《推定睡眠時間:15分》
邦題のサブタイトルもそんな感じですけど日本版予告のナレーターが千葉繁で『北斗の拳』のゆるいパロディになってたからこういうのは日本の配給がふざけてるだけで実際はハードでシリアスなんだろうとか長年の経験から思うわけですがバカ映画じゃねぇか。日本版予告は『北斗の拳』だがこの声を失った沈黙の主人公、心の声で喋りまくり、ボケ倒す近未来独裁世界に心の中で「いや、そんなわけないだろ!」とか「明らかに間違っている!」とかツッコミを入れていくので、これは『北斗の拳』ではなく『すごいよ! マサルさん』とかの世界。片っ端から敵軍兵士を殺していくので血まみれだが、最終盤を除けば人死にはすべてブラックユーモアなので、アクションよりもバイオレンスよりもシュールギャグマンガなのである。「バナナリンゴ! オーケイ!」みたいな意味不明の暗号しか話さないオッサンに「まるで意味不明だが、ここはとりあえず合わせておこう!」と首を縦に振る場面とかおもしろかった。
まぁこういう映画はもう今の英語圏で珍しいものではなく、路線的には『キングスマン』とか『キックアス』の正統後継みたいな感じじゃあないだろうか。俺は『キングスマン』も『キックアス』も楽しめはしたものの好きか嫌いかで言えば嫌いなので、『ボーイ・キルズ・ワールド』も例外ではなかった。ただ『キングスマン』や『キックアス』に比べればこちら『ボーキル』はストーリーに多少の捻りがある点が一応の差別化ポイント。その捻りによって終盤はそれまで不謹慎シュールコメディだったところが悲愴な殺人アクションへと急旋回することになるのだが、それ、作風が変わることによる驚きっていう意外の効果ほとんどないよな。
だったら最初から笑いのないハードコアな殺人劇にしてくれればよかったのにとか思ってしまうよ。俺が『キングスマン』みたいな映画が好きじゃないのはブラックユーモアですよ~というアピールがアクションを本気で面白くは撮れないことのエクスキューズに感じられるからなんだよな。実際『ボーキル』も主人公が100人ぐらい殺すわりにはアクション演出に冴えがなく、ヤヤン・ルヒアンの擬斗はさすがに掴み所の無い流れるような動きが見事だけれども、それを捉えるカメラは平凡。このヤヤン・ルヒアンが登場するシーンなんか観ながらなんでそう撮っちゃうかね~もっとこうヤヤン・ルヒアンが登場したらこの人はすごい人なんだ強い人なんだおそろしい人なんだとカメラワークとカット割りとバリバリに演出しなけりゃダメでしょうが~! と野球観戦をしながらテレビに文句を言うオッサンと化していた(※文句はちゃんと主人公のように心の中だけで言ったので周囲の人に迷惑はかけてないと思います)
逆に最後までバイオレンスコメディを貫いていればそれはそれでまぁそういう映画かと思えたかもしれない。起きる出来事は悲惨なのに最初から最後までずっとふざけている人殺しコメディといえば『ハードコア』なんかがあるが、俺はこの映画もまた男子臭が強くて好きにはなれなかったものの、とはいえ初心貫徹で感心はしたりした。そういう踏ん切りみたいなのが作り手にないのがな。『ボーキル』が決してつまらなくはないのにどうにも半端な印象を受けてそんなに楽しくないのは、不謹慎シュールコメディと真面目家族愛ドラマの二兎を追おうとして、結果ウサギの胴体真っ二つにされた下半身だけ二頭分揃っちゃったみたいなことなのかもしれない。
こういう映画を中途半端にイイ話にしようとしてはいかんよ。だって主人公、100人殺してるんだもん。ネタバレはしませんが最後あーなってあーなった主人公がえーいめんどくさい、ならば敵だろうが味方だろうが全員俺が殺す! と吹っ切れてくれたら、まさしくタイトル通り『ボーイ・キルズ・ワールド』、俺のような感覚が狂ってしまっている人間にはそっちの方がイイ話だなぁと思えたかもしれません。