がんばれ映画『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』感想文

《推定睡眠時間:0分》

そもそもの話クレヨンしんちゃんをフル3DCGアニメでやる意味も目的も効果もよくわからない上にやたら長いくせに面白いところが一箇所もないタイトルもしんちゃんが超能力に目覚めるというざっくりあらすじも監督・脚本が畑違いの大根仁という人選も少なくとも俺にとっては訴求力が著しく低いのでこんな映画に期待しろというのはだいぶ無理がありまぁつまらないのは前提として最近のしんちゃん映画はウェルメイドな作りで個性に欠けてどうもというのが俺の認識であるからたとえつまらないとしてもつまらないなりに大根仁の個性が出ていればいいなぐらいの感じで観に行ったところたまねぎカット5回分ぐらい泣いた。

なにも泣ければイイ映画ということもないだろう。が、泣けるだけの映画ということもない。定番の巨大ロボットバトルも意外にもといったら失礼のきわみだが3DCGの特性を上手く活用して迫力があったしアニメオタク界で言われるところの板野サーカスのちょっとしたオマージュと見られる空中戦演出はニヤリとさせられ、宇宙から降ってきた謎の悪玉と善玉のパワーによりしんちゃんと街でティッシュ配りをしていた非リア充のドルオタが超能力に目覚めるという導入部からほほう今回はアメコミ映画からネタを採ってきんですかーそうですかーと冷ややかに捉えていたシナリオもこれまた意外やといったら失礼の極みだが単調なものにはなっておらず『AKIRA』よろしく事態がぐんぐん遠心力を増して拡大していくため先読みできずドライブ感強し、更にはたびたびの意外やで本当に失礼のきわみだが(思ってないだろ)ゲストキャラクターもちゃんとしんちゃん映画らしい怪しく愉快なキャラばかりで、その掛け合いもテンポ良く笑えるもので、つまり要は意外なことにも面白いしんちゃん映画でした。

範を仰いでいるのは明らかに原恵一監督時代のしんちゃん映画。『オトナ帝国』のようなところはあるし『暗黒タマタマ』のようなところもあるし『ブタのヒヅメ』のようなところも『温泉わくわく』のようなところもある。映画しんちゃんのパロディ性とかオタク性は原恵一時代が一番濃いと思われるが『超能力大決戦』はその点でも原恵一しんちゃんを踏襲しているようで、ネタの濃さはそれほどでもないとしてもあれをああするために深田恭子のあの曲を持ってくるとかノストラダムスとムーのパロディとかサンプリングの方向性が原恵一しんちゃんとよく似ていた。「いや、予言にはまだ続きが――」「どこまで続きあんだよ!」には笑ってしまったよな。ムーそういうことずっとやってるもん。「実は!」とか「新たな!」とか「本当の解釈!」とか。そのへん原恵一しんちゃんがいかにもやりそうなネタ。原恵一のしんちゃん映画がすべてのしんちゃん映画の中で最も優れているという意味ではないが、全体としていえば原恵一監督期のしんちゃん映画が俺は一番好きなのでこういうのは結構堪えられないものがあります。

で、今回まぁシナリオが久々に(といっても俺の中ではということだが)面白かったのであらすじをちゃんと書いておくと、まぁしんちゃんの方はいつもの感じなので省くとして、ティッシュ配りのドルオタがいてこいつに様々な不運としか言いようがない災難が降りかかる。ティッシュ配り中にイキったリーマン集団に絡まれるとか、推しアイドルが結婚するとか、強盗犯と間違われるとか。標準的な人ならついてない日もあるものだなぁで済ませることができるが(そうか?)この人じつはこれまでの人生で友達もおらず恋人もおらず誰かから大事にされたり必要とされた経験がなかった人。謎の悪玉パワーを浴びてその鬱憤は文字通り爆発する。なぁんで俺ばかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだぁぁぁ! こぉんな腐った国など滅びてしまえぇぇぇい!(このへんジョシュ・トランク『クロニクル』っぽい)

細身の体と銀縁の丸眼鏡が『オトナ帝国』の悪役ケンを思わせるというか少なからずそのイメージを持たせようとしているこの人・非理谷充(ひりやみつると読む)もまたケンと同じように現代日本に何の希望も見出せないでいた。しかしその既視感はケンに由来するものばかりではない。秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大、池田小無差別殺傷事件の宅間守、京アニ放火殺人事件の青葉真司、つい先日懲役23年の一審判決が出たばかりの京王線刺傷事件の犯人・通称ジョーカーこと服部恭太も非理谷の風貌や言動からは否応なしに連想させられ、たまたまふたば幼稚園を通りかかった非理谷が園児と楽しそうに遊ぶよしなが先生を見てふらふらと園内に侵入しそのまま立てこもりに発展するくだりなど、現実の事件との近さになかなかギョッとさせられるものがあった。

この絶望王子を止めることができるのはやはり善玉パワーでケツを振るとウンチか超能力のどちらかが出るようになったしんちゃんをおいて他にない。未来に希望なき青年とまだ希望の意味も知らずただ前へと進むことしかできない幼稚園のVS構図は『オトナ帝国』の現代版を意図したものだろう。ところで、その顛末についてインターネットの感想を見ると拒絶反応を示す人が少なからず観測され、たかが子供向けのアニメ映画でしょ? と俺としては思うのだが、ネタバレにならないよう詳細は伏せるがみんなでしんちゃんたちに「頑張れ!」と言うのが気に食わないということらしかった(余談ながらこのシーンはおそらく原恵一しんちゃんの佳作『嵐を呼ぶジャングル』のパラダイスキングとアクション仮面の戦いを換骨奪胎したものである)

人によって温度や角度はだいぶ違うがざっくりまとめればその理屈というのは「非理谷の不幸は社会が生んだので国が責任を持って解決すべきであり、しんちゃんとはいえ幼稚園児に頑張れ頑張れといって解決させるべきではない」という感じになる、らしい。…いやそしたらしんちゃん映画にならないしそれは別の社会派映画とかでやればよくない? という至極真っ当なオトナの大正論はあえて脇にどけて、インターネットに蔓延するこうした反がんばり思想にバカみたいに真正面から返答してみたいのだが、身も蓋もないが人間は頑張らないといけないのである。生きるためにはとにかく餌を取ってこなければならない。たまたま布団の横に無限に餌が出てくる謎空間が存在すれば話は別だが、大抵の人の寝床には無限餌空間は存在しないので、布団から出て外に行きコンビニなどでパンとお菓子を買ってくるなどの行動は必要である。これは頑張りであり。なぜならフロイト先生が言うに人間は可能な限り怠惰に生きたい生き物なので一時的にでも怠惰を我慢して餌を取りに行く行動は立派に頑張りということになる。

頑張らないとどうなるか。お父さんかお母さんが餌を取ってきてくれれば布団を出ずして餌を食い生き続けることができる。ここで視野を少し広げてみれば、このお母さんかお父さんは頑張れない人の代わりに頑張って餌を取ってきてくれているということがわかるだろう。つまり、頑張らずに生きるということは、その代わりに誰かが頑張るということなのである。水道をひねれば水が出る。それは水道局の人や配管工の人なんかが見えないところで秘かに頑張っているからである。コンビニに行けばいつも食べ物がある。それは農家の人が頑張って素材を作り食品工場の人が頑張って食べ物にし配達ドライバーの人が頑張って各コンビニに食べ物を配達してくれているからである。…何歳児に向けて説教をしているんだ俺はと書いていて恥ずかしくなってきたがいや本来なら恥じるべきはその頑張りエコサイクルをいい大人のくせして理解しないインターネットの反がんばり主義者たちだからね!?

そうは言ってもがんばれない人もいるんだよ世の中には! と激怒する人もいるかもしれない。それはそれでいいんじゃないだろうか。というか、頑張りという概念をちょっと狭く捉えすぎなんじゃないだろうか。両足の元気な大人なら一歩二歩歩くことに頑張りは要さないとしても、それがよちよち歩きの乳幼児であるとか、事故などで下半身に甚大なダメージを負った人なら、一歩二歩立って歩くだけでも大変な頑張りが必要になるに違いない。どのような行動にどの程度の頑張りが必要かは人によって全然違う。だから誰かの頑張り基準に無理に合わせようとせずに自分に可能な範囲で頑張ればいいのである。すべての生物は生存のために何らかの頑張りが必要であるという原理原則(これを否定できる人はよほどのアホ以外にはいないだろう)の上で、それを否定する具体的な理由が何かあるのであれば教えて欲しいと思う。俺はそんなものないと思う(自死を推奨したり独裁者が支配する全体主義管理国家を目指すのでもなければ)

どうかしている人というのは誰かに偉そうに説教をされるとキッと歯を剥き出しにして、それこそ劇中の非理谷みたいに何様だ上から目線で見下しやがってお前は恵まれてるもんなぁ! とキレかかるものだが、これを書いている俺は中学時代は引きこもりだったので高校はフリースクールのようなところにしか行けずそこも水が合わずに中退しているため最終学歴は中卒であり以降アルバイト以上の仕事はしたことなく現在の仕事はオフィス清掃のアルバイトという今までに誰とも交際したことのない童貞アラサーである。自分で言うのもなんだがあれこれ高校ぐらいはとりあえず卒業している風な非理谷よりもスペック的に下じゃない? 非理谷あいつ営業とはいえ地下アイドルと一緒に飯食いに行ったりしてるし…ちなみにティッシュ配りは一時期スポットでやっていたが結構たのしいものだった。

非理谷みたいなやつは国がどうにかすべきとみなさん言うが俺もひじょうに追い詰められていた時期は自治体の家賃補助の制度にお世話になり、精神科でうつと発達障害の診断を受けてからは障害者手帳を発行してもらうことで年金・住民税・電車代ついでに映画代などを浮かせている。なるほど日本国というのはみんなに使ってほしくないのかおおっぴらに周知しないが、探せば案外生活がやばい時に使える制度が揃っているものだ。こうした「公助」はたしかに俺の生活を大いに改善してはくれたが、ただ餌があるだけでは人間は生きてはいけない。いやまぁ毎日餌食ってるだけの生活で別にいいという人もいるにはいるだろうが、俺は何か創造的なことがしたいと思った。そうじゃないと毎日が同じことの繰り返しでつまらなくて死にそうなんである。これは個人的かつ精神的な欲求だから公助ではカバーできないことだろう。というわけで俺は何かおもしろい創造的な仕事ができるように俺に可能な範囲で今頑張ってるんである。この8年続く映画ブログも一応その一環といえる。

どうやら頑張りというものは生存のために必要なことであると同時に、生活に充実感を与えるものでもあるらしい。だから俺には「人に頑張りを求めるな」というインターネットの一部の声がなんだか呪いのように聞こえてしまう。どうせ生きるなら楽しく充実して生きた方がそりゃ良いに決まってるわけで(※個人の意見です)、不可能なレベルの頑張りを人に押しつけることはめちゃくちゃ慎むべきだが、あくまでも可能なレベルの頑張りを求めること、つまりは「やればできる!」と背中を押したり「頑張って!」と応援することは、そう言われる側のためにもなることは大いにある。俺などはトイレ掃除をしているときに社員どもから頑張ってくださいねとか言われたらはははどうもとまんざらでもないもんであるし、〇〇の映画の批評を1週間で4000字書いてくれとか言われてもはっはっは面白そうじゃないか、できらぁ! とやる気が出てくる。マゾなんですかね。

とあまりにも長く話が脱線してしまったが、まぁ俺のように頑張ってとかやればできるの声をポジティブに変換出来る人はいいけれども、出来ない人というのはいて、非理谷はまさにそんな人なのであった。そんな人が頑張ってとやればできるの言葉をポジティブ変換できるようになるには何が必要だろうか…ということがこの映画の終盤では描かれる。うーん、これイイ映画なんじゃないすかねぇ。いささか原恵一しんちゃんに寄せすぎていてオリジナリティに欠くところはあるけれども、まぁそういうさ、だってインターネットに本当たくさんいるんだもん反がんばり主義者っていうのが。そういう人たちに向けて誠実にメッセージを送っているなとは思いましたよ。正解ではないと思いますよ。正解なんか人によって違うわけですから。でもこの映画を作ってる人は少なくとも私はこれがひとつの正解だと思うといって批判覚悟で強いメッセージを映画に刻んでるんです。それは立派なことだと思いますよ俺は。

ってことで『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』、まーとにかく本当に全然期待できない映画でしたけれども蓋を開けてみれば、ここ最近のしんちゃん映画ではいちばんのお気に入りになったなぁ。最近のしんちゃん映画はソフト路線が多いからこのハード路線が果たしてどの程度受け入れられるかわかりませんけれども。怪獣みたいなやつの造型も『デスノート』のパロディとはいえグロテスクで怖いし。…っていうか、『デスノート』ってもう懐古的パロディのネタになるぐらい昔の漫画になったんだね…。

【ママー!これ買ってー!】


映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]

21世紀の大人たちは幼児退行していくと予言した2001年のしんちゃん映画だが21世紀日本の精神性は退化する一方なので残念ながら(今のところ)いつまでも輝きと鋭さを失わない傑作になってしまった。

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りゅぬぁってゃ
りゅぬぁってゃ
2023年8月6日 1:40 PM

原作漫画だと「クビになった男が復讐として大企業のビルを破壊しまくる」って単純な動機だったけど、
時代を反映した改変だったのかな?

子供向け映画でやるには重くないか説もチラホラあるけど。https://youtu.be/XF0z390ExOM

パン毒
パン毒
2023年8月6日 3:55 PM

↑の方の補足なんですけど
原作となった話は26巻、無印中期の作品で、作者が存命されてた頃の作品ですね。
https://manga-shinchan.com/shinchan-esperkyoudai/episode/001-shinchan-esperkyoudai

そういや今回、胸にテレポートする下りとか、序盤の焼き鳥屋の描写とか、最近のクレしん映画じゃやらない様なボケ多くなかったですか?なんか映画用に広げたオリジナルの部分にも”原作漫画の感じ”が結構残ってたように感じました。