マンハッタン無宿映画『スケート・キッチン』感想文

《推定睡眠時間:0分》

なんかあって学校行ってない系内気女子のカミーユはすることもないのでとにかく毎日一人でスケボーばかりやっている。怪我するから危ないよ! っつってシングルマザーの母親は全然カミーユの趣味を理解しようとしない。つまらない。息苦しい。あーあ。
とそんな折、インスタでスケボー動画を見てたらマンハッタンを拠点に活動する超クールなおんなスケボーチーム“スケートキッチン”を発見。よくないこれ? これよくない? よくなくなくなくなくなくない? カミーユは勇気を振り絞ってボード片手に彼女たちに会いに行くのだった。

カミーユのおうちはロングアイランドのどこか。電車を逃してその日はチームに会いに行けなかったという描写があるのであれロングアイランドってマンハッタンの隣なんじゃないのと思っていたが結構遠いらしい。
カミーユはグーグルマップで経路検索をしていたので朧な記憶を頼りにグーグルマップを開いてみる。このあたりかなぁというところにピンを立ててマンハッタンの地理とかよく知らないがとりあえずタイムズスクエアらへんに行き先を置く。

所要時間約1時間30分、その距離だいたい49マイル、キロメートル変換すると78キロぐらい。これは日本に置き換えたらどこらへんに当たるんだろうと思ってグーグルマップをググっと日本に引き寄せるとおよそ熊谷から池袋までの距離でした。
退屈で仲間のいない郊外が嫌になって電車で池袋に通うようになった女子高生の話だったのか、『スケートキッチン』。なるほど。なんだか知らんがなるほど感がある。

さてアメリカのブクロに辿り着いたカミーユはすぐさまスケートキッチンの面々と意気投合、という感じではなくぬるーっとなんとなく紛れ込んでいつの間にかチームの一員に。熊谷にいても面白いことないしもうここでよくない? なし崩し的にカミーユは家出、メンバーの家に居候させてもらいながらスーパーのバイトを始めて「クーポンは客を凶暴にする」との格言を先輩から賜ったりする。確かに『マッドボンバー』の爆弾魔チャック・コナーズもクーポンの有効期限を巡って店員と熾烈な攻防を繰り広げていたからこれは真理。なんの話だ。

えー、ともかく、こうしてカミーユの享楽的ストリートライフが始まるわけです。スケボーやってマリファナやってクラブのヤリ部屋で微妙に居心地の悪さを感じたり。で、同じスーパーでバイトしてたアマチュアストリート写真家兼スケーターのデヴォン(ジェイデン・スミス)とちょっと仲良くなって…まぁ色々あるわけです。

このスケートキッチンというスケボー集団は実際にあって役名とキャラ設定は創作らしいが演じているのは本人たちとのこと(カミーユは映画の中では新参者だが実際はこの人がチームを立ち上げたらしい)。どぉりでスケボー上手いわけだ。トリック決めるとことか結構手持ちのワンカットで収めてるからそりゃ出来る人じゃないと成立しないよね。
その撮影、本物の動き、というのが映画にストリートのリアルを吹き込んでいてそこがまず素晴らしかった。スケボーを自作する下りとかドキュメンタリーみたい。

でまたイイ顔したやつがいるんだわスケートキッチンに。いっかにも軽犯罪上等なホワイトトラッシュの糞ガキって感じの…あいつ最高なんだよなぁ、ノーフューチャーなストリートの人の臭いがあって。
名前忘れちゃったんですけどそいついつも丈長のTシャツにピンバッジがちゃがちゃ付けた逆向きの野球帽、だるい短パンとかで固めていて、胸ポケットには携行食として(?)バナナを入れたりしてる。

普通そこ入れる? バナナ。しかもそれをついさっき知り合ったばっかのカミーユにサッと渡して…そんなの急に渡されても困るんで優しさなのかなんなのかわかんないですけど、でも個性的でおもしろい。
そこも良かったな。スケートキッチンの面々みんな俺スタイルっていうのを持っていて、民族衣装をアクティブにアレンジした風の着こなしをしてる人(こいつがまた格好良いんだ)もいるし、胸ポケットにバナナ装備した例のあいつもいるし、でそれはファッションだけじゃなくて思想信条の面でもそうなんです。だいたい仲良くしてるんですけど譲らないところは譲らない。似たもの集団じゃなくてなんとなく居場所が欲しい人たちの寄り合いなんですよね。

その刹那的な紐帯を支えるサントラもまた良しで、これが中々おもしろい音使いだったんですが、ノイズを拡大したやかましい環境音を置いたまま既成曲をプレイリスト感覚で垂れ流すんで結構カオス。曲自体もたぶんイコライザーでちょっといじってるから酩酊感がある。
カミーユの心象風景としてのサントラってことなんだろうな。せせこましい実家から抜け出して趣味を同じくする人間たちと自由に都会を滑り回って…気持ちよかったですね、音。

でもその音がふっと消えるとさっきまでキラキラだったカミーユの表情も無になる。刹那的な紐帯や快楽にこの人はどうしても身を任せきることができなくて、スケボーから降りると即座に刹那の先にあるものが目に浮かんできてしまう。マンハッタン無宿なカミーユはそこで様々なコミュニティや場、セックスやアイデンティティを発見していくが、どこにいてもそこが自分の居場所ではないように、何になってもそれが自分ではないように感じてしまう。

カミーユのストリート大冒険はある種ロードムービー的な趣もあるモラトリアム映画といったところに落ち着く。ストリートというからアウトローな方向に行くのかと思ったらさにあらずで、そこはかとなく危険なかほりも漂わせつつ作り手の眼差しはあくまで常識的な大人である。
だからこそというか、大人が通り過ぎてしまった刹那的なものの持つ開放感や高揚感が(しょうもないガールズ部室だべりも含めて)おそらく当事者が感じる以上に魅力的に映し出されていたのかもしれない。

スケートキッチンは家ではないし家族でもない。でも家とか家族が煩わしくなったらいつでもこっちに避難してきて一緒に滑ればいいじゃん、ってことで映画公開後にはカミーユみたいにスケートキッチンの下を訪れるティーンが増えたらしい。それを大人の狡さと見るか優しさと見るかは人によると思うが、ともあれ良い話、良い映画だ。

【ママー!これ買ってー!】


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あのバナナのスケーター、リチャード・リンクレイターの映画にめっちゃ出てきそう。

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