《推定睡眠時間:0分》
お手製のかわいいかたつむりハットを被った主人公が祖母だかなんだかしわしわ老婆の今際の際を見守っていると老婆は突然「ポテト!」と謎の奇声をあげる。直後に絶命。ポテト…ポテト…? ピンキー(婆の名前)…ポテトっていったいなんなのさ! 悲劇のはずだが悲しいというよりもシュールで笑える妙な出だし。そこからかたつむりが大好きなこの主人公の数奇な人生の回想が始まるということでこれはオーストラリアの映画なのだがアメリカ映画にこういうのあるよなーっていうやつである。悲劇とも喜劇ともつかない奇妙な出来事に翻弄され続けた人の一代記。『スローターハウス5』、『ガープの世界』、一応『フォレスト・ガンプ』などもその範疇じゃないすかね。
というわけでお話は数奇なのに結構既視感強くそこまで惹かれるものはないのですがまぁでも舞台は1970年代、この時代のカウンターカルチャーを一つの背景としているが、ひとつユニークに感じたのはこれはカウンターカルチャーに乗れなかった人(といっても読書が好きなので『ライ麦畑でつかまえて等は読んでる)のお話ということで、主人公は両親を亡くして双子の兄と生き別れになって優しいヒッピー夫婦に引き取られるのですが、このヒッピー夫婦の無駄なポジティブ感と優しさの押しつけ感が主人公には生理的に受け入れられない。
カタツムリのようにじめじめした暗いところを好む主人公を反映してか色調もティム・バートン映画(※あくまでも全盛期の)ばりにダークでゴシックですが、明るいだけが人生じゃないんじゃないですかね、暗いところが好きという人もいるんじゃないすかねという陰キャのインドアパンク感は、俺もどちらかと言えば根暗で何年か引きこもっていた時期もあるので深く頷く。深く頷けてしまうがゆえにすんなりと入ってきてしまってインパクトが感じられないというのは映画にとって不幸なのか幸福なのか、苦笑いな感じだ。
なにはともあれ『ベルヴィル・ランデブー』などで知られるシルヴァン・ショメ作品を彷彿とさせる極端なほど露悪的にデフォルメされたキャラクターや室内美術のマニエリスム的過剰性は生き生きとしてたいへん豊か、その画面の豊かさがあるがために逆にナレーション進行のストーリーが少しうるさく邪魔に感じられるほどで、主人公は劇中でサイレントのストップモーションアニメを撮ることになるのだが、これのセリフをすべて削ったサイレント版というのも観てみたい気はする。
そういえばマニエリスム美術では旋回運動がモチーフとなったとのこと。かたつむりの渦巻きはそれを念頭に置いてのことなのだろうか。フルチの『怒霊界エニグマ』と並ぶ、マニエリスム・カタツムリ映画だなこれは。好き。
※あとあの夫は多少頭がおかしいとはいえ主人公を心から愛してはいたようなので話し合いぐらいはしてやっても良かったんじゃないかと思う)
せっかく面白いこと書いてもクソ広告のせいで読み進める気力が失せます
あとブログはともかくnoteやyoutube、フェイスブック、ブルースカイまで同じこと書いてたら検索妨害です
せめて「須藤にわか」で統一してください
何とかしてください
フェイスブックはやってませんし、この映画はユーチューブやBlueskyやnoteで取り上げたこともないので、何か勘違いされてるような気もするんですが、ペンネームはnoteのみ須藤にわか(暫定)で、ブログや他のSNSでは映画にわかになっているはずなので、不快でしたらアカウントをブロックしていだければ幸いです。
あとFilmarksは「さわだにわか」の名前でやってますので、もしFilmarksを利用されるようでしたらその名前のアカウントをブロックしてください