『デトロイト』アンサー映画として見る『スリー・ビルボード』

《推定睡眠時間:10分》

とおい昔のように思えて振り返れば全然とおくない5~6年前のことであったが貧乏コンビニ夜勤をやっていたころ、同僚を殴って面白かったテッパン話を毎日おれに聞かせてくれるお兄さん系の常連客がいた。ドン引きです。ドン引きでしょ。
しかもおクスリ入ってるときにはこっちの話が通じないから一方通行の独り言でエンドレス誰かを殴って面白かった話と誰かを殴りたい話+αだからね。留置所に持って行ってもバレない凶器の情報を提供してくれたこともあった。なんの話だか知らないが店内で電話しながら聞き取り不能の尋常じゃない怒号をあげたことがあってたまたま横を通りかかったいつもヘラヘラしてる配送ドライバーおじさんを半月ぐらい黙らせたこともあった…ドン引きでしょ!

それは全然おもしろくない。その他人ぶん殴り譚まったく面白くないけどそのまたむかしには飲酒で上機嫌のお姉さま客の誰々が誰々に似てるみたいな他愛のない話に似てますかねぇと他愛なくニコニコ応答したら三十分ぐらい恫喝説教された事件もあったからこういう話は受け流すべしのコンビニ夜勤処世術により話を聞く、毎日聞く。
へぇ。そうなんですねぇ。ふぅん。あはは。「一緒に殴り合い、する?」しねぇよなんでそんな方向に話転がってんだよ! 俺そのバイオレンス面白いって一度も言ってねぇよ! っていうか仲良しじゃねぇよ! お前とは仲良くなれないよ俺!

毎日ニコニコ顔で話を聞いていたからバイオレンスが気に入ったと思われたのか。危険を察知したのでつい強い口調でそういうの興味ないっす! 多少気を悪くしたような様子でお客さんは帰っていったがそのことにより逆に報復におびえて落ち着かない。
落ち着かないが仕事はしないといけないので品出しなんかをしていると隣に何者かの気配がある。気付かないふりをしてあちこち移動しながら作業を続けるが影の如く何者かはついてくる。
何者かとしらばっくれたところで現実は変わってくれないので勇気を出して振り返ると例のお方だったがガチャピンの衣装(?)を着てオモチャの笛を持った例のお方だった。ピュルルー。「こういうの好き?」「そっちのほうが好きです」

おもしろいもので『スリー・ビルボード』という映画はまるで『デトロイト』のアナザー。アナザーっていうかアンサー。『デトロイト』のリアル(むろん描かれた事象じゃなくて空気感のリアルという意味ですから)は人種対立または相互不信の不毛に答えを出してくれないが、『スリー・ビルボード』は寓話的な方法で現実にはありえなさそうなアンサーを信じさせようとする。

『デトロイト』も『スリー・ビルボード』も理解不能レベルに達したチート的糞馬鹿無能暴力警官のせいで色んな人が大変な迷惑を被るというお話であったがそういう理解不能な人との共存を不可能とするのが『デトロイト』で、理解不能な人とも共存できるよっていうかしようとなきゃマズイよが『スリー・ビルボード』で、『デトロイト』の記憶を前頭葉がまだタスクに置いた状態で見た『スリー・ビルボード』はコンボ的に感情にディープ浸透、結果として前述の記憶が発掘サジェストされたんであった。

ようするに、理解できない人を理解できないままその人と共存することは意外とこの不条理な現実では可能なのであるしそれが今まさに生きている目の前の現実そのものなのである。まぁぼくはそのお店を辞めましたが。

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それにしてもおもしろいストーリーだったな。娘を惨殺された母親のフランシス・マクドーマンドがとうの昔に放棄された田舎道沿いの巨大看板に目をとめる。あれがビルボードっていうらしい。へぇ。
マクドーマンドはその足で警察署の真向いにある看板の管理会社へ。長年やってる会社らしいが代替わりして今は絶対うさんくさいケイレブ・ランドリー・ジョーンズが経営者。マクドーマンドは言う。看板を出したい。年契約で。

数日後もしくは数週間後、糞馬鹿無能暴力警官のサム・ロックウェルは完成したビルボードを見て仰天&憤慨する。ビルボードにはこうあった。「娘はレイプされて殺された」「まだ犯人は野放しのままだ」「なにやってんの、警察署長」。
今だったら確実にバズりネタですが時代設定的にはゼロ年代前半だからネットではバズらずも、ろくに話題もないちっぽい田舎町に人々には十分バズった。バズり過ぎて賛否両論がスパイラルを描く炎上状態に突入してしまうのであった。

そこから先が一筋縄ではいかない。欺瞞に満ちた町民どもを片っ端から拒絶し偽りの平和に浸りきった腐りかけの田舎町に火を放つ女ランボーみたいなマクドーマンドと何かあるとすぐ人を殴りにいくが別に仕事で殴ってるんじゃないし仕事はできないから署内ではいつも漫画読んだりオモチャで遊んでいる確実にバッジを持たせてはいけないロックウェルの対立を軸にぐんぐん波紋拡大、壊れそうで壊れない壊れられない田舎群像の笑うに笑えないがやっぱり笑う悲喜劇になってく。

今は離婚したマクドーマンドの家に前夫が若妻同伴で来訪。家に入って即、朝食中のマクドーマンドと口論、テーブルをひっくり返して胸倉掴む。だがお互いDVは慣れたものだったので始まるのもはやいが収束もはやい。
何事もなかったかのように当たり前のように(元)一家でテーブルを元に戻す光景、笑ってしまうね。いやこの書き方だと俺が人でなしみたいですけど笑っちゃうから。悲哀と滑稽の境がない粗野と貧乏と無学のホワイトトラッシュ的ブラックジョーク絶妙。そういうのいっぱいある映画だった。
監督マーティン・マクドナーの前作『サブン・サイコパス』には劇中映画として『その男、凶暴につき』が引用されていたが、今回は『アウトレイジ』でも見たのか歯医者バイオレンスがあってあれもまた可笑しいんだわ、全然可笑しいシチュエーションじゃないんだけど。

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一筋縄ではいかないのはストーリーのみならずということでマクドーマンドが広告出稿を思い立つ映画の導入部はなんとなく50年代フィルム・ノワール的な簡潔明瞭ストロング。最初の場面は霧の中に屹立する三枚のビルボード。田舎リアルの一方でシュルレアリスム的なというか現実離れしたイメージがあちこち顔を出す。
霧といえばこれもマクドナーの『ヒットマンズ・レクイエム』には霧の中から出てきた小人俳優ジョーダン・プレンティスが鬱った殺し屋コリン・ファレルの魂を救う、という場面があったが今回も出るんだ小人俳優、こっちは『ピクセル』のピーター・ディンクレイジが。
ちょっとデヴィッド・リンチ風のセンスなんじゃないかと思ったよ。『ツイン・ピークス』も田舎喜劇とシュルレアリスムと小人だから。

このピーター・ディンクレイジの小さなダンディがかっこいいんですがー、あれ、よかったな、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。信用の置けない何考えてるんだかわからないぐにゃぐにゃした人なんですけど意外と物怖じしない立ち振る舞いにトリックスター的な艶を感じ。
つーかね、艶があるんですよ登場人物みんなに。『デトロイト』比較でいうなら共通するところも多いけどそこが一番違うんだと思ったよな。『デトロイト』はもう、艶とかそういうの現実的じゃないっすよねみたいな感じのくすんだ似非リアル志向じゃないすか。黒か白かの二項対立しかない世界の見方で。

こっちはマクドーマンドの毅然を見よ、ロックウェルの葛藤を見よ、ディンクレイジの繊細を見よ、警察署長ウディ・ハレルソンの覚悟を見よ、ってなもんだからなんかもうリアリティなんぞかなぐり捨てて仁侠映画とか古典西部劇の世界に向かってったな後半。
でも不思議とそこにリアルを感じられるっていうのは白人つってもウディ・ハレルソンみたいなでっかい白人もいればディンクレイジみたいな小さい白人もいるじゃんみたいな現実の多様性とか行為の両義性から目を逸らしてないからだとおもった。
いつも情けなくふにゃふにゃ揺らいでいるような現実にいつも情けなくふにゃふにゃ揺らいでいるような人間が一定の秩序と方向を与えようとする意志にはやっぱ艶があるんじゃないか。逆にというか、それがリアルなんじゃないか。

結局、そういう不可思議な現実を丸ごと捉えようとすると寓話の形式とか、ありのままの現実を映し出そうとするっていうところでキュビズムとかシュルレアリスムみたいな歪な形を取らざるを得ないんだろうと思えば、これはまた変な映画ではあったがむしろ真摯に変な現実を突きつけようとした結果なんだろうなぁという『スリー・ビルボード』なのだった。
たいへんおもしろかったしげきないた。

【ママー!これ買ってー!】


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謎殺人事件というか殺人事件じゃないけど殺人事件ということにされた謎殺人事件を巡って癖人間ダメ人間たちが田舎で大空回りするアルトマン映画は後年『フォーチュン・クッキー』をディズニーがぶっこんで来たためタイトル的に埋没の憂き目。
たまには発掘しよういや面白いから『クッキー・フォーチュン』。黒人捜査官の下りなどちょっとだけ『スリー・ビルボード』がネタを引っ張っている気もしたが要出典。

↓その他のヤツ

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1000
さるこ

こんにちは。テーブルのシーンには同感。オレンジジュースのシーンでは、何か混入させたのかと訝った自分は歪んでるかな。亀や鹿は何だったのでしょうか?
見てよかったです、この映画。