《推定睡眠時間:30分》
時はベルギー1990年頃、世を騒がす連続少女誘拐事件の捜査が一向に進展しないことに国民が不満を募らせる中、国家憲兵隊の血気盛んな若手職員である主人公は「知り合いがよ、こないだ通りかかった少女たちを値踏みしてな、こいつならいくらで売れる、あいつならいくらで売れるって話してたんだわ。俺あいつが誘拐事件の犯人じゃねぇかと思うんだ。家に地下室もあるしな。そこに誘拐した少女拉致して人身売買組織に売り飛ばしてるんじゃねぇかな」と有力っぽい情報提供をキャッチする。他の憲兵たちは情報提供者が飲んだくれの上に前科があることからカネ欲しさに適当なこと言ってんだろうと相手にしないが、義憤と野心に駆られた主人公は上司に直談判で猛プッシュ。こいつを捜査してください! するとアイパッチ着用という有能ダンディフェイスすぎる上司はこれを了承、重々しく宣言するのであった。うむ、では君を捜査官に任命しよう。これからオペレーション・マルドロールを開始する! だが、予想されたことながら捜査はやっぱり難航し……。
衝撃的な作品である。なんとアイパッチを着けている上司が全然役に立たない! これまでフィクション作品の中でアイパッチ着用者は必ず有能であり、『ニューヨーク1997』のスネーク、それを基にした『メタルギアソリッド』のビッグ・ボス、実在人物では『プライベート・ウォー』の主人公である従軍写真家メリー・コルヴィンがアイパッチであり、サングラスに切り替える以前の初期タモリもアイパッチがトレードマークと、こう並べるだけでもツワモノ揃いであることがわかる。ところが本作『マルドロール/腐敗』のアイパッチ上司は見た目のタフガイっぷりに反して保身第一の小物であり、捜査の進展よりもいかに国家憲兵隊という組織に失点を与えないかということばかりを気にして正義漢の主人公に猛然と非難されるハメになるのである。
ここで映画の背景を押さえておこう。ベルギーの警察事情なんか知るわけないが映画の冒頭に出るテロップによるとこの連続少女誘拐事件はディテールは異なるものの実際に起きた事件であり、その解決を難しくしていた(とテロップに出る)のが警察司令塔組織の不在であった。90年代当時ベルギーの警察は主人公の所属する国家憲兵隊、司法警察、自治体警察に分かれており、それぞれの詳しい職務内容はこの映画を観ただけではわからなかったが、名前から察するに治安維持とか現場系のお仕事を主に担当するのが国家憲兵隊、司法警察はたぶん検察に近いもので警備とか交通整理とかそういう現場系のお仕事は行わずに刑事事件の捜査を担当しているんだろう、自治体警察はどうもアメリカの保安官に近いような自治体で組織される治安維持組織のようなので、厳密には公権力としての警察とはちょっと違うのかもしれない。
でこの三組織がうまく連携できていれば捜査もスムーズに進んだかもしれないが、まーどこの国でも同じようなお仕事内容を持つ組織というのは分かれると無駄に競争を始めるものだ、予算割り当てとかの都合とかもあるだろうし、国家憲兵隊と司法警察と自治体警察は連携どころかお互いをライバル視して功績を独占しようとする、そしてそのために犯罪者にとって抜け穴のようなものができてしまっていたのであった。
近年言われるようになったのは多彩なシリアルキラーが全米を恐怖のどん底に陥れていた1970~80年代、その凶行を可能にしていたのはアメリカの警察組織の連携不足であり、巷間で言われるようにシリアルキラーに悪魔的にして天才的な頭脳があったからとかではないということだった。なにせアメリカは国土が広くそもそも警察力が国土をカバーできていない。そのうえに州警察はよその州警察とデータの共有を行っていなかったので、米国シリアルキラーの代名詞であるテッド・バンディなどはそのために州を移動することで警察の追撃を逃れていたのだという。考えてみれば連邦捜査局の捜査官と地元警察や保安官との対立なんてのは一昔前のアメリカ映画とかドラマでは頻繁に描かれたもんである(つまりそれぐらいアメリカでは警察組織が統合されておらず、犯罪捜査や犯罪抑止が効率的に行われていなかったんである)
ということでこの映画、『変態村』とか『地獄愛』のファブリス・ドゥ・ヴェルツが監督といえばまたエグいものをと映画好きなら予想するかもしれないが、それなりにエグいとしても(誘拐シーンに漂う卑劣なムードはさすがこの監督である)それはこれまでの作品で描かれてきたような人間の内面に由来するエグみというより、競合する警察三組織の連携不足によって被害が拡大していったという社会派的なエグみであった。三組織のメンツ争いや力関係やそれに付随する保身によって正義漢の主人公は次第に孤立し追い詰められ、『ゾディアック』のように見えない犯人に取り憑かれて身を持ち崩していく。余談ながら『ゾディアック』のデヴィッド・フィンチャーが手掛けたNetflixのシリアルキラードラマ『マインドハンター』ともこの映画は演出や展開がよく似ているので、ファブリス・ドゥ・ヴェルツは見かけによらず(?)フィンチャー好きみたいです。
上映時間155分はさすがに長く主人公のプライベートの部分なんかダラダラ流してないでバッサリ切ればいいじゃんとかは思ったりするものの、そんなわけでこれも『マインドハンター』みたいなやるせない系シリアルキラー捜査ものの連続ドラマの一気見バージョンみたいな感じで、『マインドハンター』の完結編たるシーズン3の制作再開を切に願う俺としては面白く観られた。それにしても、シチリア出身のオッサン(主人公の妻の親戚)が犯人の外道っぷりとそいつの犯行を止められなかったベルギー警察の無能にキレて言い放つ台詞には、おそろしくて笑ってしまった。「ありえないだろ! こんなクズはシチリアだったらとっくに殺されてるよ!」ベルギーにも問題はあるだろうがマフィアが殺人犯を見つけ出して処刑するシチリアもどうなのかと思うぞ!