都会ホラー映画の感想いっぱい書いて都市生活に恐怖する!(その1)

カナザワ映画祭、今年のテーマは田舎ホラーだとか。
田舎ホラーいいですね。品性とは無縁の野蛮な方々が都会のスケをベロベローしてゲヘゲヘーしたりする。怖い。

田舎ホラーも怖いがあんま田舎に行く用事もない人としては都会ホラーのが怖い。都会人にとっての非日常の中にある田舎ホラーと違って日常の中の恐怖が都会ホラーだし、田舎ホラーで殺されるのはだいたい無礼で鼻持ちならない都会者だけど都会ホラーはだいたい無差別、逃げようがないし防ぎようがない。これは怖い。

ていうわけで夏だし都会ホラーいっぱい借りてきて感想書くことににした。
とりあえず最初は都会派キラー編①。

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『ドリラーキラー(1979)』

ストレスフルな売れない画家がなんとなく手にしたドリルでマンハッタン中の浮浪者やらなんやらを次々にギュイーンしてく映画。カネはねぇ、画家の夢は叶わねぇ、恋人はガミガミ、隣の部屋じゃ腐れヘッポコロックバンドが下手な曲をやってやがる。ちくしょう、みんな殺す! なんだかとても身につまされる話。

NY派とか言われるアベル・フェラーラの初期の映画で、主人公の殺人画家を自ら演じてついでに劇中の絵も自分で描いた。フェラーラはアート寄りっぽい監督だと思われるがそこまでしてんので単なるジャンル映画の雇われ仕事っつーよりは結構な肝いり、だいぶ怨念のこもった映画っぽい。売れてよかったな。

そういう映画なのでストーリーは普通のスプラッター・ホラーっぽいが実際観ると妄想爆発でなにがなんだかよくわからん。路地裏で、地下鉄で、大通りで、ヘッポコロックとドリル音に乗せて脈絡なく殺人シーンが続く。
70年代マンハッタンの澱んだ空気に穴を穿つ底辺人間怒りのドリル。その熱量にヤられる。

『地獄の警備員』(1992)

2000年ぐらいまでは都会派のホラーいっぱいやってた気がする黒沢清(最近あんまやんないなぁ)のビジネスホラー。曙商事なる総合商社に転職してきた久野真紀子が、同僚もろともサイコパス元力士警備員の松重豊に襲われる。力士だから曙? わはは、おーもしろーい。

シネフィル黒沢清の映画なのであえてオフビートにしてるんでしょうがそのあたり相当微妙なラインというか狙って外してんのか単に下手だから外してんのかよくわからない部分おおめ。
読めない作りは後の『CURE』(1997)だと超怖い感じになっていたがこれはなんか笑っちゃうな、変な殺人シーンとか。

松重豊、なんとなくあの巨体で無言で襲ってくるの想像してたんすけどこの人かなり喋る。「俺にはもう、時間が無いんだ」とカッコよく犯行を決意したりしていかにも映画的な悪のヒロイズム濃厚なカリスマ殺人鬼だった。
このカリスマと対決すんのが社内の全てを知り尽くした人事部のカリスマ・長谷川初範。この男もやたらカッチョイイ。松重豊によって閉ざされた深夜の社内で死体を発見、顔を上げると目の前に松重豊その人が! あー殺されるなと思ったら顔色一つ変えずに「なるほど、君がやったのか。なら君は頭がおかしい。警察に連絡するから鍵をくれ」。
松重豊との死闘の最中にも抱えていた案件を着実に進め、企業戦士ってレベルではない。

前半は会社そのものが無気味で怖い感じに撮られてて都会の孤独と恐怖が云々みたいな作りになってんですが、後半は久野真紀子なんてほっといて二人のカリスマの闘いになっていく。
面白いけど怖いとかではない。

『サンフランシスコ連続殺人鬼』(1971)

元祖劇場型殺人鬼ゾディアックをネタにした映画。同じくゾディアックをネタにした『ダーティハリー』(1971)よりちょっとだけ早かったはずで(うろおぼえ)、71年つーと絶賛犯行継続中にも関わらず殺人鬼がまんまゾディアックの名で出てくるんだから神が経太い。
ゾディアックは今もって捕まってないから当然ながらほとんどは創作。ゾディアックはウサギの好きな気弱郵便局員になってウサギが死んじゃったことが犯行動機になった。

映画は早速ゾディアックが通行人をブチ殺すとこから始まる。その血が歩道の溝に流れてって血のクロスに。赤丸が入って例のゾディアックのシンボルマークになったところでタイトル。これはカッチョイイ。
そっから何故ゾディアックがゾディアックになったかとかどんな風に殺人が行われたかとか警察の捜査なんかと平行して描かれたりするが、大したコトないゴア描写やらドラマやらもあんま意図的でないと思われる素人的ドキュメンタリー・タッチのせいで禍々しく感じられてくるから不思議。
有名な湖畔での殺人シーンのやさぐれた気味悪さにはグっときてしまった。でもやるなよと思うけど。

冒頭に「ゾディアックはアナタの同僚かもしれない、隣人かもしれない…」みたいなベタなナレーションがあり、犯行継続中の映画だけにとてもタチが悪い感じあるが、それよりタチが悪いのは最終的にゾディアックの成長物語っぽくなるところなのだった。
そんなもん酒鬼薔薇が捕まる前に酒鬼薔薇の青春映画撮るようなもんじゃないか。映画の内容より製作者の倫理感の無さ(とヤマっ気)が怖い。

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『ザ・リッパー』(1982)

誰が呼んだか知らないが、流血のマエストロことルチオ・フルチの、なにかが吹っ切れた都会スプラッター巨編。ポリス・アクション風の不釣合い(でもカッチョイイ)なフュージョンのスコアに乗せてドナルド・ダック声を駆使する謎の猟奇殺人鬼がニューヨークの鼻持ちならねぇ女どもの顔を刻む! 乳首を切り裂く! 色々と今じゃ撮れなそう。

とりあえずゴアとエロがありゃいいんだろお前らどうせそれだけ観たいんだろと言わんばかりの荒んだ映画で、フルチなんで例によってというかストーリーはすごくどうでもいい感じ。犯人の正体なんて衝撃の一言。衝撃っつーか笑劇。
しかしその分、文字通り大出血サービスだからとりあえず血とオッパイが観たいときには最適。フルチ映画は流血に至る過程とその奇想っぷりが売りだったりするからこんぐらいストレートに血が出まくるフルチ映画ってのもあんま無い気がする。爽やかな映画ですね。

あと犯人とかプロファイラーのキャラクターが面白かった。人件費削減のためフルチ自身も検死官役で出演、味のある演技してます。

『URAMI ~恨み~』(2000)

イタリアン・ゾンビの帝王ルチオ・フルチの次はモダン・ゾンビのゴッドファーザー、ジョージ・A・ロメロの都会ホラー。人の良い雑誌編集者が色んな人に裏切られ、バカヤロー! もうイイ人やめる! ってことで一気に仮面の殺人鬼になってしまう。こういうヤツほど融通が効かない。

なんや白い無貌の仮面があり、雑誌編集者が知人女性に作ってもらったもんなんですが、それがちょうどストレスマックス状態だった雑誌編集者の顔に何故だか張り付いて取れなくなっちゃう。どうせ顔がねぇんならどうにでもなっちまえってなるわけですが、そうは言ってもこの人小心者で人目が気になるから仮面を隠すためにファンデーション塗ったりサングラスかけたりする。
『透明人間』(1933)だよね。だから仮面の殺人鬼っつーキーワードから連想されるよーな現代的なスラッシャー映画じゃなくて演出的にも展開的にもとてもクラシカルな映画なのだ。

血と死体を見たい人は大いにガッカリすること請け合いだが、それに輪をかけてロメロらしい風刺とブラックユーモアがふんだんにある。笑顔の下で知人友人をいかにブチ殺すか妄想する雑誌編集者とか、あまりにもやる気の無い刑事とか、恨みターゲットの編集長の悲惨すぎる死に様なんかがのほほんと笑えます。
最後の方、仮面殺人鬼と化した編集者が仮装パーティに潜入すんですが、その辺りんなるとすっかり仮面殺人鬼を現代社会のダークヒーローとして描いてたりするんで、もう怖いとかそんな感じじゃない。

ホラーっていうか都会人の生態を戯画的に描いた風刺映画。怖くはないけどなんかスッキリはする。

『コギャル喰い 大阪テレクラ篇(天使幻想)』(1997)

大阪テレクラ篇と言いつつ新橋デリヘル篇も札幌ススキノ篇も作られてないし、だいたいコギャルを喰えない人の話だったりする友松直之のピンク・スプラッター・ファンタジー映画。過去のトラウマのせいで女性と関係の持てないティッシュ配りの男が堕天使に出会って殺人に目覚め、テレクラで殺して欲しいヤツを募集して血祭りに上げてく。

あらすじだけ聞いてもよく分からない『ドリラーキラー』系で、孤独とストレスにイっちゃった男の妄想が都市の荒んだ風景と交錯していくとい趣向。主人公は配線の切れた公衆電話で堕天使の声を聴き、殺しを依頼したテレクラ女たちになりきるために女装して犯行に及ぶ。
無趣味な自室の壁には親殺しの落書き(『サスペリア PART2』(1975)のアレ)があって、そこで拾った堕天使(女子高生)を飼う。サイコサイコしてるが友松直之はセンチメンタルな人なんであくまで詩的。テレクラの個室に天使の羽が降り注いだりして。

ヤクザに凌辱されるテレクラ女、誰からも相手にされないどもりで知恵遅れのティッシュ配りの同僚なんかが救いを求めて彷徨う大阪に、戦闘天使と化した主人公は救済をもたらすべく(そして自分を相手にしてくれない女どもに復讐すべく)血の雨を降らせてく。しかし殺しても殺しても孤独は癒されんで、結局その暴力は自らに跳ね返ってくんのだった。
なんか、いかにも90年代後半的なというか。内臓でろーんみたいなスプラッターのある映画だが結構マジメで切ない。

主人公のテレホン・セックス相手のカットが劇中のテレビで流れていたり堕天使の写真が街中至るところに貼ってあったり、アマチュアリズム炸裂の実験映像はユルグ・ブットゲライトと通ずる。

『ドリーム・ホーム』(2010)

マンションどうしても住みたい勢の狂女ジョシー・ホーが高級高層マンションの住民を下から順にブチ殺してくグロ版『死亡遊戯』(1978)みたいな映画。

映画はジョシー・ホーが居眠り中のマンション警備員を襲撃すっとこから始まるが、そのシーンがウルトラエグい。プラスティックの結束バンドで警備員の首をギュー! とゆー都会的な殺しの手口。警備員は悶えながら、顔を黒く染めながらどんどん膨らませながらなんとか結束バンドを外そうと無我夢中でカッターを手に取る。
切る。切る。切る。女を怒りと恐怖の入り混じった物凄い形相で睨みつけながらカッターで結束バンドを切る。しかし刃はバンドの上を滑るばかりで切れていくのは首の肉。かんべんしてほしい。

殺しのシーンはどれも凝ってて布団圧縮袋使ったりベッドの木片使ったりのアッパレなDIY精神。悪趣味映画っぽいが(いや実際悪趣味だが)、乾いたブラックユーモアがアチコチに散りばめられてるんでそれほどイヤな印象は無かったりする。
画的には殺してばかりだがストーリー的には意外とジョシー・ホーの回想に比重が置かれ、住宅事情に翻弄され続けた女の半生から現代香港を斬るっていう感じになる。散々人が死ぬクセに社会派映画なのだ。

殺しを重ねるにつれてどんどん美しくなってくジョシー・ホー、イイなぁ。一向に死なない瀕死の男、コイツには笑った。そして一番恐ろしいのは殺人女ジョシー・ホーではなく…なんてラストも皮肉が効いててグっときましたね。

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『マニアック』(1980)

年中脂ぎったキモデブ男ジョー・スピネルが例によってモテないからとニューヨーク女を殺しまくり、その頭皮を剥いで自宅のマネキンちゃんに被せて脳内会話を楽しむという、もうその設定だけでお腹いっぱい感のある都会スプラッター。
スピネルの顔見てるだけでもだいぶ腹に溜まるが、そのうえスピネルが鏡を見ながら自分の汚らしいボディを撫で回すシーンまであるんでとても胃もたれします。同じようなシーンは姉妹編の『新マニアック』(1984)にもあったがこれサービスシーンのつもりなんだろうか。

特殊メイクがトム・サヴィーニ&ロブ・ボッティンてことでそのへんやっぱり見物。皮剥ぎ剥ぎとかショットガンで頭部爆発みたいなあっけらかんとしたハレのスプラッター描写が底辺感の強い陰気ストーリーにげんなりした心を癒やす。トム・サヴィーニ自身が演じる頭部爆発もイエーイ! って感じだ。

原案・脚本・製作総指揮まで自ら手掛けてるだけあってスプラッターシーン以外はひたすらスピネルのキモ演技イタ演技を見る映画だが血とスピネルの顔が売りってどこ需要か全然分からない。キモい俺とイタい俺をスクリーンに焼き付けてなにが楽しいのかと思うが、なんかそういう性的嗜好なのかもしれない。
セントラル・パークだかで見かけて一目惚れした写真家のキャロライン・マンローに芸術家を騙ってアプローチかける姿なんざ見るに忍びないが、あれ羞恥プレイだと考えると別の水準の怖さがあるな…。

ちなみに『新マニアック』も相変わらずモテないタクシードライバーのジョー・スピネルがトチ狂い、憧れの映画女優キャロライン・マンロー(またか)を主演に映画を撮るべくカンヌ映画祭に飛んでグダグダと殺人を繰り返す感動的な映画。
殺されるスピネルの母親役が実際にスピネルの母親だったりするが絶対公私混同してるだろそれ。

『マニアック』(2012)

アレクサンドル・アジャ製作・脚本の『マニアック』のリメイクだが、驚愕、キモデブ殺人鬼ジョー・スピネルの役を引き継いだのはあの端正なお顔立ちのイライジャ・ウッド。どうかと思ったがこれが予想に反してイイ感じにキモ殺人鬼だったなぁ。多汗のキモさだったスピネルと反対に無汗のキモさで、ウエーンと泣きながら頭皮剥いだりする分こっちのがヤバキモな気がしないでもない。

スピネル殺人鬼は臭そうだし全然面白く無いことをさも楽しそうにずっと話してるウザイ人だが、しかしとりあえずコミュニケーションは取れそうなのに対して、ウッド殺人鬼は押し黙ってそもそもコミュニケーション取れない感じである。
そういう人がコミュニケーションを求めてストーキングの末に頭皮剥ぎ。怖くない?

オリジナル『マニアック』はスピネルばっか撮る映画だったがリメイクはほぼ全編イライジャ・ウッドの主観視点から撮るPOV映画。POVつーてもやたらブレる臨場感ある感じでなくよく計算された主観ゆえの制約とかあんまり感じさせない緻密な作り。
全編主人公の主観とゆーと『湖中の女』(1946)とかあり、それが失敗作と悪評高いことを考えると相当なチャレンジだった思われる。そういう技術と努力と勇気が殺人鬼目線での頭皮剥ぎとゆー品性の欠片も感じられないショットに結実してるというのは感心すべきなのか呆れるべきなのかわからないが、凄いのは間違いない。

主観視点で女性恐怖症の猟奇殺人鬼の内面をというコンセプトだと思われんのでオリジナルであんま出てこなかった殺人鬼の人間ドラマとかやる。
ベタ&ベタのよくある話だったが、そうは言っても女性との慣れない会話の途中でトイレに立ち、精神安定剤飲んで鏡の中の情けない自分を見つめるシーンなんてちょっとだけこみ上げてくるものがある(ここでイライジャ・ウッドの顔が明らかになる、というよくできた構成)

殺される方も苦しいが殺す方も苦しい。変態殺人に勝者なし。逆説的に変態殺人を思い留まらせる効果があるから変態だとしても道徳的な映画だろう。
淡くてしっとりした感じの画、80年代っぽいチープなシンセ・サウンドも良し。

『フレンジー』(1972)

ラブリーラブリー絶叫しながらネクタイ殺人鬼は救いを求めて聖書の一節を暗誦する中年女をラブリーに犯すんであるがこの狂いっぷり、最高。事が済むと(というか済ませることに失敗すると)態度が豹変。なんだテメェこの汚ねぇクソババァが! とネクタイでギューッと首絞めて殺しにかかる。
この執拗で粘着質なシークエンス。中年女の少し垂れてきた汗ばんだオッパイをジーッと撮ったりもして超エロいが、時代の要請というのもあるにしてもヒッチコックの変態っぷりが如実に出てる感じで凄まじい。

人生失敗組の主人公がロンドンを騒がすネクタイ殺人鬼と間違われて追われる羽目になるっつーヒッチコック的巻き込まれサスペンスなんですが、描写のえぐさえげつなさから言ってサスペンスっつーよりネクタイ殺人鬼の所業に戦慄しまくりな都会ホラーだろう。
アパートの自室に女を連れ込むネクタイ殺人鬼。殺しのターゲットにかける常套句「君は俺のタイプなんだ」が出たところでドアがバタン。音が消えて、カメラはすーっと階段を降りて通りに出てく。都会の喧騒が戻ってくる。女の悲鳴は雑音に掻き消されて聞こえない…ってな具合である。

ネクタイ殺人鬼自体もコワイが女の死体の扱いがゴミみたいになってんのも怖い、つか生理的にキツイ。ジャガイモ袋から女の死体の手足だけが突き出てる画のインパクトは結構強烈。その指をネクタイ殺人鬼がナイフで切ったり折ったりしてくのだ。
この容赦ないモノ感。ヒッチコック映画は毎回死体の扱いがぞんざいだが中でも相当酷い扱いなんじゃなかろか。まぁ都会じゃ人なんてゴミと変わんないんだろう。『ハリーの災難』とかは死体の扱いを含めたブラックユーモアが強烈すぎて正視できなかったが、その酷薄を直に叩きつけたら『フレンジー』になる。

不能の変態殺人鬼、人で賑わう往来の壁一枚向こうで人知れず繰り広げられる殺人、単なる生ゴミと化す死体。あぁ、都会は嫌だ、都会は怖い、都会になんて住みたくないけど都会から出られない…。

都会ホラー映画の感想いっぱい書いて都市生活に恐怖する!(その2)に続く…

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