映画感想『僕たちは希望という名の列車に乗った』(微ネタバレ注意)

《推定睡眠時間:5分》

お勉強映画だなぁ。観るとお勉強になる映画でもあり楽しむためにはお勉強が必要な映画でもあり。いや、世間的にはこれぐらいの現代史知識は常識なのかもしれませんがそういうの知らないから…義務教育、大事。

1956年の東ドイツ、スターリンシュタット。ヤンキー系ティーンのテオと真面目系ティーンのクルトは折を見ては西ドイツに出向いて資本主義カルチャーを浴びまくり、すげぇ映画を観ただのすげぇエロがあっただのとクラスメートに自慢する平和平凡な日々を送っていた。

ところが思いもよらぬことでその日々に暗雲。ハンガリー動乱が勃発したんであった。西の映画館で観たニュース内容となんか違う…気付いてはいけないことに気付いてしまったテオ&クルトは好奇心の赴くままにクラスメートともども情報深掘り、どうやらソ連は隠しているが多数のハンガリー市民がソ連軍の犠牲になったらしいと知ってしまう。

ストレートに義憤に駆られる潜在的反乱分子の真面目クルト。ぶっちゃけそんなに興味はないがあこがれのサッカー選手プスカシュも犠牲になったと聞いてハァ? ってなるテオ、とクラスメートたち。
ということでなんかむしゃくしゃしていたしいつも偉そうな教師をからかってやろう的なサブクエストもあって授業開始即無断黙祷に入る一同。クルトとほか数名以外は悪ふざけとその場のノリのつもりだったが、びっくりするぐらい事態はこじれていくのであった。

これ予告編の感触から平和を祈った善良生徒たちが的な映画かと思ってたんですがそうじゃなかったんすね。そこらへんの高校生がちょっとふざけたら国家の危機ぐらいな話にまで事が大きくなっちゃってゆるりと繋がっていたクラスメートは分断されちゃってクラスメートそれぞれの家族の過去まで徐々に暴かれちゃって家庭崩壊に向かっちゃってその先にまだ建ってもいないベルリンの壁崩壊を予感させて…っていうローリングな群像ヒューマン・サスペンス。

啓蒙的なイイ話もしくは大悲劇じゃないところ、そっちに振ったか感がありましたけどそれが良かったなぁ。黙祷のもたらした結果だけ取れば映画的な大事ですけど(でも原作は自伝小説らしいので実体験だそうですが)これぐらい小規模な抵抗なら当時の東ドイツでわりとカジュアルにあったんだろうなって感じで。分断国家で生活するってこういうことなんだろうなぁみたいなところがあって。

語りの目線が生活者に合わせてあるからどんどん想定外の方向に事態が転がって行くことに怖さも面白さもあったし、ハンガリー動乱直後の東ドイツっていう特殊な舞台設定でもいろいろ共感してしまうところがありましたね。その意味では無学者にもやさしい仕様。

とはいえやっぱお勉強しといた方が面白かっただろうなと思えるのはかなり重層的な状況が描かれていたからで、たとえば、黙祷を食らった教師は檄おこして校長に直訴するんですが、この校長は意外と物分かりがよかったのでまぁ子供のやることだからって感じでなんとか穏便に済ませようとする。ところが教頭かなんかが校長の頭をスルーして指導部の方に反乱分子の兆しありと直で報告しちゃったので事態悪化。

なんで教頭がそんなことをしたのかっていうのが実はよくわかっていないし、そもそもソ連の思想教育システムを知らないので報告してなんか得するのかどうかも知らない。お菓子貰えるとか出世できるとかTポイント付くとかかもしれないが知らない。だいたいあいつが教頭なのかどうかも知らない。

また別のところで言えば生徒たちのそれぞれの家庭環境というかバックボーンが十人十色に描かれるわけですが、これが無学者には結構お手上げな感じ。
クルト一人とっても反ソ連的な心情とそれに反する社会主義的な思考様式が同居する複雑キャラになってるわけで、そのダイナミズムを理解するには家族から理解しないといけないわけですが、なんとなく雰囲気で見たもののそのへん丁寧に説明してくれる映画ではないので知識の無さをかなり痛感。そういうところはたくさんあった。

細かい部分はほぼわからないので全体を眺めるしかない。東西ドイツ統一の2年後に書かれたユルゲン・ハーバーマスの論考は物語の全体像を把握する上でだいぶ役に立ったので、なんかの時のためにやっぱ本とかは読んでおくべき。

これまでのDDR(東ドイツ)体制においては反ファシズムということが自己正当化の議論によく使われたために、それがかえってナチスの過去との深刻な対立を阻害することになっていた(…)それゆえにドイツの東側部分においては、過去の反芻・消化が欠如していることを示す徴候が増大している。
『今日における「過去の消化」とはなにか?』三島憲一 訳

黙祷クラスの親たちは子供たちを凄惨な過去から切り離すべく揃いも揃って頑なに過去を隠そうとするが、そのことで子供たちの不信を招いて彼ら彼女らを過去に向かわせてしまうのだから皮肉というもの。
なんかそんな話だったなぁ。分断国家の柔い土台を固めるための過去のない未来志向は上からの抑圧として働いて、その場しのぎ的な問題解決は逆に下から問題の根を深くする。高校の教室を国家の中のミニチュア国家として、性格の真逆なテオ&クルトを更にその中の東西として、その崩壊に至るまでの負の弁証法過程が描かれたような映画だった。

ハーバーマスは東西ドイツの統一のされ方を問題にしているがそれはともかく分断なくして統一なし、崩壊なくして再建なし、手造りのニセ四つ葉のクローバーが象徴するように一度関係がバラバラになってこそより強固な繋がりも可能なのだということで、詳細伏せておきますがバラバラになった後の握手の場面、めちゃくちゃ沁みた。
国家と国家、思想宣伝と思想宣伝、友達と友達、知っている親と知らない親、と様々なものの板挟みになって追い込まれていく高校生たちの姿はかなり悲惨ではあるが、そんなわけで存外後味は悪くないのだ。

【ママー!これ買ってー!】


沈黙する教室 1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

野暮ったい邦題だなぁって思ってましたが原作本はもっと野暮ったいタイトルだった。いつか読もう。

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