『わたしは、幸福(フェリシテ)』の感想

《推定睡眠時間:0分》

シングルマザーの主人公フェリシテが毎夜ステージ(と呼べるかどうか)に立つやさぐれバーのしっちゃかめっちゃか崩壊間際の群像というのが活気ものすごくむんむんと酒とゲロと精液と大衆の体臭が漂ってきそうであるがフェリシテはその風景にくっだらねぇなって感じの醒めた眼差しを注いでいるのだった。

あれはなんという音楽ジャンルか知らないがバンドがなんとなくトライバルなエンドレス演奏を始めてフェリシテもやれやれしぶしぶだらだらとステージに上がって白人の野郎どもはよぉ金持ちどもはよぉみたいな大衆ソングを歌い出す。誰も聴いちゃあいない。

誰も聴いちゃあいないのだがエンドレス演奏にのせたエンドレス歌唱は段々と祈祷めいてくる、祈祷めいてくるとふしぎなことにもくそったれ酔人どもが思い思いに踊り始めたではないか。一気に場、祝祭的高揚の渦。
控えめに言っていやべつに控えめに言わなくてもいいけど感動してしまったなこの、統制されていないハーモニーみたいなものな。

歌手への恭順とか崇拝とかではないのでステージを降りたフェリシテを誰も顧みない。祝祭のハーモニーは歌が終わると霧消して急に酔人喧嘩が始まったりする。
フェリシテという人がというかいやむしろたぶん誰でもいいのだと思うがその場その瞬間に歌うことの中にだけ生ずる平穏とか連帯ならざる連帯とか美しさ、と美文調で書いてはいるが実際はフェリシテ役の人の爆乳に視界も思考も奪われてしまっていた。そういう俗情をべつに、否定する映画ではない。

このフェリシテという人の中学生ぐらいの一人息子がバイク事故に遭ってしまった。どうも左足が非常にまずい状態。すぐに手術をしないと切断の可能性もということらしいが先立つものがない。不安に乗じて貴重な金を騙し取ろうとするやつとかも出てきて信用できるものもない。

ていうわけで手術費用捻出のためフェリシテ決死の東奔西走。ついこの間のことでありますが夜半の尋常ならざる頭痛と呼吸困難(の思い込み)にいくつもの救急医療機関を訪ね歩きしかし痛みは治まらず診察にも納得できず知人に命の危機ではないかと連絡を取るも相手にされず誰に何に頼ったらよいのかまったく分からぬまま夜の街をさまよったことがあったので他人事にはまったく思えず感情爆入る。

ホームレスがひと気のおおい場所を寝床にするのは悪党に襲われないため、という話がこのあいだネットニュースかなにかの記事になっていたが、その時のおれも寒いから頭をすっぽりフードで覆って繁華街をうろついていたのでありそれもやはり、万一倒れても誰かに発見されるから自宅で恐怖に怯えながら朝を待つより命が助かる可能性が高いだろうと踏んでのことだった。

余談のうえ、致死性の病ではまったくなかったのですべては杞憂だったがマジあのときは脳内に『劇場版パトレイバー2』の裏テーマ曲とも言える『Unnatural City』ノンストップでしたね。街は夜中でもこんなに活き活きしているのにその中で俺は死んでいくしそのことに誰も気付かないじゃねぇかみたいな意味に加えてまた後から振り返れば恐怖の対象が幻想に過ぎなかったって意味での厨二に震える。病と貧困は人を厨二にする。

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ところでフェリシテは冷蔵庫も買えないぐらいの貧乏暮らしなのでクソボロ粗悪品冷蔵庫を騙し騙し使っているのだがその修理を甲斐甲斐しくやってくれているのが『ファンタスティック・フォー』でいうところのザ・シングみたいな風体のすごいおっさんで、この人はフェリシテが拠点にしてるバーの常連、大の女好き。

コンゴ感覚を肌で知らないので意外性に富まざるを得ないがめっちゃモテる設定。最初、買っているのかと思ったがいつも冷蔵庫修理しながら(全然直らない)フェリシテ口説いているから素人ハンターのプレイボーイなのではないかと思う。
ザ・シングがモテる世界線には夢があるなぁという気もしたが映画の舞台になっているコンゴの首都キンシャサというところは貧富の格差が爆発しているらしいからたぶんみんな金なくてヤケクソの開放モードになってるだけだろう。

それにしてもいつまでも直らない冷蔵庫は本当に壊れているのか否ザ・シングの人は本当に修理をしているのか。もしかしてフェリシテに会うための口実なんではないか。
すごく超強引と言われようがこの映画を冷蔵庫映画のジャンルで括るとすると石井隆がよく冷蔵庫を使う、『フリーズ・ミー』『ヌードの夜』『GONIN サーガ』など。

冷蔵庫修理の人を見ていて思い浮かべたのは石井隆の『人が人を愛することのどうしようもなさ』だった。長いので略して『人人』はたいへん掻い摘まむと歌を自分を失ったアイドルに惚れたファンの人がアイドルに再び歌ってもらうためその身を捧げるお話だったわけですがつまりそういう、これは修理と献身のお話だったな。

たとえばそれが抽象的に美化された真理であるとか絶対的なものだったりすると胡散臭く感じるが冒頭のステージみたいにただそこに居たからとかただ関係してしまったからとかただその流れに乗ってしまったから修理する役を買って出ただけで善意ではないし気が変わったらもう興味はないし、みたいな無責任で移り気な信用のできない貧民感覚がだから逆に奇跡的な響きを持つんだろうということで良い映画でしたよ良い映画。

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ラストシーンになにかしら共通するものを感じてジンときた。そういえばちょっとした幻想的心象風景も出てくる『わたしは、幸福』なのだがするとフェリシテ役ヴェロ・ツァンダ・ベヤの爆乳もおっぱい星人フェリーニを意識している可能性も考えられないでもないとか言ったら怒られるんだろうななんかちゃんとした人に。

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