スタタン映画『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』感想文

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《推定睡眠時間:0分》

まぁそうだろうなと思ったよ。ポスターしか見てないですけどこの光溢れる感じね。あとイマジンの単語。アイ・キャンも意外に重要。天は自ら助くる者を助くっていうのがアメリカのプロテスタンティズムじゃないですか。そうだね、伝道用のクリスチャン映画だね。薄々勘づきながら観に行ってるからこの場合は騙されたとか言えない。

でも騙されて観たとしてもそんな悪い気はしなかったかもしれないと思うのはわりとストレートに面白かったから。日本で宗教映画というと地方創生に便乗したり環境保護に便乗したりして出てくる突然変異的なものを除けば幸福の科学の映画ぐらいしかないのでどうしてもイロモノ感出ますが、その点アメリカの宗教映画は健全。なにせ市場規模がそれなりに大きくつまらない宗教映画は淘汰されてしまうのでちゃんと作り手も観客の目を意識して作ります。失笑不可避の教祖ソングを客目を無視してゴリ推しする某福映画なんかとは作り手の意識からして違うのでぶっちゃけ完成度では比べものになりません。

明確に布教を目的としたクリスチャン映画なのに(ちなみにクリスチャン映画とキリスト教を題材にしてるだけの映画の違いは作品内で描かれる宗派や制作したキリスト教系団体の公式サイトURLがエンドロール前に出るか出ないかという点である)俺みたいな非クリスチャンでもちゃんと楽しめるというのはそういう背景があるからで、なんでも競争がよいとは思わないが少なくとも大衆映画とか大衆音楽に関して言えば健全な競争が作品を面白くする効果はあるんだろう。

あと宗教の正しさの上にあぐらをかかないで非宗教的な市場競争にしっかり乗ってるっていうことでなんか公正な感じしますし親近感も湧きますしね。この映画は伝記もので主人公はクリスチャン・ロックバンドのマーシーミーのボーカルなのですが、インディーズ時代のこの人がライブで200人ぐらい動員する場面でスターやないかと思っていたらライブを観に来てたクリスチャン・ソング専門のレコード会社の人たちがそりゃ若者ウケはするだろうけどこの程度のバンドならうちじゃ預かれねぇよみたいなシビアな会話をしてる。

インディーズで200人ぐらい動員してるのにスターになれないのアメリカの宗教音楽業界!? どうせ宗教だからハレルヤハレルヤ歌っときゃ客喜ぶだろぐらいな俺の雑甘失礼アメリカ宗教音楽業界認識を大きく揺るがす結構衝撃的なシーンであった。トータル100人ぐらいの固定ファンに何度も同じ安い映画を見せて制作費を回収することで満足してる日本のインディーズ映画業界は見習って改宗しろと思ってしまう。ファンサービスオンリーで構成されたテレビドラマの映画版とか作ってるやつらもな。

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で「アイ・キャン・オンリー・イマジン」というのはクリスチャン・ソングの名曲にしてめちゃくちゃ売れた曲らしいです。作詞作曲を担当した主人公のボーカルが元アメフト部の寸胴体型なのでぽっちゃりボーカルのハイトーン透明ボイスが魅力であったUKバンドKeaneをちょっと連想させる普通に良い曲。そりゃ売れるわっていう感じしますし、この日本公開版ではエンディングに日本語カバーが流れるのですが、わりと世界のどこでも聴かれそうな普遍性あり。

余談ながらこの日本語カバーが面白かったのは原曲の歌詞はイエスに出会ったら俺はどうするだろうみたいなクリスチャン全開のものなのですが、カバーの方では宗教っぽい語句はハレルヤを残すのみで、あとはなんか風を感じてどうのみたいな自然を感じさせるものに置き換えられていたところ。原詞のままだと宗教色が強すぎると判断されたんだろうが、苛烈な弾圧を食らったとはいえキリスト教の伝来が決して遅かったわけではないのに未だ宗教はちょっと的な感覚が根強いというのも変な話である。まぁオウムとか某福みたいな新新宗教が悪いイメージを植え付けたせいといえば身も蓋もないのだが。

で映画の内容は名曲誕生秘話というわけで「アイ・キャン・オンリー・イマジン」を作ったボーカルの半生をプレイバック。南部のド田舎で暴力親父のデニス・クエイドに怯えながら育って親父指令でアメフトに命を賭すも怪我であっさり選手生命終了、偶然入ったゴスペルのクラスで歌の才能が認められるも親父との確執は深まりやがて出奔、小さい頃からの夢だった歌手を目指すのだが…というお話。

まぁ色々考えさせられますよ。もちろんどんなものにも良い面だけってことはないですから伝統宗教にも負の側面はあるわけですが(同性愛の否定とか中絶の否定とか)、こういうの観ると人心の荒廃しがちな田舎コミュニティの中で伝統宗教が果たす役割の大きさっていうのを感じます。都会には選択肢がたくさんあるから宗教に縋らないでも大抵の人はメンタルを保てると思うんですが、選択肢の相当限られる田舎だと伝統宗教に縋らないとキツイ人ってやっぱたくさんいます。

カウンセリングとかアンガーマネジメントなんつったって都会と違って気軽に受ける場所がそもそもなかったりするじゃないですか田舎は。そういうものの代わりが教会とか聖書で、なるほどなと、神を信じるか信じないかはともかくキリスト教の必要とされる背景とか、その実際の効用…寛容になるとか、勤勉になるとか、日々の行いを反省するとか…っていうのはアメフト選手の夢に破れて南部田舎で絶望生活を送る暴力親父のデニス・クエイドを見るとよくわかる。クリスチャン映画だから多分に宣伝的に美化されているというのは重々承知の上ですけれども。

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進行がやたらと早いところは美点でも難点でもあるでしょうが俺には心地よいものだった。主人公がバプテスト教会のサマーキャンプに行ってそこで出会った少女と相思相愛になるまでに要する時間がだいたい5分ぐらい(台詞にして1ページ未満)なのだからすごいが、結局クリスチャン映画だから結末っていうのは最初から決まってて観る側もわかってる。

出会いとか事故とか主人公がその人生の中で遭遇する様々なイベントがいかに個人の視点からは重要なものでも軽くスルーされてしまうのは、そのすべてが予め決定されたハッピーエンドに収斂する予定調和の世界だからで、疑似的な神の視点として長ぁい人生もちゃっちゃとコンパクトにダイジェスト編集されてしまうというわけです。すべては神の意志による必然で偶然の余地はないからどんな重大な出来事が起きても別に大したことじゃないって考え方っすね。

いやだぁそんなの気持ちわるーい! …と言いたくなるところをこのクリスチャン映画は例の歌で誤魔化してるのが巧い。ちゃっちゃとダイジェスト神編集された主人公の人生が一曲の歌として最終的に昇華されるとこれがなかなかグッとくる。歌っていうのがいいんですね歌っていうのが。信仰告白とか神秘体験とかじゃなくて歌。っていうかそもそも神秘体験は(ほぼ)この映画に出てこない。プロテスタントの映画だなぁと思いますよ。信仰で何が変わるって自分の人生との向き合い方が変わる。直に神様が降りてきてなんか助けてくれるとかそういうんじゃないんですねこの映画の場合は。自己啓発的とも言えるし、逆に自己啓発が神の概念を抜いた宗教っていう風にも言える(そして神の制約が外れた自己啓発の方が人生に悪影響を与えることだってあるのだ)

バンドの人の映画だから様々な曲が彩りを添えて耳に楽しいが、どうもこれがクリスチャン・ミュージックのみっぽい。クリスチャン映画だからそうとわかるが言われないと気付けるかどうかかなり微妙なラインなので曲自体のクオリティは一般的なポップ・ミュージックと大差ない。アメリカのクリスチャン・ミュージックの懐の広さを知るが、ウーピー・ゴールドバーグがゴスペルを歌う映画があくまで一般枠で大ヒットする国なのだから考えてみれば当たり前ではあった。

あとは暴力親父のデニス・クエイドねー。いやこれは名演でしたよ。ままならない人生にやり場のない怒りを覚えて妻子をベルトで鞭打ちしたり陶器の皿で背後からぶん殴る糞なんですけど殴った後に自分でも怯えた感じになるところがリアルに田舎のDVマンっぽくて怖いやら切ないやらで。それに応じる息子もなかなかどうして立派な芝居、親父の前で見せる鬱な表情とバンドメンバーなんかに見せる無駄に明るい躁の表情のギャップがまたいーんすよこれが。

この息子主人公の親父との関係の変化が決して一直線ではなくて和解したカナー? と思ったら急にぶち切れて絶縁状態になったりするあたり、クリスチャン映画ではあるが押しつけがましくなくちゃんと家族ドラマしていてこれも好感触だ。テロップまでもれなく輝く光に満ちた映像世界はさすがに光りすぎだろとか思うがクリスチャン映画全部光ってるので赦そう。赦しは大事だ。

まぁ要はクリスチャン映画版の『スター誕生』なのだがー、いやぁ、イイ映画でしたね。クリスチャン映画と理解した上で観れば面白いっすよこれは。ガチで。

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参考展示的にリンク貼りましたがこれは俺の分類では「悪いクリスチャン映画」なので別に観なくていいと思います。こういう押しつけがましい独善的な作りじゃなかったから『アイ・キャン・オンリー・イマジン』は良かったということ。

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