【ネッフリ】ボウイとブレランと『MUTE ミュート』の感想

『MUTE ミュート』[Netflix]

《推定ながら見時間:20分》

個人的に『ブレードランナー』フォロワーのSF監督で今いちばん新作が見たいのはダンカン・ジョーンズで、まぁ、見ればわかるが、そのネッフリ新作『ミュート』はあまりにもド直球な『ブレードランナー』的未来風景にびっくりする。そんなに好きなのか。好きはわかるが少しぐらい自分なりのアレンジとか入れてきてもいいのではないのか。これじゃあ本当に『ブレードランナー』じゃないか…あの清掃車の場面とか自転車とか…。

『ブレードランナー』と違うのは(いやそんなことを言ったら勿論、当然、言うまでもなく違うところの方が多いのですが)どう見てもリドリーヴィルにしか見えないこの未来都市は2019年のロサンゼルスじゃあなくて今から30年後のベルリンなのだった。
なぜベルリンか。それはまぁドイツ資本入ってるからだと思いますが、というのはともかく『ブレードランナー』に倣ってか映画はダブル主人公になっているんですが、その一人が声を失ったアーミッシュのバーテン、でもう一人は海外派兵の赴任地から逃亡してきたアメリカ軍の脱走兵(『アントマン』のポール・ラッド)

メルケル首相の難民大量受け入れが背景にあるんだろうな、ようするに避難場所としてのベルリンということだろう。雑多な人種と文化の入り乱れる夢のような悪夢のような、混沌の誘惑いっぱいのリドリーヴィルの風景を現代に蘇らせるとしたらもう右から左までガチガチに凝り固まったアメリカなんかではありえないわけだ。
そこには『ブレードランナー』の原風景たる『メトロポリス』のオマージュも込められているんだろうというわけで俺としてはその舞台選択だけでもう感無量なのだが、ダンカン・ジョーンズがベルリンを夢を逃がす場として提示することには当然べつの意味も付いてくる。

このミュートでアナクロなバーテン、メモ帳にイルカの絵を描いていた。イルカみたいにプールで泳いでいた。参ってしまうよね、こりゃあ『ヒーローズ』じゃあないですか、ジョーンズの父デヴィッド・ボウイの。

I, I wish you could swim
Like the dolphins
Like dolphins can swim…

俺ごときが言うまでもなく『ヒーローズ』はベルリンの壁の前で逢引きする男女に想を得たボウイのベルリン時代の代表曲のひとつであるが、ボウイがベルリンに向かったのもやはりドラッグと創造性の荒廃からの逃避だったわけだからいやまったく、狡い。
こんな映画を悪くは言えないし、実際悪かったところは俺にとっては微塵もない。もういいんじゃないか。ダンカン・ジョーンズが近未来ベルリンの『ブレードランナー』的サラダボウルの中で『ヒーローズ』をなぞるかのような悲恋を綴る。もうその大枠だけで充分にかけがえのない作品なんじゃないか、と逆に真面目に見る気を無くしたよ『ミュート』、道具立てで既に…。

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『ヒーローズ』が9.11の際にグラウンド・ゼロで歌われたというエピソードを思えば一方の主人公が彷徨えるアメリカ人脱走兵であることにも特別な重みが加わる。
映画の中では明示されることのない物語の背景は強国のパワーゲームの狭間で延々と続く地域紛争と大義を失った軍事介入の、その結果として増加の一途を辿る難民が都市と戦地の距離を無くしてしまう、といってそこから完全に手を引くこともまたできないNATO加盟国の置かれたジレンマだろうと思われるが、そのジレンマを体現するのがギャングの下働きの脱走兵二人組だったんだろうな(※ひとりは既に偽造IDで平穏に暮らしてる)。

故郷に帰りたいが帰れない。軍事力を行使する側のはずがいつの間にか自らが難民になってしまった。
下働きの主な仕事は手負いのギャングの治療と敵対ギャングの拷問。アイロニーでしょうが、医療行為の両義性が映画の中では何度となく問われているから表面的なシニシズムじゃないんだろう。医療行為を軍事介入のメタファーとする意地の悪い見方もできる。
この彷徨える脱走兵ポール・ラッドは役名をカクタス(cactus)といい、カクタスというのはサボテンのことだそうなのでなんか砂っぽい戦地にいたんだろうなぁと想像できるが、そういえばボウイにも『カクタス』という曲があった。

I miss your kissin’ And I miss your head
And a letter in your writing Doesn’t mean you’re not dead…
君のキスが恋しい 君の想いが恋しい
君が書いた手紙は君が死んではいないという証拠にはならないよ
※北沢杏里さんの訳を『ヒーザン』国内版ライナーノーツから引用させてもらいました

それを踏まえてかどうかは知らないが、映画はミュートなバーテンが姿を消した恋人から届く謎メールを頼りに彼女を探すハードボイルド調の展開を見せる。
ただしボウイのyou’re not deadは比喩でもバーテンの場合はハードボイルド的に文字通りの意味でしかないので切実だ。
切実バーテンの前に立ちはだかる曰くありげな娼ボーイ、成金の変態ども、屈折した闇医者、超マッチョな用心棒…これはあれだなレイモンド・チャンドラーの世界の住人だな。

このチャンドラー的キャラクターたちっていうのが良い。超マッチョな用心棒が仲間が何発撃たれたか訊かれて、これが5発なんですが指で数えていくと小指がない。カタギじゃないことが一発でわかるしちょっと笑える実に気の利いた見せ方。これは痺れる。
日本かぶれの変態も強烈で痺れましたね。いや、これはもう口外不可だな。不可! とにかく衝撃的だからこいつの勇姿だけでも見てほしいぐらいだ…本当ひでぇ変態っぷりでめっちゃ笑ったよ…。

ハードボイルドであるからして本筋はシリアスそのものだったが結構、そういう意味で笑いは多い。『ブレードランナー』で言うところのスピナーは丸っこいちょい円盤的デザインに変更されてちょっと可愛い。
『ミッション:8ミニッツ』とか顕著だと思いますけど、どんなに硬質な物語でもさり気ないユーモアとキュートを決して忘れないからダンカン・ジョーンズの映画は安心して見れる。
それに脇役の一人一人までキャラクターに味があるんだよ。ちゃんとあの世界に生きてるなっておもう。スターリンTシャツの謎デブが急に画面に割り込んでくるとかそういう演出を普通トーンでやってのける監督はやっぱ信頼度が違うね。

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たただその笑いとキュートと人間のおもしろさで全然覆い隠せなかったな、物語の悲惨が。すごい暗い映画だったよ。沈痛な映画だし、物理的にも痛かった。
ミュートなバーテンがギャングにカチコミをかける場面とかびっくりしたな。カメラ据え置き状態で遠巻きにギャングをボコっていくバーテンの姿を捉えるわけですけど、その寒々しい暴力の風景にダンカン・ジョーンズにこんなバイオレンス感性が隠されていたのかと。なんとかレフンみたいな人の映画かと思ったわ一瞬。

直接のバイオレンスもあれば想像のバイオレンスもあって、目に見えないことで余計に痛かったのは子どもの性的虐待とか人身売買を匂わせる一連のシーンだった。
これはキツい。なるほどメルケルの移民政策を下地に30年後のベルリン・リドリーヴィルを想像的に構築すれば、多文化状況万歳じゃあ済まない無秩序とか相互不信とか拡大する一方の経済格差っていう社会の分断状況にも目を向けなければいけないわけだ。

押井守の『イノセンス』共々というか、畢竟そこで一番の犠牲を被るのは最も弱い立場に置かれた子どもたちだろうというわけで、ある子どもの受難で幕を開けるこの映画は見ていると大人の犠牲になる子どもたちの存在が主題であったことがわかってくる。
なんて陰々滅々とした映画を撮るんだ、とは思うが、なんて真摯なんだとも思う。それは『ブレードランナー2049』が美談として消費してしまったものだから。俺にとってはということですが…。

ある意味で、という便利な枕詞を使えばまぁ後になんでも繋げられるわけですが、俺の『ブレードランナー2』はこれでいいやっていうところはあるな(前もなにかの映画で言った気がする)
紛争介入の汚れ仕事に駆り出されて精神を病んだ脱走兵は異星での奴隷労働を余儀なくされた逃走レプリカントたちの現実の姿じゃないですかっていう。
じゃあバーテンはデッカードかというと、その障害と孤独と趣味からするとセバスチャン(イジドア)の方に近いとおもった。

セバスチャンと逃走レプリカントのそうだなレオンとかが対決する画を想像してみてほしい。もう完全に読んでる人が『ブレードランナー』見てる前提で書いてしまっているが、この絵面の切なさったらないでしょ。
だから『ミュート』は切ないよ。社会の底に追いやられた局外者たちが失った「ホーム」を巡って殺し合うSFだから。でも『ブレードランナー』の根底に流れていたのもやっぱりそんな切なさだっただろう。、

『ブレードランナー』が辛うじてSFアクションの体裁を保っていたのは原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に描かれた情けないデッカードとひ弱なバッティのややヒロイックな改変に依るところが大きいと思っているが、その「辛うじて」を取っ払ってしまったのが『ミュート』だったんじゃなかろうか。
取っ払ったらどうなるかってそりゃあただでさえ暗くて地味で公開当時は不評だったのが『ブレードランナー』なんだからもっと取っ付きにくくなったが、俺はもう先に書いてますけど最初から満点なので取っ付きにくさも込みで超最高っていう以外に評する言葉がないですね。

『ブレードランナー』のデッカードが当初フィリップ・マーロウ的なキャラクターとして構想されていたことはよく知られているが、『ミュート』はマーロウとチャンドラーの暗黒世界により深く沈降していく。
そんな風にして、『ブレードランナー』の世界を拡張するんじゃなくて、一旦分解してそのルーツ(ベルリンというのもそうでしょ)から再構築しようとしたのがたぶん『ミュート』という映画。
その創作姿勢がなんとなくボウイと重なったし、リバースエンジニアリングするぐらい『ブレードランナー』の好きな人が作った『ブレードランナー』風SF映画なんて、貶すこととかできないだろ。

あとダンカン・ジョーンズ的には『月に囚われた男』以来の音楽クリント・マンセルですが、これもカッコ良くてよかったなぁ。
音楽でいえばバーのBGMとしてうっすら流れるボウイの『モス・ガーデン』(アルバム『ヒーローズ』からの選曲だ…)のさり気なさとかそのへんも素晴らしく…まぁとにかく最高ということです。

※多少書き直してます

※参考展示的にボウイと『ブレードランナー』etcを繋ぐ『ジャンプ・ゼイ・セイ』MVを貼っておく

【ママー!これ買ってー!】


Low

ダンカン・ジョーンズの前作『ウォークラフト』を見たときにジョーンズにとっての『レッツ・ダンス』(ボウイ)だなぁと書いた気がするのでじゃあ『ミュート』はジョーンズにとってのボウイのベルリン一発目『LOW』だろう、ということで。

↓その他のヤツ


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