こんなタイトルだがペンギンはむしろ脇役映画『ペンギン・レッスン』感想文

《推定睡眠時間:50分》

この映画を観に行った理由とくればそれはもうただ一つでペンギンさんが出てくるらしいというタイトルまんまやんけな理由しかないので1970年代の軍政下アルゼンチンを舞台にしたという設定のわりにはその点の掘り下げが浅いというかそもそもこれは各国を放浪するイギリス人英語教師のアルゼンチン金持ち子息学校勤務時代の回顧録が原作らしいので金持ち学校というクローズドなコミュニティの中に閉じ籠もっておやおや大変ですねぇと外を眺める外国人の目で当時のアルゼンチンを描いた映画、掘り下げが浅いのは当然だし、そして俺としてはペンギンさんが見られればそれでいいわけだからそんなことはどうでもよい。70年代軍政下アルゼンチンを描いた映画なら今年死んだ第266代ローマ教皇フランシスコの半生を描いた『ローマ法王になる日まで』が当時のアルゼンチンの苛烈な反体制派弾圧の様相と共にアルゼンチン管区長時代のフランシスコの苦悩を描いて力作、これがおもしろかったからこれを観ればいいと思います。

そんなことよりペンギンである。きゃーペンギンさんかわいー! あのボテボテと歩くところがもう堪りませんな。重油流出事故によって油べとべとで浜に打ち上げられていた可哀相なペンギンさんを主人公の英国英語教師は行きずりの女とヤリたい(その人が助けてあげてよーと言ったのだ)というおめー動物をなんやと思っとんじゃコラおいという理由で救助、ところが女の人はさっさとどっか行ってしまったので仕方が無く動物興味なしの主人公がペンギンさんを引き取って勤務先の例の金持ち学校に持っていく、すると殺伐とした社会情勢を受けてなにやらトゲトゲしていた受け持ちクラスもペンギンさん効果で心がほぐれていくのであった、というわけでまぁこれはあれだなペンギンさんが主役の映画ではまったくねぇ。たしかにペンギンさんは可愛いがその扱いはあくまでも1970年代アルゼンチンで生きることの困難や痛みを浮かぶ上がらせる装置でしかないわけで、カワイイたしかにペンギンさんはカワイイが、どうぶつ映画として観ると肩透かしを食らうことは請け合いである。

まぁこういう映画ってよくあるからねぇ。主人公は嫌味ったらしくて臆病で面倒事には関わり合いになりたくないイヤなヤツ、そいつが想定外の闖入者によって次第にちゃんとした人間になっていき……なんていうのは基本的に興味のないジャンルなのでパッとタイトルが出てこないがまぁ教師モノ映画のひとつの定番ですわな。この映画のポイントはその定番を1970年代のアルゼンチンを舞台として展開したところにあるわけだが、ただその掘り下げはかなり浅いわけだから、ウェルメイドなよくあるイイ話の粋は出ない。ペンギンによって覚醒した主人公が横暴軍政と戦う! とかそういう感じではないのは多少面白いところかもしれない。そりゃそういうヒロイックなファンタジーはみんな映画に望むものだが、実際問題銃器を装備した殺しのライセンスを持つ集団にたかだか一教師が太刀打ちできるはずもなく、その太刀打ちできないリアルのやるせなさをしっかり見せるということは映画として誠実ということじゃないだろうか。

自分はしょせん外国人の雇われ教師でたとえ悪どいことをしているわかっていても軍政を倒すことはできないし、そればかりか金持ち学校の外で暮らすアルゼンチン庶民と深いレベルでわかり合うことさえできない。焦点が当てられるのはその痛みを主人公の教師が受け入れる過程である。痛みは弾圧されている人々と心が共にあるから生じるわけではないのだ。逆に、その人たちと心を共にすることが決して出来ないことを理解した時に生じるんである(だから、なんらかの被害者に対して、その被害を受けていない自分が共感できる、同調できる、その気持ちを理解している、などとあまりにも安易に思い込んでしまえる優しくも傲慢な人たちは、口ではツラいとか心が苦しいとかなんとか言うけれども、本当のところは何の痛みも感じてはいないのだ)。そこらへんの苦味、大人の諦観がイギリスの映画だよね。アメリカ映画だったら教師が戦いに目覚めてカッコよく悪人やっつけてハッピーエンドじゃないすか知らんけど。

とはいえ俺の関心はもっぱらペンギンさんにあるのでペンギンさんをテーマを語るための単なる道具としてしか使わないこの映画はそんなに面白いもんではなかった。まぁペンギンさんを思う存分観たければ『皇帝ペンギン』とか観ればいいって話ではある。『皇帝ペンギン』も人間が勝手にペンギンさんの台詞を作って吹き替えてるから余計なことすんじゃねぇよ人間は見たくねぇんだよ人間は! と思ったりしますが。

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