ウクライナ映画二本立て感想文『アトランティス』『リフレクション』

ウクライナ映画界支援緊急企画ということで国際的に評価が高いらしい俊英ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督の映画が二本やってたので観てきた。ウクライナ映画なんかそもそも本数が入ってこないので観た記憶が全然ないが映画がそんなに作られていないというわけではなくむしろかなりレベルが高いことがこの二本でよくわかったので、今後もウクライナ映画の輸入、よろしくお願いします。

『アトランティス』(2019)

《推定睡眠時間:80分》

時は2025年のウクライナ東部ということで近未来のお話、「戦争終結後」のテロップも出ていたような気がするが定かではない。ファーストシーンはサーマルゴーグル越しに捕虜と見られる誰かを兵士と見られる誰かが殺害する場面だから局地的な戦闘はまだ続いているのかもしれない。どっちが敵なのか味方なのかもわからんしよくわからん話である。わからんのは俺が寝ていたからだが(しかしそもそも敵とは誰か? 味方とは?)

終わったのか終わってないのかは知らないがこの戦争というのは現在のウクライナ戦争ではなくロシアのバックアップを得たウクライナ東部ドンバス地域のドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国(いずれも未承認)のダブル反乱勢力とウクライナ政府軍との戦いらしい。ウクライナ戦争もこの両地域の帰属を巡る紛争がエスカレートした結果なわけで2022年4月6日現在ロシア軍は首都キーウ近郊から緩やかに撤退して東部に再配置されているというからなるほど確かに今観るべきアクチュアルな映画である。

映画の中では戦争が終わっている(ということにしておこう)がじゃあそれで平和になったのかというとまったくそんな気配はなくむしろ草木は根こそぎ持って行かれ建物は廃墟のままで着るものはくたびれた軍服しかなく化学工場のような建物だけは鈍い光を放っているがそこに人間の生気はなくと寒々しい絶望に覆われたポストアポカリプスのような世界でほとんどSFの域、兵士たちはショベルカーのカゴで風呂に入ったり断崖の前で延々遊び半分の射撃訓練をしているが解説によれば主人公は水を運んでいたらしいので(寝ていたので最低限の情報も知らない)水を運ぶって『マッドマックス 怒りのデス・ロード』じゃないんだから! というぐらいな感じである。らしい。ちなみに水を運ぶのはドンバス地域は石炭採掘なんかで水質汚染が深刻だからなのだとか。

おそらく面白い映画で冒頭ちょっと見ただけでもその世界観に圧倒されること請け合いなのだがいかんせん眠い。これは撮影が非常に特徴的で客席から舞台の上を眺めるような形でフィックスのカメラが置かれ、ワンシーンワンカットでひとつのシーンが5分ぐらい平気で続く。ドラマティックな展開があるわけでもなく、というかそもそも何が起こっているのか、何を話しているのかもよくわからず、ポストアポカリプスの荒野に住む人々の生活を淡々と点描したような印象だが、そんなものは眠るなという方が無理ではないだろうか。

しかしあえて言えば眠気を誘う弛緩した空気と戦争のもたらした荒廃が強いる緊張の奇妙な二律背反こそ「戦争のあと」なのだから、眠さによってこそ迫真性を得ているというのがこの映画なのだ。たぶんな!

『リフレクション』(2021)

《推定睡眠時間:0分》

ヴァシャノヴィチという監督はオープニングで観客を驚かせたがる人のようで『アトランティス』のサーマルゴーグル殺しもインパクトがあったが『リフレクション』はまたこれがすごいオープニング、どこかの公共施設の飲食スペースのようなところにたむろする十数人ほどの大人たち、この人たちはどうやら子供の保護者のようで一人の母親が子供に放射線防護服のようなものを着せている。異様な装備だが周囲の大人は誰も気にしないし世間話を続けているからこれはウクライナの日常の一部らしい。

いったい何が始まるのか。この飲食スペースは手前つまりカメラ側にバーカウンターがあり画面奥は壁一面の大きなガラス、その向こうに見えるのはなにやら殺風景なアスレチックのような風景である。ピー! とホイッスルの音がして、そのガラスが突然ドドドドっという重たい打撃音と共にカラフルな水玉模様に染まる。どうやらこれはペイントボールを使った子供たちのサバイバルゲームかもしくはゲーム形式の射撃演習らしいのだが、いずれにしても黒板を爪で引っ掻くような嫌さのある場面である。次のシーンは舞台セットみたいな手術室での負傷兵の血まみれ手術風景なのだから今度は寝てなどいられない。

『リフレクション』の時代設定はドンバス紛争の始まった2014年(だったはず)なので『アトランティス』と違って戦争体験も描かれるが戦闘行為ではなく戦争のもたらす傷とその癒やしに力点を置くところは『アトランティス』と変わらない。キーワードは窓だ。こういうタイトルだしオープニングからして窓が重要な舞台装置となっているくらいなのでこの映画にはやたらと窓が出てくる。窓は安全地帯と戦場を分けるものであり、生と死を分けるものであり、人と人を分けるものでもある。窓が破られることが戦場や死の安全地帯への侵入を意味するなら、自分を守ってくれる窓を取り払ってその向こうにいる人間の発する小さな音に耳を傾けることは人間性の回復を意味するだろう。これは俺なりのラストの解釈だが抽象的に過ぎてネタバレになってないから大丈夫の自己判断。

相変わらずのフィックス&ワンシーン・ワンカットは屋外シーンの多かった『アトランティス』と比べて屋内シーンの比率がぐっと高まったことで神経質なシンメトリーの画面構成を取るようになり、その画面の中央に窓を配することで静かな中に(あちなみにこれ劇伴はなくて環境音と効果音しかないタイプの映画です。硬派!)劇的な心理のうねりやサスペンスを生んでいる。ということで何気ないシーンでも目が離せないわけだが何気なくないシーンの何気なくなさもすごく、捕虜となった主人公が虐殺収容所で拷問的全身洗浄を受ける場面ももちろんワンシーンワンカットで撮るのでかなりリアルに痛そう寒そうで俳優の人が心配になるレベル、乗馬のシーンでは小さな女の子がやはりのワンシーン・ワンカットで普通にズサっと落馬するのでええっと思うがこれ怪我とかなかったんだろうか。乗馬服だからスタントの人がやってるのかもしれないけれども。

リアルな痛みの描写を妥協なく追求する一方で人道支援車を偽装した移動式死体焼却炉や冒頭のペイントボール射撃演習場、スクリーンプロセスのように機能するドライブインシアターの映画といったSF的アイテム・舞台装置は現実と虚構の境界を揺さぶって、ロシアとウクライナの戦争は普遍的な人間再生の寓話へと(それをそう呼べるなら)昇華される。なるほど、これはすごい映画だ。あえて今観るべきとは言いたくない、いつでも観られるべき映画だろうと思う(だから配給さんはなんとか頑張って一般公開してね!)

【ママー!これ買ってー!】


『ラブレス』 [DVD]

ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチの演出法や説明を省略した作劇はロシアの鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフの影響もありそうなところで、2017年のズビャギンツェフ監督作『ラブレス』には直接ドンバス紛争は出てこないものの(ニュースで流れる)現代ロシアの抱えるあらゆる問題に背を背け自分たちの利益を追求する富裕層を主人公に据えることで間接的に「戦争のもたらしたもの」が描かれていたと見れば、気骨ある映画人の国境を越えた共鳴&共闘になにやらグッときてしまう。

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