『悪魔祓い、聖なる儀式』を見た。

《推定睡眠時間:0分》

エクソシスト神父が一人さびしく歩き去って行くラストに『アクト・オブ・キリング』ラストの虐殺者の孤独な背中が重なりこのエクソシスト神父さんは別に誰か殺めてるわけじゃないので不適切だが結果的に色んな人を苦しめたものの悪意はなかったし悪意どころか多分に善意からの行動だったんだろうねぇ、虐殺も悪魔祓いも。とおもった。

凡庸な悪があるなら凡庸な善もあるはずだし凡庸さの中で善も悪も区別はないんじゃないかというわけで凡庸が問題だ。このエクソシスト神父さんは昔はどうだったか知らないが職場に長くいるだけで大したスキルとかないし野心とかも別にないし教会一筋の人だから融通が利かないし話もあんまり通じない。極めて凡庸な窓際サラリーマン風情。

出張悪魔祓いでプチ金満家の邸宅を訪れたエクソシスト神父。あぁ悪魔だわ、それ悪魔だ悪魔、全部悪魔。(飲み屋のおっさんでも出来るじゃん…)みたいな雑な悪魔診断の後、清めたお水を家中に撒いていくが高級調度品にも壁に掛かった油絵(!)にも容赦なくぶっかける。あぁこれは悪魔呼ぶわ、捨てた方がいいよ、悪魔悪魔それ全部悪魔。仕事が雑っ!

こういう人はさっさと自主退職して頂きたいがここがたいへん困ったところでやる気はないが妙な責任感のようなものはあると見え、俺がいないと会社回んねぇじゃんと思っているタイプと想像するがつまり(このオヤジ面倒くせぇな…)。こういう人が組織を腐敗させるんだと思われるが、しかし善意だから誰も悪く言えないし実際それで救われた人もいるんだろうし、悪魔祓いよりも悪意なき悪霊と化してしまったエクソシスト神父さんを成仏させることが先なんじゃないかと思うがもう地域に馴染んじゃって固定客もたくさんいるうえ昨今は悪魔祓い需要がどんどん伸びているとテロップで出ていたのでそれも難しいのかもしれない。

真っ当な会社勤めの経験がない俺にはよくわからないが悪魔とかオカルトとは別の意味で背筋の凍る人は多いんじゃないの、こういう話。

一応ドキュメンタリーと書いてあるが結構演出入っているんじゃないだろうか。映画はシチリア島パレルモを拠点に活動するリアルエクソシスト神父さんの業務記録と何人かのエクソシスト患者の日常を交互に描くがそのどちらも現実からちょっと浮く。
グループセラピー的な悪魔祓いミサでエクソシスト神父が祈祷を始めると憑いた参加者たちが獣になって暴れ出す。椅子とか持ち上げたりするが投げるのかと思ったら教会スタッフと撮影クルーには絶対当たらないように床に叩きつけるだけなので常識をわきまえた悪魔ばかりでよかったとおもう。

信じがたいとはいえ信じがたい儀式だから有り難みもあるわけだからこういう集団茶番はきっとありのまま撮ってるんだろうなぁと思え、それほんとかよぉってなるのはむしろ患者側の主要被写体になる憑かれパンクスの役者っぷりだった。カメラの前で悩める悪魔パンクス演じてる感がひしひし滲む。
たぶんこれはヤラセとかヤラセじゃないとかそういう問題じゃないんだろうな。癒やす方も癒やされる方も演じる意図の有無とは無関係に演じているし、その嘘くささが逆説的に悪魔祓いの儀のセラピー性を引き立てているのかもしれない。サイコドラマの舞台としての教会。

スマホDE悪魔祓いをして我に返った相談者にメリークリスマスの言葉を贈って通話を切るエクソシスト神父とか噴飯ものだったが笑っているうちにこれは存外辛い話とわかってくる。見た感じこの映画の中に悪い人は誰もいないし悪い人を作りたくないから悪魔に諸々託すんだろうけれどもその幻想を維持するために病める人と癒やす人が払う代償はなにかという。
おそらくは救われるために救われるべき悪魔パンクスを演じる心境やいかに。選択の余地なくおとなたちの悪魔幻想に引きずり込まれた(悪魔はおんなとこどもによく憑くらしい)こどもたちは儀式に何を見ているだろう。

凡庸悪のアイヒマンが単にお仕事でホロコーストに関与していたようにというとまた失礼に思うが凡庸善のエクソシスト神父もお仕事をやっているだけで想像になるけれどもきっと悪魔祓いとかバカバカしいと思ってんじゃないかな。
賃金未払いの相談を受けたエクソシスト神父の返答は至極真っ当に「訴えろ」。金の問題は悪魔祓いではどうにもならないとちゃんと心得ている。生活かかってるんだから絶対に引き下がるなと相談者を現実的に勇気づけながら悪魔幻想的に突き放すエクソシスト神父…たぶん、劇中で一番この人が信頼できた場面ここ。

バカバカしいと思いながらも仕事だからの責任感で儀式を続けるエクソシスト神父とバカバカしいと思いながらもそうでもしないと救いの手を差し伸べて貰えないと感じている悩める憑き人が共同で悪魔幻想を作り上げるとか闇がディープ過ぎるが、でも大なり小なり人間社会そういうもんじゃないですか…と思えばまったく他人事ではないからもう笑えない。
『アクト・オブ・キリング』で描かれたように映画撮影そのものが、それを消費する観客までもが結果的に幻想に加担しているとすれば尚のことだ…。

【ママー!これ買ってー!】


大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院(字幕版)

雪山で遊ぶ修道士、猫を愛でる修道士、ひたすら祈る修道士を撮って三時間。修道士萌えドキュメンタリーです。

↓その他のヤツ

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》(字幕版)

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