アポロ愛映画『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』感想文

《推定睡眠時間:0分》

『ロッキー4』はシリーズの中でも上位に食い込む好きな映画でなんつってもドラゴ、ドルフ・ラングレン演じるソ連のボクシング・サイボーグことイワン・ドラゴが素晴らしい。この人はソ連政府肝いりの国策ボクサーでありソ連の技術力を世界に喧伝するために作り出された二足歩行の対西側プロパガンダ兵器である。サイボーグといってももちろん人間なのだがそのトレーニングは唯物論的に完全データ主義の機械主義。プライベートの時間などなくその生活はスポーツ科学者たちから成るドラゴ育成団によって隅々までコントロールされている。生けるプロパガンダ兵器であるから人前で個人の意見を言うことも個人の感情を見せることも許されない。美人の妻も独身だと宣伝効果が弱かろうという政府の判断によって派遣された…かは詳しく描写されないから知らないがともかくどうも、恋愛結婚という感じではない。

人権を無視した最強戦士育成計画の成果は目覚ましく、このドラゴ、あのアポロ・クリードをなんとエキシビションマッチのリング上で殴り殺してしまう。だがその時のドラゴの表情にボクシングをする喜びはない。それどころか殺す側にも関わらずパンチを繰り出す度に子供のような怯えさえ見える。ドラゴを見ていると胸が痛くなる。超科学的トレーニング中のドラゴの表情は苦痛にまみれ、プロパガンダ兵器としてリングに上がるその背中には深い孤独が影を落とす。闘志を剥き出しにして原始的とも言えるトレーニングに励み、大勢の仲間に背中を押されてリングに上がるロッキーとはあまりに対照的だ。

だからこそ俺はドラゴを愛さずにはいられない。そうだよ! 俺もドラゴだよ…!! いや全然ドラゴじゃないけど少なくとも名も無き孤独人間としてロッキーとドラゴのどちらを応援するかといえばそれはもうドラゴに決まっているのである。ドラゴがロッキーとの死闘の中で徐々に自我に目覚め、表情に生気が宿り、そして「俺は勝つ! 俺のために!」と試合を観戦する書記長(ゴルバチョフ風)に吠える瞬間、もう何度見ても泣いてしまうしこれを書きながらもしっかり思い出して涙ぐんでいる。

このときドラゴはロッキーよりも『ロッキー』になったのだと俺は思う。『ロッキー』は人に誇れるものを何も持たず人生を見失いかけていたロッキーが自分の人生を取り戻すために決死の覚悟でリングに上がり、そして堂々と無様に敗北する物語だった。片やフィラデルフィアの落ちぶれボクサー、片やソ連のプロパガンダ兵器では立場が違いすぎるが、自分の人生を失いかけているという点でドラゴはかつてのロッキーと重なる。勝利ではなく栄誉ある敗北によって自らの人生を勝ち取るという点でも同じだ。だがドラゴにはロッキーにとってのエイドリアンやポーリーに相当する仲間はいない…ドラゴにはわかってたはずだ、自らの人生を勝ち取ることがソ連で何を意味するか、ということが。それでもドラゴは自分らしく生きるために「俺は勝つ! 俺のために!」と叫んだのだ…こんなもんあんたドラゴを応援せずにはいられないでしょうが!!!

でそのドラゴ万歳な『ロッキー4』がこのたびスタローンの手で再編集されたということで観に行ってきたわけですがまぁびっくりしたね、スタローンが事前に漏らしていたからロッキーがポーリーに買ってやったポーリーの妻ロボットの登場シーンがカットされていることは知っていたしアメリカ映画史上に残したい80年代センス満載なダサすぎるタイトルバック(アメリカ国旗柄とソ連国旗柄のグローブがロケットパンチになって激突する!)もカットされるんだろうなとは思っていたが、無駄なところを刈り取るなんてもんじゃなくとくに前半は別作品かと思うほどの抜本的改変っぷり。

この変わりようはスタローン監督作として考えれば驚きはするものの納得のいくもので、どう変わったかってロッキーとアポロがいちゃいちゃするドラマパートが『ロッキー3』のフィルムまで持ってきて大増量されたのだが、スタローンってウェットな人間ドラマを映画作りですごい重視するんですよね。『エクスペンダブルズ』のスタローン・カット版も劇場公開版より登場人物の関係性や行動動機を説明するドラマパートが長くなっていて、で音楽もドラマを邪魔しないように控えめになっていたりしたんですけど、そういうのがスタローンの作風だから『ロッキーVSドラゴ』と言いつつ『ロッキー&アポロ』に改題した方が合ってるんじゃないかってぐらいロッキーとアポロのドラマとして『ロッキー4』が再構成されてる。

なるほどね。そうですか。いや、これはこれで面白いのだが、だがしかし…断然ドラゴ派の俺としてはやっぱりアポロには早々に退場してもらってドラゴとロッキーの物語に絞ったオリジナル版の方がよかった。確かにドラマの密度という点では『ロッキーVSドラゴ』の方が濃いのだが、狙った効果ではないだろうとしても、ドラマが薄っぺらいからこそロッキーとドラゴの試合に、その肉体と肉体のぶつかり合いの中に言外のドラマが凝縮されて、一打一打が無言の言葉となってこちらの胸に響いてくるようなところが『ロッキー4』にはあった。だからドラマパートを増量したことで逆に試合の感動が薄まっちゃったように感じられたんですよね『ロッキーVSドラゴ』は。で、そのことでドラゴの物語として弱くなってしまって。ドラゴの妻も『ロッキー4』だともっと台詞とか出番あったと思うんですけどカットされたようだし。

とはいっても大幅な再編集が施されたのは前半部分で後半はショット単位の追加/カットや劇伴の多少の変更があるだけだから、ロッキーとドラゴの死闘は相変わらずの大迫力だし、ドラゴの人間宣言の輝きが鈍ることもない。再編集されても結局は最高な『ロッキー4』なのだが、ただそれは『ロッキー4』がそれだけ面白い映画だってことで、『ロッキーVSドラゴ』が面白いわけじゃない。ポーリー絡みのエピソードが半分ぐらいカットされてしまったことでポーリーが死地に赴くロッキーにかける泣ける台詞がなんかスベってるように見えてしまうなどのどうでもいいといえばどうでもいいがいやでもそういうどうでもいいところこと大事じゃない…!? みたいなのもあり、どっちが良いかといえば、そりゃやっぱりロケットパンチのタイトルバックとかポーリーの妻ロボットとかのどうでもいいけど面白いシーンがたくさんある『ロッキー4』の方なんだよ、『ロッキーVSドラゴ』よりも。

【ママー!これ買ってー!】


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いつの間にか邦題サブタイトルの「炎の友情」も消えてしまっていたがあった方がよくない?

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