映画の感想『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

《推定睡眠時間:10分》

聞くところによればこの映画邦題にちょっとしたイチャモンがついたそうで、邦題イチャモンと言えば最近ではやはり『ドリーム』、当初『ドリーム 私たちのアポロ計画』の邦題で宣伝されていたものの劇中で描かれている計画がマーキュリー計画であったことから「客をバカにしてんのか!」と炎上騒ぎにまで発展してしまったが、賛否はともかくそれは投火する側の理屈として素人目にも理解できるのだが、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』はぶっちゃけどこが問題なのかまったくわからない。

おそらくではあるがこれは俺が今までに『若草物語』なるものを映画で観たこともなければ小説で読んだこともなかったからだろう。今日映画館に観に行ってびっくりしてしまったのは場内、満席に近いぐらい人が入ってた。満席に近いといっても新コロ対策で販売席数を半分に抑えての満席弱(あたらしい日本語表現)だから通常の半分だが、それでもキャパ500程度の大きなシアターだから200人ぐらいは入っているわけで、その映画館(TOHO日比谷)は今日がサービスデーで他にめぼしい新作が少ないというサブ事情もあるにせよ、文芸映画にこれだけ人が入るというのは素直に驚き。

いくら作品に有利な状況が重なったとはいえ知らない文芸映画にこれだけ客は来ないだろう。みんな俺と違って知ってるわけですよ、『若草物語』。映画終わったら後ろの席の人も原作違うねぇとか言ってたもん。知ってればこそ何か言いたくもなるというもので…それで邦題にもケチがついたんじゃないか。ケチっつったらいけませんね、よき鑑賞者の貴重なご意見。まぁ邦題なんでもいい派の俺としてはどうでもいいことなのではあるが。

で、ですよ。『若草物語』知ってるか知らないかでこれ、だいぶ評価変わるんじゃないかと思った。ざっとネットを見た感じかなり絶賛ムードなんですが俺は結構普通っていうか、良い映画だとは思ったが別にすげぇすげぇっていう感じにはならなくて、なんでかなって考えたら主役の四姉妹の現代的解釈とか批評的な視座っていうのは原作とか前の映画版を観ている人にはやっぱ新鮮に映ったんじゃないかと思うんですが、原作とか前の映画版を知らない俺にはそれがあぁ今の映画だなみたいな、参照項がないものだからただ「そういう映画」としてしか観れない。

現代風ということは現代しか参照項を持たない眼には当たり前の光景としか映らないわけで、自由奔放かしまし四姉妹とそのそれぞれの歩む人生を見てもこういう人いるよねーとか、こういうことってあるよねーとか、ギャップなしにそのまんま頭に入ってきちゃうので、驚きっていうのが基本的にない。ある意味、そういう風に自然に受け入れられるのは幸せなことだとも言えるし、逆に豊かさを欠く映画体験とも言えて、なんていうか、映画作品との豊かな出会いってなんだろうみたいな、それ別に内容と全然関係なんですがちょっと思ったね…。

で、内容の話なんですが、なにせ原作を知らないものだから基本的な設定が理解できているかどうかもあやしい、そのへんは丁寧に噛んで含めるように教えてくれる映画ではなくて、まぁ何度も映画化されていますしそれぐらい言わなくてもわかるやろいちいち言わせんなやって感じで結構グイグイ進んでしまうので、なんも知らないこっちはかなり置いてけぼりを食らう。

とはいえ観ていればなんとなくはわかってくるのでそのへんの匙加減が上手い映画なんだろう。時代は南北戦争やってるぐらいの頃で、なんかどっかの田舎に四姉妹がおる、その四姉妹は中堅ファミリーで隣には大金持ちの家と極貧の家があって、なんかまぁちょっとした家同士のロマンスになったりならなかったりとかする。四姉妹はそのうちフランスで絵画やったりニューヨークで小説家やったりとかって感じで散っていくが、お葬式で再び家に戻ってきて…とかまぁたぶんそんな感じ。

こう整理してみればシンプルな筋立てだが過去と現在の二本の時間を並行して描く『ゴッドファーザー PART2』形式を採用している上、その過去と現在が数年ぐらいしか離れていないので見た目の変化に乏しく最初は結構混乱する。現在のシーンはくすんだ色調で過去のシーンは往年のハリウッド映画みたいに色鮮やか、ということに気付いてようやくあぁこれは現在だな、こっちは過去か、とお話を整理できるようになってくる。パズルみたいで面白いが原作とか前の映画版を知らないがゆえのオモシロかもしれない。

ところで原作は『若草物語』ということになっているが実際には『若草物語』誕生物語的な入れ子構造になっており、このあいだ蜷川実花が監督した『人間失格』と方向的にはちょっと似ていたかもしれない。もっとも、ファミニズム的な視点を除けば批評性はあまりない蜷川実花の無邪気な映画と違って(悪く言っているようだが俺は『人間失格』をかなり楽しんだ方だと思うし、『人間失格』を女性目線で、というのは立派に批評的な営為である)『ストーリー・オブ・マイライフ』の方は入れ子構造を導入することで相当踏み込んだ批評を展開しており、見所はいろいろあるのだがやっぱその点がこの映画の最大の特徴で、同時に今の時代にあえて再映画化されたことの意味であり意義であるのだろう。

どういうことかと言えば、主人公で作家志望の四姉妹の次女ジョー(シアーシャ・ローナン)が『若草物語』を出版社に売り込む際、著作権の話が出る。出版社の親父の方はウン百ドルで著作権を売るか著作権を保持する代わりに5%の印税のみを報酬とするかジョーに選択を迫る。でジョーはここで著作権の売却を蹴るわけです。目先の金よりも著作権。このへん、『若草物語』の著作権事情を知らないので作品を巡る実際の状況とか出来事がどう反映されたシーンなのかわからないのですが、しかしそんなことよりも重要なのはこの入れ子構造の映画のクライマックスといえる場面でジョーが著作権を保持しようとすることの意味です。

これ、四姉妹も社会に出る前は三者三様の夢があったけれど現実の男性優位社会の壁は厚く…みたいな話じゃないですか。それで、俺『若草物語』知らないからそっちがどういう結末になってるのかも知らないんですが、たぶんそれなりにハッピーエンドになってると思うんですよね。で、知ってる人は何を今更って思うかもですけど、それがすげぇ何度も映画化されてたりするんです。俺さっき検索してマジかってなりましたよ。日本で公開された作品に限っても『若草物語』、なんと今回の映画化を除いて6本もある。しかも何度もテレビドラマになっていて、何度もアニメになっていて、何度もブロードウェーミュージカルとかにもなっていて…とにかくめっちゃ再演されている。

このへん著作権の帰属がどうのっていうのが背景にあるのかなとも思うのですが、とにかくこんな何度もやってるわけでしょ、何度もやるってことは再演の度にアレンジは変わってるんでしょうけど、再演の度に「これでいいじゃん」的なメッセージを再生産することになると思うんですよ。つまり、『魔女の宅急便』じゃないですけど「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」みたいな。それってすごいポジティブなメッセージでもあるけど、同時にそのポジティブさで現に存在する不平等を無毒化して、男性優位の社会を消極的に肯定する現状追認のメッセージにもなってしまうと思うんですよね。

ジョーが著作権に拘る場面で監督のグレタ・ガーウィグが表現しようとしたことってそういうことなんじゃないですか。『若草物語』は何度も何度も映画化されたりしてその度にこの四姉妹は「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」を演じさせられる。それを観て世の中の人たちは今の世の中のままでいいやって安心する。なんで私たちにとって不平等な世の中を私たちが認めてあげないといけないの? たぶんグレタ・ガーウィグ、夢に破れた女たちの物語としての『若草物語』が夢を破った男性優位社会の安定のために(それが無自覚的なものであったとしても)繰り返し使われてきたことに異議を唱えたかったんじゃないすかね。

著作権がこっちの手にありゃ無闇矢鱈と映画版なりドラマ版なりが再生産されることもなかろう。なにせ映像化オッケーを出す権利はこっちにあるわけですからね。っていうわけでジョーは著作権に拘る。入れ子構造になってるのはそのメッセージを表現するにはメタフィクショナルが仕掛けを通した作品の脱構築が必要って判断だったんじゃないですか。あんたが観ているものはあんたが観たいフィクションさ。リアルな私たちは決してあんたが望むフィクションじゃない…という声を言外に聴けば、これはまたずいぶん野心的なというか闘争的な映画であったなと思うのだが、そうと考えればもっと男客を中心に賛否両論になっても良さそうなはずなのでこの賛一色ムードはいささか不思議。

世の中の大半の男はマンコとオッパイを脳内バイナリの1と0として駆動するバカだからそのへんの作品の声を聴き取れていないだけの可能性もあるが。

という鋭い批評性を持った映画でしたがこれは最後の最後で出てくるところでそれまでは比較的王道のメロドラマ、貧乏人間ドラマとして進行するので何も頭だけで作ったようなインテリ受けの映画ではない。逆を言えばその通俗性を批評に繋ぐ手並みが見事ということなのだが、とくにそんなこと考えんでも四姉妹のかしまし生活は眼福の一言。長女がエマ・ワトソン、次女がシアーシャ・ローナン、三女がフローレンス・ピューで四女はエリザ・スカンレン…とこれは知らない人だがその四姉妹の母親はローラ・ダーンですよ。強いな~この一家は戦闘力が高いな~。戦闘力も高いし輪に入りたさがすごいっすね~。

いいですね、臭そうなのがいい。この四姉妹いつもガチャガチャ騒いでるので絶対あの家臭いと思うな。スカイフィッシュの如く停止すると死んでしまう小学生男子とかだって単体ではそれほどでもなくても群れるとえらい臭くなるからな。その臭さを女だけの空間でちゃんと出してるのが信頼のできるところだ。フェミニズム関連の映画は女優を良い香りがしそうな感じに演出してしまったら負けというところがあるし(要出典)、ローラ・ダーンもデヴィッド・リンチの映画に出るときみたいに臭そうな役をやってる時が一番輝く女優(重度要出典)なので的確としか言いようのない配役だ。

もっとも今回のローラ・ダーンは臭そうなローラ・ダーンではなく非常にちゃんとした人であった。別に臭いからちゃんとしていないとかそういうことではないが、いやそんなことはどうでもいいとして、カクシャクとした立ち振る舞いの美しさ、頼れるおかあちゃんでありつつ自立した女性でありつつ人生の壁にぶち当たって帰ってきた老女の痛みを残しつつ…というグラデーション豊かな表情から滲む優しい諦観が得も言われぬ気品を漂わせて、これが臭そうな四姉妹と素晴らしい化学反応を起こしているわけですな。

ガチャガチャ動いて止まらない四姉妹とローラ・ダーンの不動のシルエット。これはマジック・ザ・ギャザリングの現環境で喩えるならランプ系のシミックフラッシュで場に忠誠度8のニッサの横に土地クリーチャーと巨大ハイドロとか脱出ウーロが並んでいるというような最強感のある布置だろう。なぜMTGで喩える必要があったのか!

まぁぼくは演技の善し悪しとかはわからない人ですからそれ以上俳優についてどうこう言うのはやめようと思うが、次女役シアーシャ・ローナンのね、他の姉妹に対する「お前らとは違うんだよ」アピールの切実さとかね、四女役フローレンス・ピューのお姉ちゃんが持ってるものは自分も欲しい感とかね、イイな~あるな~って観てましたよ。

おもしろかったですね。そこは単純におもしろかったし、そういうあるある感とか女子校感で引っ張って引っ張ってひっくり返し…という作劇の巧みさもあって、よくできた映画だったなーこれは。

【ママー!これ買ってー!】


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クソうるせぇエネルギッシュ四姉妹が結婚だ戒律だで人生を縛り付けようとする男絶対超優位なイスラムの宗教的慣習とバーサスするトルコの『若草物語』です。傑作。

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