孤独死も悪くない映画『アイ・アム まきもと』感想文

《推定睡眠時間:0分》

あるある映画として作られてはいないはずだが阿部サダヲ演じる主人公の市役所職員まきもとさんの日常を観ていたら思わずあるわーが脳みそから飛び出してきてしまった。まきもとさんはASDっぽいので空気が読めないしこだわりが強い。会話の中で代名詞が飛び出すと理解できずにそれはなんのことですかと聞き返してしまうし感情表現に乏しくいつも同じ表情をしているように見える。服は同じ物を何着か持っているだけで自宅アパートは装飾がなく殺風景、人が嫌がるような死体回収の仕事も仕事だからととくに嫌がる様子もなくこなしてしまう。友達も恋人もいない。読んでいる人は知らないだろうが俺は普段の俺に照らし合わせて俺かと思った。いやべつに死体回収の仕事はしてないけれども(でも腐乱死体に触るのは嫌じゃないので向いてると思う)

予告編ではそんなまきもとさんの変さが強く打ち出されていたが映画本編ではこれはあくまでも主人公の性格描写に過ぎず、この人はこれこれこういう発達障害でと誰かから説明されることもなければその性格が大きな波乱を生むこともない。ずいぶんしっかりとした映画だなと思った。多くのメジャーな日本映画の作り手はぶっちゃけ観客を信用しない。一から十まで台詞で説明するか回想シーンなんかで絵として見せなければその物語の中で描かれる物事を観客は理解できないと思ってるし、「普通」の範疇から外れるものはそれが善であれ悪であれ誇張して描かなければ観客が納得しないと思ってる。それは必ずしも現場の作り手の意志によるものではなかったとしても、結果的にはそうした作りで妥協している現代邦画のなんと多いことか。

ところがこの映画はそうではなかったわけですねぇ。イギリス映画『おみおくりの作法』のリメイクとはいえ邦画でこれは珍しい、オリジナル版がどのような映画かは観たことがないのでわからないが、これがオリジナル版のトーンを踏襲したものだとすればまったくアッパレなリメイクだ。なにせ外国映画の邦画リメイクなんてのは日本の観客の好みに合うようにウェットな要素と過剰説明を付け足した改悪版であることがほとんどなわけですから。たとえこれが創意のないリメイクだったとしても、創意を見せようとしないところが逆にすごいってなわけで、まさか監督・水田伸生×主演・阿部サダヲのコンビでこんな良い意味で地味な映画を見せられるとは…とちょっと驚いた映画だった。

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それにしてもまきもとさんの仕事は羨ましい…この人たぶん絶対に自分を曲げないから周囲から煙たがられて役所内左遷させられてるんだよな。それで一人でおみおくり係っていうのやってるんですよね、役所のオフィスに外から見えない自分だけの小部屋作って。このおみおくり係、引き取り人のいない孤独死なんかの死体をまぁ引き取って焼いて無縁仏に入れるってなお仕事ですけれども、めっちゃいいじゃん。役所仕事だけど一人で出来て仕事量も多いわけじゃなくてしかもなんとなく人の為になることをしているような気がするからやりがいもある。デスクワークは少なく仕事の半分ぐらいは外に出てやるわけだから健康にもいい。これ最高じゃないですか?

でカメラもそれをさ、まきもとさんと同じ視点で撮ってるから充実した仕事って捉えるんですよね。要は死体処理の仕事だからそんなの嫌でしょうって普通は思ったりしがちじゃないですか。でもそうじゃないんだと。この仕事にまきもとさんは満足してるし、まきもとさん自分が手掛けた故人の写真とか新聞記事とかでスクラップブックを作るのが趣味だから、単に自分に合った仕事ってだけじゃなくてそれで孤独感を解消して生活を豊かにしてるんですよ。可哀相な人とか虐げられた人とかじゃないだよな。他人からはどう見えようがまきもとさんは人生をエンジョイしてるわけ。

それで、孤独死っていうのも実はそんなケースだったりすることがあるんじゃないですかっていうのがこの映画のテーマの一つ。孤独死なんていうぐらいだからやっぱ一人で誰にも気付かれずに死ぬことって良くないことのように一般的には思われてるけれども、それはその人を個人じゃなくて「孤独死した人」っていう偏見のこもった属性で眺めているからえあって、故人の人生を丹念に辿っていけば、そりゃ人間死ぬ前に未練のひとつやふたつあるだろうけれども、それはそれでその人の人生の結末として悪くないものだったりするかもしれない。

おみおくり係の廃止が決定したことからまきもとさんは彼が手掛ける最後の故人となった宇崎竜童の人生を辿る旅に出る。これまで自腹で故人の葬式を開いていたまきもとさんだったが引き取り人のいない孤独死の故人なわけだから葬式に参列する人はまきもとさん以外にいない。最後の一人ぐらいは親族や友人の参列する葬式をやってみたい…というわけだが、まきもとさんは何も宇崎竜童のためにそうしているわけではないし、ましてや親族や友人のためにそうしているわけでもない。この人はそれが自分の仕事だから自分の納得のいく形でやりたくてそうしているわけで、誰かのためじゃなくて自分のためにやっているわけです。

なんかそれちょっとわかるよな。俺は清掃のバイトがそこそこ長いんですけど汚くなったところを自分の手でキレイにするといまだに気持ちよくなるんです。でも自分の部屋は全然掃除とかしない。俺が汚したところじゃなくて誰かが汚したところを俺の手で俺流にキレイにするからあぁ良いことしたなって思えて、そのときにそのキレイになったところを使う人の顔なんか見てないし、誰もそこがキレイになったことなんて気付かない。自己満足の献身なんですよこういうのは。それを通して他人ではなく自分が満たされる自己犠牲。そういうのってある。

そっちの方が楽だから自分の意志で他人とコミュニケーションを取らない生活をしていても不意に孤独が身に染みることもある。まきもとさんはおそらくそうしたこともあって孤独死者・宇崎竜童の葬式参列者を探すが、それはやがてまきもとさんが自身の抱える孤独を癒やすための行為へと変わっていく。宇崎竜童の人生をまきもとさんは自分の人生と重ねていく。そしてその死も。孤独死だろうが看取られ死だろうが死は死で、結局最後は自分一人で孤独に死んでいくことには変わりない。誰もがいつしか迎えることになる自分の死をどのようにすれば人は受け入れることができるだろうか? 宇崎竜童の葬式をするつもりで、まきもとさんは知らず知らずのうちに自分の生前葬を、やがて訪れるに違いない死を受け入れるために執り行うのである。

軽い映画と見えてその死と孤独に対する洞察は思いのほか深い。ドローン撮影で美しく切り取られた庄内平野の一面の水田の中に屹立する斎場は暗くて不快な死のイメージを一掃する。孤独死の現場やまきもとさん宅には孤独の中の静かな幸せが見える。深みのある人間ドラマに加えてまきもとさんが行く先々でかましてしまう噛み合わない会話も阿部サダヲと名優たちのアンサンブルが生きて笑える、いやこれはよくできた映画だったなー。

【ママー!これ買ってー!】


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機会があれば見比べてみたい。

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