らしい男」って感じですよね。

テレビの視聴者は保守的なのであんまり新しいことをやると怒るじゃないですか。だけど時代を無視して延々と水戸黄門みたいなことをやってるとそれはそれでソッポを向かれてしまうし、新しい価値観っぽいけど保守的な視聴者を怒らせないように穏当な…っていうどうでもいいライン(言っちゃったよ)をテレビドラマって探るじゃないですか。そこに田中圭ってフィットするんですよね。見た目は古いけど価値観はわりと現代的でみたいな。そういう緩衝材的な人。で『そしてバトンは渡された』もそういう映画なわけです。

それにしてもなんでしょうバトンとは。はいこれは女の子のことです。女の子はバトンですから金のあるオッサンとかが落とさないように落とさないようにオッサンからオッサンへ渡して渡して最後は男との結婚そして出産まで辿り着けばそれがゴールラインですってバカじゃねぇかと僕は現代っ子なので思いますが、まぁでもテレビのモラルってこの程度ですからね。これは案外根深い。原作は女の人が書いたものですし映画の脚本家も監督もここで描かれる人間とか物語を美しいものと捉えているんだろう、で客の方もバカだからそれを観てズーズー泣いてやがんだよな。「わたし幸せだよ! だってパパが三人もいるもん!」みたいな高卒即結婚女子の結婚式当日の台詞に劇場が泣いた!

別に狙ったわけじゃなくてたまたま時間が合ったから行っただけですけどこれが渋谷中心街にあるシネコンでの光景ですからね。言うまでもなく場所柄若い女性が多い。でそんな人たちがこれを観てイイハナシダナーってなってんの。ま人生の何を幸せと感じるかは人の自由でございますから金と自由を握ったパパたちに守られて花嫁街道一直線の人生に幸せを感じるならそれも結構なことでしょう。一神教の国の田舎とかだと普通にそういう感じだしな。ゆーて日本も地方ではそれがベターってケース多いと思うけどね。どうせ魅力的な他の選択肢もないし。

俺としては日本の若い女の人たちにはもっとこう「血が出るなら殺せる!」イズムというか、男に経済的に依存する(せざるを得ない)状況なんか未開未開と笑い飛ばし、女性は男の人よりも弱いから…とかいう男社会の虚勢にまんまと騙されての自己憐憫になんか浸ってないで(この男の権威を補強するだけの復古的女性観を日本ではフェミニストの一部さえもが持っていたりするから厄介なものだ)必要な時には連帯しつつも基本的には独立独歩、やられたらやり返せの気概をもっと持ってくれよそうじゃないと男女平等なんて本当の意味で無理でしょーとか思うわけだがそれは映画と関係ないので割愛! できてない!

映画の話に戻るとこれは非血縁家族を描いたという点でリベラル的、先進的なのだが、非血縁家族であることによってむしろ「家族」の枠組みと存在意義が強調されているという点で保守的、復古的である。その折衷感が実にテレビ局映画っぽく、アホみたいな説明台詞を縦横無尽に駆使して主人公ちゃんとその血の繋がらないパパ(田中圭)の友達的な距離感をひたすら褒めそやすのだが、それでいて田中圭は「お前を嫁に送り出すのが父親としての俺の仕事だ」とかびっくりするほどのオールドパパ台詞を普通に言うしそれに主人公ちゃんも異議を唱えない。この捻れ現象はこの映画最大の見所である。「あなたと私でロッシーニだね!」とかいう意味不明の失笑決め台詞なども大いに見所だが(誰も笑ってる客なんかいなかったけどな)

いやそれにしても、こう振り返ってみると本当に古くさい映画だ。ガワは最新なんだよね、料理上手なシングルファーザーとか。薄っぺらいとしてもとにかく表面的には映像スタイルや物語構成も含めて新しいものっぽく見える。でもその皮をペロっとめくってみると平成も越えて昭和の価値観・世界観にまで戻ってしまってるんだよ。シネマヴェーラ渋谷とかでやってる50年代とかの邦画かと思ったぐらいだもんいや本当に。女はみんな子供が大好きで子供を産むのが人生の目的なんだーみたいなキャラ造形とか、シングルマザーの仕事といえばパン工場のパートとか(時代設定はいつなんだよ)

日本の「アップデート」概念なんて所詮こんなもんですよ。おもしろいですよねー、ほらよくいるじゃないですかー、女の人は壊れやすいんだから男は自制しなければならん、パワハラ野郎やモラハラ夫はこの俺が許さないぞ! 可哀想な女の人たちと連帯します! みたいな「アップデートされた」男性諸君がさ。こういう奴らがバカなのは「女」っていうクソでけぇ前時代的な枠組みで個々の女の人を捉えてそれを「男が」守ることが正義なんだ男女平等なんだみたいに思ってるんだよ。あのすいませんどちらからいらっしゃった方ですか、14世紀フランスからいらっしゃった騎士の方ですか? 武士?

こうしてアップデート男性たちは決して自分たちの優位な地位を大文字の「女」に譲ることなく現代に適応した先進的でやさしい男を気取ることができるのです。まったく偽善的にもほどがあるよ。やらない善よりやる偽善なる無知蒙昧な箴言があるが、やる偽善が善の実現を阻害してるケースなんかそこらじゅうに転がってるじゃないか。アップデート男性はそのことに目をつむり、アップデートする意志のない女性はそれに甘える地獄の共依存構図がここにはあるよ。こんなもん援助交際a.k.a.パパ活と同じ。

そんなにアップデートしたいんなら男性諸君は今まで必死に築き上げた自分の地位を潔く女の人に譲ってみたまえ。管理職や役員の男女比の偏りや生涯賃金格差の統計なんか検索窓に放り込めば五秒で見つかるぞ。育児休暇はお前が全部取ってキャリアを一年ぐらい休止しろ。制度的に取れないとかそんなもん知るか甘えるんじゃねぇよバカが。だったらその会社をやめて妻に咎められて最終的に離婚にまで至ればいいわ。養育費はちゃんと払えよ。

平等への道はかくも険しく男女どちらにとっても痛みを伴う。そんなものは自明すぎるほど自明なのだが、たとえば田中圭が体現するアップデート男性やこの『そして、バトンは渡された』のようなリベラルの上着を着て下着は保守という映画は「痛くないよ~(ただし夫と父が金庫を握っている限り)」と甘言を弄す。そんなもんに乗るんじゃないよまったく。そんな偽善の先に平等なんかあるわけないだろ。でも、乗るんだよね。結局のところ男だろうが女だろうがどいつもこいつも日本人は痛みを受け入れる根性がないんだよ。渋谷のシネコン客のすすり泣きっぷりがそれを示しているじゃないですか。もっと現実の痛みに触れなければならない。男女格差の現実を嫌でもわからせてくれる映画として、こういうのは広く見られたらいーと思います! うんある程度は嘘!

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エバニュー(EVERNEW) リレーバトンプラ製中(6色組) EGA185

人生なにがあるかわからない! 使わないよなどとは言わずに非常時のためにバトンを常備しておこう! でも6個はさすがにいらない!

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